第2話
土煙の中に入ったエレナの視界は想定通りの悪さで、数m先のものを視認するのも難しい。目視に頼らず、雑多な音に紛れて聞こえる声や足音、微かな呼吸音から人の気配を感じ取り、近寄って救助が必要か判断していく。
「誰か、誰か助けてください!」
悲痛な叫びで助けを求める人の声が届き、そちらに足を進める。
「大丈夫ですか⁉」
「あの、娘が動かなくて!」
エレナが向かった先には十歳前後と思われる子供を抱えた血塗れの男性の姿があった。男性の腕の中で眠る子供はぐったりとしており、動く素振りを見せない。額には大きな傷があり、多くの血が流れ出ていた。
脳や臓器に異常がありそうな場合は下手に動かすと状態が悪化することが考えられるので安静にしておくのが良いのだが、今の状況でそうするわけにはいかない。
父親の男性の方も足に傷を負っているようで、歩くのがやっとといった様子だ。
「私が二人を担いで行きます。お子さんをしっかりと抱いていて下さい」
「え、君が? うわぁ⁉」
華奢なエレナが自分たちを運ぶことに疑問がありそうな男性を、エレナは問答無用で宣言通りに持ち上げてみせ、いわゆるお姫様抱っこの体勢で二人を土煙の外へと運んでいく。
大人の男性と子供一人ずつを抱えてもエレナの健脚は衰えを知らず、周囲に注意を払いながらであっても百mを八秒ほどで駆け抜けた。
今生初の疾走に、エレナの口元に諧謔の笑みが浮かぶ。
ハハ、こりゃ魔人認定されるかも。どうでもいいけどな!
全てを振り切り駆けるエレナの姿は、状況にそぐわないほどに活き活きとしていた。
親子を土煙の外まで運び出し、安全だと判断したところで地面に降ろす。
「ここで救助を待ってください。きっとすぐに来ますから」
「あ、ああ、ありがとう、お嬢さん」
戸惑い混じりの感謝の言葉を背に受けながら、エレナはまた土煙の中へと入り、同じように人を運び出す。そうしたことを二回ほど繰り返したころ、土煙が薄れだし視界が広がり始めた。
一度爆発が起きてから二度目の爆発は起きていない。爆発が人為的なものなのかは不明だが、このまま何事もなく時が過ぎれば救助はしやすくなる。
エレナがそう考えていた矢先、二度目の爆発が起こりエレナは耳を押さえ身を屈めた。
「ぐっ⁉」
爆発に伴う爆風と爆縮が土煙を吹き飛ばし、倒壊したビルの残骸とその瓦礫の上に平然と立っている男の姿が露になる。
「おいおい、話が違うじゃねえか。ここでひと暴れすれば御子様がすぐに現れるって聞いてたのによぉ」
男に気付かれるよりも早くエレナは物陰に身を隠した。一瞬だが見えた男の姿に他の人々と変わるところはない。だが、その中身は全くの別物だ。
魔人! それも、上級以上の……!
もはや爆発の原因を語るまでもない。それ故に状況が想定される中で最も悪い部類に入ることをエレナは理解した。
遠くからサイレンの音が響いてくる。それはエレナの方へと次第に近づいてきていた。
おそらく、事故現場に最も早く到着するのは救急隊だろう。ウエストリア人類連合を取り巻く今の社会情勢からして、魔人の犯行を考慮に入れ自国の軍隊とベルティネ共和国の駐留軍も動くはずだ。
エレナは自身がやるべきことを再確認する。
どんなに身体能力が優れ、格闘技術が高くても魔人相手ではどうにもならない。今やれることは魔人に気付かれないように可能な限り人を助けることだ。
魔人との位置関係を思い浮かべながら物陰の中を静かに移動する。
あの魔人が何らかの目的を持って犯行に及んだのは確定的、いつもの愉快犯とは違う。何かを待っているような口振りをしていた。あの場から動くことはないかもしれない。
思考と移動を止めることなく救助者の確認も怠らない。
「う、ぐ」
そうして見回していると、爆発があった大通りの端で呻き声を上げながら倒れている黒髪の少年を見つけた。年の頃はエレナと大差なさそうである。ただ、位置が悪い。
エレナと少年の距離は道幅の大きい四車線道路分+数mといったところ。問題は少年の下に辿り着くまでに魔人の視界に入る可能性が高いことだ。
今のエレナの位置からでは魔人の状態を確認できない。魔人の状態確認をし、注意を逸らして少年を助けに行く。そんな一か八かの賭けに出ることをエレナは考えていた。
しかし、状況はまたエレナにとって悪い方へ転がる。
倒れ伏す少年の方へと歩み寄る魔人の姿がエレナの目に映ったのだ。
これまでの帳尻合わせのように、まるで思い通りにいかない。
内心焦りを見せるエレナ。動くべきか、静観すべきか、逡巡している間にも魔人は少年へと近づいていく。
「やるしかない」
覚悟を決めたエレナは足元に転がる手の平に収まる大きさの瓦礫を手に取り、全力で魔人へと放り投げた。
力強いフォームで放たれた瓦礫は時速三○○㎞を超える速度で魔人の側頭部に直撃し、その衝撃で魔人の首を横に倒した。
「スットライィィィク‼」
命中確認と同時に叫び、魔人の注意を自身へと向けさせる。エレナの策は見事に成功し、魔人の苛立ちを隠さない、突き刺すような視線がエレナに向けられた。
「小娘、そんなに早死にしたいのか?」
「おいおい、勝手に人の国の言葉喋ってんじゃねえよ。文化盗用だぞ? いつも通り豚の鳴き声みてぇな非人語で話せや」
トドメとばかりに舌を出して両手の中指を突き立てるエレナ。
「あぁ?」
倫理観の崩壊した度が過ぎる挑発に魔人は一瞬で沸点に達したらしく、それまで人の姿を保っていた外見に変化が起こる。
肌の色は黄褐色から赤褐色になり、頭髪は黒から紫となる。口元では犬歯が以上に太く伸び、体格が一回り大きくなったように見える。
感情の高ぶりにより隠されていた魔人の真の姿が露になった。初めて目にするその異形に、エレナの背筋に冷たいものが流れた。
「まっずい。死んだかも……!」
「————!」
エレナに聞き取れない言語を発し、今まさにエレナへと飛びかかろうとする魔人。
回避と逃走に全力を傾けようとするエレナ。
そこに、両者ともに予想外の第三者が乱入する。
魔人の背後、エレナが救おうとした少年が跳ねるように起き上がり、魔人の背中から心臓へ銀色のナイフを突き立てたのだ。
「ん⁉」
「あ?」
間抜けな当惑の声はエレナと魔人の両者から。心臓を刺した少年は無言のままナイフを引き抜いて後ろへ飛び退ざった。
魔人はゆっくりと振り返り、自分に害を与える羽虫の如き矮小な存在を見下ろした。
「小僧、何の真似だ?」
「流石に即死とはいかなかったけど、その傷は塞がらずにお前は死ぬ。このナイフは退魔の力が宿っているから、お前にはよく効くだろ?」
「……」
問いかけられた魔人は特に反応を示さず、ナイフが刺さった傷口はナイフが抜かれた直後だけ血が噴き出したがすぐに止まり、傷口すらなくなっていた。
「……あれ?」
「それが、なんだと?」
「んなことだと思ったよ!」
少年と魔人のやり取りに一時呆然としていたエレナだったが、これまでの不運を思い出し魔人と少年の方に駆け寄っていた。
そして、全力疾走の勢いを使い魔人の背後から渾身のドロップキックを見舞った。
体重の軽いエレナであっても時速80㎞に迫る速度で衝突すれば男一人吹き飛ばすのは容易だ。
エレナに弾き飛ばされた魔人は少年の真横を通り過ぎ、十数m離れた位置に倒れた。
「逃げるぞ!」
「え⁉ う、うん!」
エレナは少年の手を取り走り出す。そのまま抱きかかえようとしたが、少年は引っ張られたままではあるがエレナの速度に付いてきていた。
「全力で走れ!」
「言われるまでもないよ!」
エレナは手を放して少年に前を走らせ、自分はそのペースに合わせる。その速さはエレナの全力の九割ほど。常人を遥かに上回る速度だ。
「オマエ、何者だ⁉」
「そっちこそ! 君みたいのはログにいなかった!」
「ログ⁉ なんだそれ? それにさっきのナイフは⁉」
質問が新たな疑問を生みだす。エレナには全く何もわからないまま、二人は大通りから外れ、それまでよりも細めの道を駆け抜ける。道の先に人影はない。しっかり避難しているようだ。この辺りは住宅地でもないので、他人を巻き込む心配はなかった。
「あれは三○○年くらい前に魔王を十体以上切り伏せた退魔の刃、らしい!」
「全然効いてなかったぞ⁉」
魔人に物理的な攻撃はほぼ意味を成さない。一時的に損傷を与えられるが即再生してしまう。彼らを真に傷つけるには物理法則から外れた異能が必要とされている。
「僕も想定外だよ! なんのために盗み出したのかわからないじゃないか!」
「盗みかよ! 墓荒らしか⁉」
「違う! 人聞きの悪いことを言わないでくれ! 美術館に保管されていたものを盗っただけだよ!」
「いや、盗んでる時点で誰に聞かせても悪いことだが?」
などと話していると、エレナの首筋にヒリつくような感覚が生まれると同時に、エレナたちの真後ろの電灯が内側から弾け飛んだ
「跳ぶぞ!」
言うやいなやエレナは少年の襟首を掴んで左に跳び、その場に伏せた。直後、二人がそれまでいた位置を火柱が走り抜けた。
振り返るとそこに、右手をエレナたちの方に翳して立つ魔人の姿があった。
「もう追いつかれたか」
「対抗策は?」
「逃げ回る以外考えてなかった。そっちは?」
「ないこともない。でも、決定打が足りない」
少年の方に何かしら策があるとわかり、エレナはそれに賭けることに決めた。
「やれることがあるなら試すだけ試してくれ。不足分はどうにかする」
「どうにかって?」
「アドリブだ、来るぞ!」
魔人は右手を翳したままゆっくりと歩いており、その右手の先に幾何学模様が現れる。
「もう逃げるのは終いか? もう少し狩りを楽しませてくれよ」
「あの術式は、フレイムショットだ!」
「言われてわかるか!」
詳細がわからずとにかく逃げるエレナと、魔人の次の攻撃を看破して構える少年。
魔人の手の平の先から、指先ほどの大きさの炎の弾丸がエレナと少年に目掛けて連続で打ち出される。
「おわっ⁉」
エレナは咄嗟に横へ跳び、間一髪のところで射線から逃れた。
「ふざけんな! 掃射じゃねえか! ショットじゃなくてマシンガンに改名しろ!」
低層ビルの間に跳び込みながら文句を垂れるエレナは、道の真ん中から動くことなく炎をしのいでいる少年の姿を目にした。彼の前には今まで影も形もなかった金属の障壁が築かれている。
「そんなものどこに隠してた⁉」
「今作ったんだよ!」
「オマエ、オール光国出身の能力者か⁉」
「そうだよ! あまり話しかけないで! 集中が途切れる!」
「じゃあ最後の質問だ! サブマシンガンとかアサルトライフルとか作れるか? ショットガンでも構わない!」
ある程度の制圧力さえあれば時間稼ぎは出来る。耐えている間に軍隊が到着してくれれば状況は打開される。
「作れるけど、余裕がない! 複雑なものを作るには時間が必要なんだ!」
「具体的には⁉」
「一分ほしい!」
この状況で一分を生み出すのは至難だ。話している間にも少年の作り出した障壁は熱で融解しはじめており、エレナが隠れたビルの壁も一部が崩れ出している。
「一分だな! 一秒の遅れも許さないぞ!」
「作っても魔人には効果がないよ⁉」
「足止めできれば十分だ! 弾も忘れんなよ!」
それでも、エレナは挑む。
幸い、敵はまだ油断している。野山でウサギ狩りでもしている気分なのだろう。そこに付け入る隙がある。
「いいぜ、ウサギにも噛みつく歯があるところを見せてやるよ……!」
エレナは、ビルとビルの間を窓の淵や壁の凹凸に手と足をかけて八艘跳びし、屋上まで上がる。
屋上は魔人の死角だ。未だエレナがビルの陰に隠れていると思っている魔人は、特異な能力を見せた目下一番の脅威である少年の方へゆっくりと歩み寄りながらも、エレナがいた位置への掃射を止めていない。
エレナは屋上から隣の屋上へと跳び、魔人の後ろ側へと回る。
地上までの距離はおよそ十五m強、五点接地をすれば余裕の高さだ。
「接近戦は私の専門じゃないんだけど……よし!」
エレナは屋上の淵を踏み切り、空へと跳び出した。狙いは魔人の真後ろ。その狙いに寸分たがわず着地したエレナは、転がりながら魔人の足元に接近し、しゃがんだ姿勢のまま魔人へ最下段の回し蹴りを放った。
不意を突かれ背後から脚を払われた魔人は転倒し、即座に起き上がって仕掛けてきたエレナの方へと向き直るが、その顔にエレナの右ストレートが突き刺さる。
またバランスを崩しそうになった魔人だが今回は踏ん張って耐え、反撃の右拳を振るう。しかし、大ぶりな拳はエレナに躱され、力を利用された投げ技を受け地面に叩きつけられる。
「クッ⁉」
倒れ伏しながら驚愕の表情を浮かべる魔人を見て、エレナの顔が嗜虐的に歪む。
思った通り、馬力は半端じゃないけど格闘技能は皆無。魔人の特性に任せた力押しが仇になったな!
エレナの思惑通りに魔人を翻弄できている。ダメージは与えられないが、確実に時間を稼げている。
だが、これは綱渡りだ。魔人は殴りに行く踏み込みだけでアスファルトを砕き、ひび割れを作っている。
エレナにそんな怪力を耐えるだけの硬さはない。
つまり、相手の攻撃をまともに貰えばほぼ全て一撃必殺。一手間違えたその時は二度目の昇天となる。
倒れた魔人は再び起き上がる。そして、エレナに向けて右手を翳し術式が展開される。だが、それもエレナの予測の範囲内。エレナは魔人の右手が動くと同時に足を振り上げていた。
エレナの左足が魔人の右手を跳ね上げ、炎があらぬ方向へと放たれる。すかさずエレナは振った左足の勢いを殺さずに体を回転させ、上段の後ろ回し蹴りを魔人の顔面にクリーンヒットさせた。
これでいい。接近戦で相手の魔法を逸らしつつ、こちらが優位を取り続ける。掴み技や関節技で抑え込みたいところではあるが、フィジカルの差で簡単に崩されそうだ。
エレナは相手の攻撃を避けつつ、距離感に細心の注意を払う。離れすぎれば焼かれ、懐に入り過ぎれば掴まれ組み伏せられる。
エレナの優位性は極小さい空間にしか発生しない。その空間から外れれば死に至る。
「図に乗るな!」
エレナに押され続けていた魔人の雰囲気が変化する。エレナは敏感にその変化を感じ取り、魔人が右手を振るうのに合わせて上体を限界まで後ろに反らす。
魔人が振るった右手から炎の刃が放たれ、エレナの顔の上を通過していく。
「なに⁉」
「絶好調‼」
それまでの術式を展開しての攻撃とは違う、腕を振るうだけのシングルアクションの攻撃すらも躱され、魔人の顔に初めて焦りが生まれる。
回避を成功させたエレナは口角を吊り上げ挑発的な笑みを作り、魔人をさらに煽る。
今のエレナは言葉の通り絶好調だった。生死を分かつ極限状態の中で交わされた攻防がエレナの感覚を呼び覚まし、研ぎ澄まされた感覚は相手の一挙手一投足を見逃さず、高精度の予測による回避を実現していた。
その予測的中率と反応速度はかつての自分を遥かに上回っているとエレナは自覚していた。これもまた、神のギフトの恩恵。その点はエレナにとって嬉しい誤算だった。
それでも、シンドい……!
一つのミスも許されない状況で戦闘を続けるのは神経を磨り減らす。ただ暴れているだけの魔人と違い、エレナは着実に体力と気力を削られて行っていた。
「出来たぞ‼」
ギリギリのところで魔人の攻撃をいなし続けていると、待ちに待った少年の声がエレナに届いた。
「でかした!」
エレナは殴りかかってきた魔人の腕を掴んで放り投げ、全力で少年の方へと走る。
「投げろ!」
「うん!」
駆け寄ってくる少年が投げたものを受け取ったエレナは、掴んだものに違和感を覚えた。手にしたものを見たエレナは違和感の正体にすぐに気付いた。
「オマエ、これ、ハンドガンじゃねえか!」
「ゴメン、一分以内だとそれが限界だった。やっぱりホームでやるのとは勝手が違うね」
魔人を止めるには人体を大きく損傷させる必要がある。ハンドガンの威力では魔人相手では効果がない。
クソが、あとで絞める。とにかく、今はこれでどうにかするしかない!
内心悪態を吐きながら振り返ったエレナは、突然鳴り響いた爆音とそこで見たものに目を剥いた。
魔人は今のエレナが全力で投げた。三〇m以上は飛んでいたはずなのに、エレナと少年の方へ飛びながら迫っていたのだ。
魔人は左手を背後に向けていた。その手には黒く炭化した痕が残っている。
油断した! 自分の手で爆発を起こして空中で推進力を得たのか⁉
これまで魔人はエレナたちには炎の魔法しか見せていなかった。だが、最初にビルを倒壊させた時とその後の土煙を吹き飛ばした時は、間違いなく爆発が起こっていた。
魔人の得意とする魔法は爆裂と炎の二種。頭の中に入っていなかったわけではないが、ここで、このような使い方をされるとはエレナと少年にとって予想外だった。
飛来する魔人は少年の方へと飛びながら右手を正面に向け、術式を生み出していた。少年は疲労と驚愕のあまり障壁を作ることも出来ない様子だ。
「うっ⁉」
「クソッタレ!」
エレナは少年と魔人の間へ割り込むように跳び、両腕を広げ魔人から少年を守る盾になろうとする。
魔人が凄まじい勢いでエレナと少年に接近してくる。エレナは一秒後の焼き焦がされた自分の姿を想像し、歯を食いしばった。
そのエレナの背中に、思いもよらない熱が走った。
「え?」
「あ?」
二人は同時に声を漏らす。
原因不明の感覚に困惑するエレナの背中に、銀色のナイフが突き立っていた。それも、心臓を突くように。
少年の懐に収まっていたはずのナイフが突如飛びだし、エレナの心臓に突き立ったのだ。
エレナの眼前に迫る魔人。しかし、エレナの視界は明滅し、現実と幻影が交錯しだし、やがて幻影に塗り潰された。
荒涼とした大地。そこに立つ銀髪銀眼の男。その視線の先には十数人の異形の人型。男は一人、異形の群れへと駆け出す。
その銀色の瞳は、確かな覚悟と使命感に燃えていた。
その姿は、いつか見た誰かとよく似ていて————。
そして、幻影は消え去る。
現実は変わらない。エレナと少年は絶体絶命の状況。魔人は炎の弾丸を放ち、エレナと少年に死の雨を降らす。
だが、その状況に変化が生まれる。
エレナに刺さったナイフがひとりでに背中から抜け宙を舞い、迫りくる炎を弾きエレナの左手に収まったのだ。
同時に、エレナの容姿にも異常が現れた。髪と目は白銀に染まり、元から白かった肌は死人と見紛うほどにより白くなった。
炎の弾丸を防がれても魔人の直進は止まらない。飛びながら右手を振り降ろし炎の刃が放たれる。
エレナはその刃に合わせて左手に握った銀色のナイフを突き出した。
炎の刃は弾丸に比べて射程が短い代わりに高火力だ。ナイフ一本で断ち切れるようなものではない。エレナと少年の体は焼かれながら両断される、はずだった。
エレナの銀色のナイフは白銀の光を放って炎をかき消し、そのまま魔人の右肩口に突き刺さった。
「グゥゥウウウウ‼‼」
エレナは魔人の体に押されて後ろに運ばれるが、ナイフを決して放さずに力を込め続ける。ナイフの放つ光が更に強くなり、ついに魔人の肩が内側から弾け飛んだ。
「ガァッ‼⁉」
呻きを漏らした魔人と共にエレナは地面を転がり、同時に立ち上がって向かい合う。
「おい、生きてるか⁉」
「な、なんとか……」
「ならばよし」
エレナと魔人の衝突に巻き込まれて弾き飛ばされていた少年は、道の端で壁に体を預けながら立ち上がったところだった。
「その姿、そうか、貴様が世界の御子だったか!」
「知るか。とりあえず、オマエはここで地獄に叩き落とす。どうやら今の私にはそれが出来るらしいからな。いや、もうその必要すらないか?」
魔人の右肩は炸裂し、右腕はどこかに吹き飛んでいた。損傷した箇所からの出血は止まらず、むしろ悪化しているようにすら見える。
「オマエ、右手と左手で術式を使い分けていたな? そうしている理由はわからないが、今は右腕が消し飛び左手は自傷で丸焼け。私と戦う余裕はないんじゃないか?」
「だとしたら、なんだ?」
「目的を吐けよ。事細かくな。そうすれば見逃してやる」
「貴様の目はどうしてもオレを殺したがっているようだが?」
「チッ、気づくなよ。そう言うオマエは話す気ゼロじゃねえか』
考えを見透かされて舌打ちをし、悪態を吐いたエレナは右手に持っている拳銃を魔人に向けた。
「目的は達した。殺」
エレナは魔人が話し終わる前に一切の躊躇いなく引き金を引いた。放たれた弾丸は銀色の輝きを放ちながら魔人の額に吸い込まれていった。
「敵が私に指図できると思うな」
弾丸を受けた魔人の頭は霧散し、体も次第に空気に溶けて消えていった。その散り様を眺めることはせずに、エレナは少年の方へと歩み寄り手を差し出した。
「私の名前はエレナ、エレナ・マイヤーだ」
「僕はアラン。よろしく」
「ああ、よろしく、アラン」
エレナはアランと名乗った少年の手を取って引き寄せ、肩を貸してやりながら歩き出した。
最初の爆発発生から十五分弱。未だ夕日は沈み切っておらず、町を赤く染め上げながら刻み込まれた戦いの痕を克明に照らしていた。
「フ、フフ、アハハハ!」
「え、急にどうしたの?」
「こういうの久しぶりだと思ったら、なんか笑えてきた。ああ、なんだろ、これ。めっちゃおもろい」
「そっか。それは良かったよ。フフ」
笑い続けるエレナにつられてアランも噴き出す。
二人は笑いながら夕日と共に戦場から立ち去り、夕闇に紛れていった。
灯の一つもない漆黒の空の下、倒壊したビル群の瓦礫の中で私は目を覚ました。
幾度もの戦いがあった。世界の命運を分ける、激しく苦しい戦いが。
仰向けに倒れている私の視界には、タールのように重厚な黒に塗り潰された奇怪な空しか映らない。その背筋が冷えるような薄気味悪さと、今にも“黒”が落ちて来たそうな圧迫感に耐えきれずに目を逸らした先で、私は零れ落ちる命の輝きを目にした。
そこには一人の銀髪の男が倒れていた。胸には大穴が穿たれ、右腕を喪失していた。そこに疑問はない。彼がこうなるさまを私は見ていた。
不思議なのは彼の散りざまだ。
胸の大穴や肩口から千切られた腕の傷口から血は出ていない。その代わりなのか、銀色に淡く光る大小の粒が傷口から溢れ出し、空へと昇っていく。
多くの死と異常を見てきた私でも、それは初めて目にする現象だった。
およそ人の死にざまと思えないその光景は、さながら地上に現れた天の川のようで「綺麗……」と、こぼしてしまった。
共に戦場を駆け抜けた無二の相棒の最期に贈る言葉ではない。それをわかっていながら、ふと心に去来した言葉を押し留める気力を私は失っていた。
私たちは戦い続けた。初めは小石に蹴つまづいた程度のことで事件に巻き込まれただけなのに、力を、想いを託され、結果として多くの戦場を駆け抜けた。
そして、ここが二人の終着点となった。彼ほどではないにしろ、私も既に死に体だ。彼と同様に私も右腕を失っていた。更に右脚も瓦礫に圧し潰されて再起不能。垂れ流される血を止める術はなく、冷えていく体と霞ゆく視界で、背後に死がヒタヒタと歩みよってくるのを感じる。
一度失った意識を取り戻せたのは鍛え上げた体力と精神力の賜物か、はたまた神の気まぐれか。どちらにせよ、彼との別れの時間を生んでくれたことに、私は心から感謝した。
「起きてるか?」
返事はない。彼の眼は閉じられたままだ。
「最期にゆっくり話したかったんだけどな。仕方ない。言いたいことだけ言ってやる」
声を出しているだけでも意識が遠のいていく。私も既に限界が近い。力を振り絞って、どうにか声を出す。
「オマエばかり前に立たせて悪かった。何度も死にそうになってたもんな。次は私が前に立つから、オマエは後ろで銃を構えていてくれよ。あとは……あとは……なんだっけ? 忘れちまったな。色々あったんだけどな」
そこでまた、意識が途切れそうになった。どうにか耐え切り、最後に大事な言葉を届ける。
「まあ、これだけ言えればいいか————愛してるぜ、ノア。私の最高の相棒」
恥ずかしさのあまり、目を逸らしてしまった。聞こえていないとわかりつつも、倒れているノアの方に目を向け直すと、そこに彼の姿はもうなかった。
「んだよ、やっぱり……届か、ねえ……」
そこで私の意識は完全に途切れ、その生を終えた。
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