残焔を熾せ!

八伏 エダ

第1章 くすぶる魂に火を点けろ

第1話

 黄昏時、大型商業施設のテラスから一人地上を眺めていた私は、

「クッッッソつまんねぇぞ‼‼」

 胸の内から沸々と湧き上がってきた熱を吐き出し、手にした髪飾りを夕陽に燃える空へと焼べたべた。

 その瞬間、体の奥底で何かが爆ぜる音がした。


 ことの起こりは、今の私の始まりの時にまで遡《さかのぼ》る。


「おはよう、エレナ・マイヤー」

 厳かでありながら、どこか愉快気な響きを孕む声音に揺すられ意識が浮上していく。

 覚醒までの僅かな微睡まどろみの中、私は“自分”が存在していることに違和感を覚えた。

 私は死んだはずでは?


 疑問が解消されぬまま目覚めた私の前に現れたのは、上下左右の判別が出来ないほど一面が黒に染め上げられた空間と、そこで蒼い光を放つ女の姿だった。


「いや、クソ眩しいわ」

 眼を焼かれるとはこのことか。

 寝起きのうえに周りが黒いせいで、フラッシュバンと見紛うほどの輝きを放っている。かすかに見えるシルエットだけで女性と判別できたのは、最初に聞いた声色のおかげだろう。


「ん? ああ、ごめんなさい。強すぎたわね。セーブしたつもりだったんだけど、人との接触って神になってから初めてのことだから、加減がわからなくて」

 最初に感じた厳《いか》めしさはどこへやら、そこにいたのは初対面相手にフランクに話す明るい(二重の意味で)姉さんだった。


 光量が落ちついたことで、その姿がハッキリと見えるようになった。

 白磁で作られていると思わせるほど異様な白さをした肌と、黒漆を塗ったような艶やかな漆黒の長髪が互いを際立たせている。

 筋の通ったシャープな鼻梁、やや切れ長で力強さを感じさせる大きな目と、その中央に嵌められた黒いダイヤを連想させる品と暗い海底のような異質な深みを持つ瞳。それに並行する墨を引いたような薄く細い眉。

 モデルのように長い手足でスリムな体。


 全体として美を追求し、計算して作られたかのように均整のとれた姿をしている。同性の私が一瞬でも見惚れてしまったほどだ。


「聞きたいことがあるんだが?」

「どうぞ」

「アンタは?」

「神。一部では解放神、大いなる火、最果ての導光、光人、その他色々呼ばれてる」

 なるほど、神か。似たようなものにあったことがあるお陰で驚きはない。


「次の質問、ここは死後の世界か?」

「ここは神格専用の高次空間。普通の人は死んでも魂が霧散して肉体は腐るだけで、ここに来ることはないわ」

「つまり、私は毎度の如く普通の範疇から外れてしまったわけだ」

 なにやら面倒ごとの予感がしてならない。


「今の質問の解答ついでに、あなたがここに招かれた理由について話すんだけど、もう一度人生やってみたかったりする?」

「……なに?」

「あなた、生前は世の為にたくさん働いてくれたじゃない? だから、褒美をあげなきゃと思ったのよ。人生のボーナスステージみたいな?」

「二度目の人生か」


 これまで命がけのクソみたいな仕事ばかりさせられ碌な報酬を貰ってこなかったのに、二度目の生などという法外な報酬を受け取れるとは思いもしなかった。

 だが、答える前に確認しなければならないことがある。私は周囲をぐるりと見回してから女に問いかける。


「その、それは私だけが受けられるものなのか?」

「ええ。あなたにだけよ。アタシの権限ではあなた一人しかサルベージできなかった。申し訳ないわね」

「……そうか。それは、寂しいな」

 今の私の偽らざる素直な想いだった。生前、私一人で成し遂げたことなど一つとしてない。そこにはいつだって大切な仲間の存在があった。この場所に、彼らの姿はない。


「やめておく?」

「いや、受ける」

 即答だ。悩むことはない。ここで断ったら仲間の奮戦の結果得られたはずの報酬を無為にしてしまう。私のやるべきことは、彼らの分も二度目の生を全うすることのはずだ。


「そう、なら良かったわ。ちなみにやりたいことってあるの?」

「勿論」

 私のやりたいこと。やり残していたこと。それは……

「青春だ‼」

 今日一番の声が出た。それも当然というもの。これこそが、我が生涯最大の心残りなのだから。


「勉強! スポーツ! 友情! 恋愛! それらに付随するイベントの数々‼ あの時に成し得なかった若人の全てが今、ここに‼」

「ああ、まあ、わからなくもないか。それなら場所を選ばないとね。あなたが生きていた時代に近い舞台が必要で、変なのも湧き難くて出来るだけ治安が良いところ」

「おお、いいね! そんな感じそんな感じ。それでいて超常現象とか怪奇現象とかオーパーツとか謎テクノロジーとかそういうのがないところがいいな!」

 ああいったものと絡むのは二度と御免だ。本音を言えば、目の前にいる神とやらですら相手にしたくないと思っているほどなのだ。


「……」

「なぜ黙る?」

「いいか、エレナよ。この世は摩訶不思議なもので溢れているのだ。わかるな?」

 唐突に口調を変えてきたが、そんなもので丸め込まれるアホはいない。


「わかるが、参考までに私が送られる場所はどんな感じなんだ?」

「魔法とオーバーテクノロジーが支配するファンタジー×SF世界。慣れてるでしょ? そういうの」

「神様でも頭に鉛玉ぶち込めば死ぬのか?」

「さあ? 試してみないとわからないわね」

 本気でやってやろうかと腰のFN5.7に手を伸ばしたが、そこにはいつもあるはずの愛銃はなかった。


「まあまあ、そういうのに関りの少ない場所に送るから我慢してよ。ぶっちゃけアタシが干渉できるのその辺しかないのよね。二回目の命を貰えただけでも御の字と思って」

 それは……たしかにそうだ。もう一度生きられるだけでも格別の贅沢なのだから、これ以上の要求は厚かましいというもの。


「とりあえず、生き返れればそれで十分です」

「急に物分かりが良いじゃない。その転身に免じて出来るだけ要望通りにするわ。よぉーし、それじゃあ、ちゃちゃっと始めちゃいましょうか!」

「あ、もう行くのか」

 トントン拍子で進む話にやや戸惑うが、目の前の神は待つつもりはないようで、私の体が末端から細かな光の粒子に分解されていく。


「アタシからちょっとしたギフトがあるけど、どう活かすかはあなた次第ね」

 贈り物までくれるとは。これほど手厚く送ってくれるのなら感謝の一つでもしたかったが、すでに私は声を発することが出来ず、意識も徐々に薄れていっていた。


「いってらっしゃい。あなたの二度目の生も幸福であることを願っているわ」

 神の言葉を最後に、分解が全身に及んだ瞬間、私の意識は途切れた。


 こうして、私の第二の人生が幕を開けた。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が瞼越しに瞳を差し、意識を刺激され半ば強制的に目を覚ました。

 ベッド端に置いた目覚まし時計に目を向けると、設定していた時間よりも五分ほど早かった。目覚ましを解除しベッドから出た私は、ベッドを整え終えてから部屋を出る。


 自室から廊下に出たところで向かいの部屋からけたたましい携帯端末のアラーム音が聞こえてきた。ドアを数回ノックしてから声をかける。

「ユリアン。早く準備しないとまた遅刻するよ」

 返事はない。その後も何度かノックと声掛けをしたが何も返ってこなかった。


「はあ、お姉ちゃん、先に行ってるからね」

 それだけ言い残して私は階段を降りて一階のダイニングへと向かう。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

「おはよう、エレナ」

 ダイニングのドアを開けた先では、難しい顔で新聞を読みふける父の姿と、料理を運ぶ母の姿があった。


 父は身長が高く恰幅も良いのでかなり大柄だ。サンタクロースのコスチュームが実によく似合う。若い時分はスリムでよくモテたとのことだが、母と結婚できているので嘘とも言い切れない。


 母は細面で切れ長の目をした美人顔で仏頂面の父と違い、いつも温和な笑顔を振りまいてくれる包容力溢れる女性だ。私はどちらかといえば母親似である。女にしては背が高いところは父からの遺伝かもしれない。


 私はテーブルには行かずに母の後を追い、料理を運ぶのを手伝う。

「お父さん、新聞読んでないでお母さんの手伝いしたら? どうせ一番早く起きてるなら、たまには朝食くらい作ればいいじゃない」

「そういうお前だって作らないじゃないか」

「私は掃除と買い出しと夕飯の手伝いをやってますぅ。家のことを何もしない人と一緒にしないでくれますぅ?」

「むぐぅ」


 情けない唸り声を上げながら新聞で顔を隠す父の姿に、母と一緒にクスリと小さな笑いを零す。

「あまりお父さんを虐めないの。エレナがなんでも出来ちゃうから、お父さん出る幕なくて困ってるのよ。出来た娘がいてよかったわね、お父さん」

「あ、明日の分くらいの食材は残ってるよね?」

「まだ買いにいかなくて大丈夫よ。どうかした?」

「学校の後に予定があってさ。夕飯は外で食べてくるから買い出しと手伝いは出来ないから」


 父を小馬鹿にした手前、あらかじめ報告しておかなくては後から嫌味ったらしい反撃を貰いかねない。

「あら、そうなの。お友達とお出かけ? それともデート?」

「さぁ、どっちでしょー?」

「大変、お父さん、デートですって」

「……そうと決まったわけじゃないだろ」


 ブツブツと独り言のように返す父の姿に、また母と共に小さく笑う。すると、それまで新聞に顔を落としていた父が私の方を向いて、新聞を広げて見せてきた。

「物騒なことが起きているようだから外出は控えなさい」

「今どき事件の一つや二つで外に出るの止めてたら世の中回らないでしょ」


 反駁しながらも新聞の内容を斜め読みしていく。

「昨日未明、フロイド市からウエストリア人類連合内に魔人侵入。侵入経路から入り込んだ魔人は暫定魔王: 赤手のラルクの配下か。移動の痕跡から国内を南下中。目的は不明。なんだ、これくらい騒ぐようなことでもないでしょ」


 魔人が国内に入り込んだ程度どうということもない。どこかで小規模な事件を起こして捕まるか、逃亡生活に疲弊して倒れたところで捕まるのが関の山だ。


 それにウエストリア人類連合内の北端に位置するフロイド市から南下したところで、私たちの暮らすランジュ市は東海岸に位置するので遠く離れている。すぐにこの辺りで事件が起こるとは思えない。


 なんてことはない、偶にある程度のこと。

 ただ、この手の話題を聞くたび思考に靄が掛かる。


「そこで終わりじゃない。クラウド大陸のオール光国こうこくかベルティネ共和国からも密入国者がいるかもしれないそうだ。これが本当なら、この辺りに彼らがいてもおかしくないんだぞ?」

「どこの国の誰が入ってきたとしても、ベルティネの駐留軍がどうにかするでしょ。何のための同盟関係よ。私たちの血税を費やした復興支援と難民受け入れの分は頑張って貰わないと」


 同盟国の協力なくして外からの脅威に対し、効果的な策を講じえない我が国の情けなさについては棚上げしておく。


「お父さん、年頃の娘に過保護は嫌われますよ? 親離れ、子離れの時は、いずれ来るものなんですから」

「いや、そうではなくてだな」

「それにエレナはしっかりしてるから、危ないことはしませんよ。ね?」

「当然。世の中安全が一番。自分の命より大切なものなんてないんだから。危険を察知したら一目散に逃げますとも」


 我が身第一。これが今の私の行動指針である。余計なことに首を突っ込まず、自分優先で真っ当に生きることこそが幸福に繋がる道だ。


 両親と話しながら食事を終え、学校に行く支度にうつる。

 歯磨き、洗顔、スキンケア、着替え、メイク、髪の調整などなど。毎朝のルーティンをこなし、三面鏡に映し出された金髪碧眼の女の姿に大きな変わりはない。違うところといえば、以前はベリーショートだった髪がウェーブのかかったセミロングになったことくらいだ。


 身支度を済ませて玄関に行くと、母に声を掛けられる。

「携帯はちゃんと持った?」

「持ってるけど外じゃ使わないよ? リンクスポットはいっつも混んでるし、ワイヤードは不便すぎる」

 携帯端末の使いどころは家の中か、有線接続用のジャックが用意されている施設にいる時だけだ。その使い勝手の悪さ故に私はあまり持ち歩くことを好まない。


「もしもの時の為に持っていてくれればいいの。お父さんにはああ言ったけど、心配なのはお母さんも同じだから」

「うん。じゃあ、いってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 一人家を出る。家を出る時には笑顔と明るい声を忘れない。母が家を出ていく私を見送ってくれる。


 ありふれた景色に、幸せを感じる。


 父は私が支度をしている間に家を出ていた。弟は遅刻すれすれのタイミングで学校に行くことだろう。

 徒歩で住宅街の中を進む。周囲の家々は庭が広く、休日には家族でバーベキューをするところが多いアメリカンな街並みだ。私の家もその例に漏れない。


 今日も良い天気で気分は上々。雲一つない空からは暖かな春の日差しが降り注ぎ、長閑な町並みに爽やかな彩を添えていた。


 歩き始めて数軒の家を通り過ぎた頃、とある家の前で方向を変え、その家の玄関へと足を向ける。庭の半ばを通り過ぎたあたりで玄関扉が開き、中から一人の男性が姿を現した。


 見た目は二十代半ばから三十代手前くらいで、顔は彫りが深く目鼻立ちがくっきりとした渋めな顔立ちをしている。身長は一九〇㎝以上あるだろう。身体も分厚く、男らしい体格をしている。


「やあ、エレナ。おはよう。ユリアンは一緒じゃないのかい?」

「カイルさん、おはようございます。あの子はまだ寝てます。アリの容態はどうですか?」

「……その、まだ」

 言い淀むカイルの表情には暗い影が落ちていた。その憔悴しきっている様子からも妹の容態が芳しくないことが如実に伝わってくる。


「そう、ですか。元気になったら、また一緒に学校に行こうと伝えて貰えますか?」

「ああ、もちろんだ。エレナやユリアンの話をしている時はアイツも笑顔を見せてくれるんだ。また来てくれると助かるよ」

「はい」

 それ以上の長居はせず、私は早々に家を後にした。


 学校までは徒歩とバスでの移動になる。閑静な住宅地を抜け、アスファルトとコンクリートに覆われた街並みに変わっていく。

 バスに揺られること数十分、目的地のバス停で降りればすぐそこに私の通う高校が現れる。


「エレナおはよう」

「おはよう」

 すれ違う何人かの生徒と挨拶を交わし笑顔を振りまきながら教室へ向かう。教室に入ったところでまたクラスメイトと挨拶をし、自分の席に着いた。それと同時に何人かの女子が私の席の周りに集まってくる。


「エレナ、昨日のタソコイ最終話見た?」

「見た見た! 弟と一緒にテレビの前から動けなくなっちゃった」

「だよねー。最後のシーンでマジ泣いた」

 授業が始まるまでの間に友人たちと他愛のない会話をする。ドラマやバラエティ、俳優やアイドルなど、話題を変えながら時間が過ぎるまで会話を続ける。


 いつもの平凡な会話に、幸せを感じる。


 そうして予鈴が鳴り授業の時間になる。今日の授業は大半が昨日まで行われていたテストの解答用紙の返却と内容の解説だった。

 坦々と授業時間が過ぎていき昼食を取る頃には、私の手元に満点の解答用紙が複数枚置かれていた。


「まーた全教科満点ですか。やってられないわぁ」

「どれか一つぐらい落としておかないと可愛げがないよね」

「もう、そんなこと言わないでよ。テストで手を抜くわけにもいかないんだからさ」

「テストは満点。運動神経抜群で全国大会でも活躍した実績あり。おまけにかなりの美人。嫌味。もはや存在が嫌味。神様、どうしてここまで人を不平等に作るんですか?」

 前世で死ぬほど頑張ったからです、とは言えず適当に笑って誤魔化す。


 談笑を続けながら食事をとっていると、突然クラス内が一瞬静まり返り、それまでの雑多な喧騒とは異なる、ある種の指向性を持った小波のような騒めきが広がっていく。

 そんな中で、私の方へと歩いて来る一人の男子生徒がいた。


「マイヤーさん。今日のことなんだけど……」

「おっと、邪魔者は退散退散」

 そそくさと離れていく友人たち。遠巻きではあるが、クラスメイトの視線が私の方へと集まっているのを感じる。


「学校終わったら、そのまま二人で行く、でいいかな?」

「うん。校門のところで待ち合わせでいい?」

「そうしよう。じゃあ、今日は、その、よろしく」

「うん、よろしくね」

 それで男子生徒は立ち去っていった。と、同時にクラスメイト達がぞろぞろ寄ってくる。


「おいおい、あれって特進組の貴公子だろ⁉」

「どっちから⁉ どっちから声かけたの!」

「あの野郎、いつの間に……!」

「ああ、ここで知った男子諸君は悲しみに暮れるのだろうなぁ」

「そこ! したり顔で見てないで収拾に手を貸して!」


 好き勝手に捲し立ててくるクラスメイト達を笑顔で捌きながら友人たちに救援を要請する。が、彼女たちはそれに答えるつもりはないらしく、遠くから私の奮闘を見守っていた。


 日常を彩る彼らとの騒々しい会話に、幸せを感じる。


 結局、私を助けたのは友人たちではなく時間であった。また予鈴が鳴り、蜘蛛の子を散らすように私の周りに築かれた人垣は崩れてくれた。

 再び授業が始まり、周囲は静けさを取り戻した。


 日常は回っていく。穏やかであれども、楽しめるだけの起伏のある幸福な日々の連続。

私は幸せな世界の中で生きている。私は幸せだ。


 そうして、また時間は過ぎ去る。


 空が茜色に染まる黄昏時に、私は一人、ひっそりと景色の一部と化していた。

 大型商業施設のテラス席から、私は道行く 人々を眺めていた。その誰にも大して興味が湧かず、遠目に見た姿から「くたびれ中年サラリーマン」「高校生青春カップル」「ガキ大将系わんぱくキッズ」など、適当なラベリングをしていく。


 これが、今の私の習慣であり、自身で認める悪癖でもある。

「はぁ、なにやってんだか」

 縁もゆかりもない相手だからなら良かったのだが、私は誰に対しても得た情報から人物像を記号的に抽出して枠に嵌めこむ。


 なんでそんなことをするのかと言えば、答えは単純、その方が楽で効率的だからだ。

 相手の外見や好んでいることや経験してきたこと、社会的な地位などの情報から、性格や性質を独断と偏見で判断し、カテゴリー分けすることでそれに合わせた効率の良いアプローチを選択する。

 “親”“弟”“友人”“クラスメイト”“違うクラスの生徒””友人の兄“カテゴリーは様々だ。


人間社会で苦労せずに生きていくためのテクニックである。近くに置く者と遠ざける者を迅速に峻別し、各々に適した言動を選択し、より良い環境を構築する。


 意識的であれ、無意識的であれ、大なり小なり誰もがやっていることだろう。私の場合はそれが目的のために極端なだけだ。

 私の目的、それは今度こそ誰もが味わう青春を、一般的な幸福を手にすること。

その目論見はこれまで完璧に遂行されていた。


 今日は学園一の美男子とのデートの日だった。財界人の父を持ち、母親も良いところ出身のお嬢様だったそうで、本人も容姿性格成績の全てで優れている王子様系ハイスペック男子だ。

 対する私は生家こそ一般中流家庭であるが、周囲からは才色兼備かつ品行方正な人間として評価されている。十分につり合いは取れていた。


 当然だ。私は神とやらの祝福を得て優秀に生まれ、かつての生で得た知見を最大限に活かしているのだから、まだ十代の小僧一人手玉に取れなくてどうする。


 デートの誘いは相手からだった。そうなるように日々のさり気ない接触を心掛け、一般家庭出身ゆえの純朴さを前面に押し出し、彼の周囲に群がる金満&ミーハー女とは一線を画す存在であることをアピールしてきた。


 この男に取り入れば人並み以上の幸福が約束されたようなもの。目的達成まであと一歩。

 そのはずだったのに、私は彼の前から逃げ出した。


「なんでかなぁ」

 テラスを吹き抜ける風が髪を巻き上げ、視界の端でプラチナブロンドが躍る。反射的に髪を抑えた時、頭に付けていた髪留めが外れて手に収まった。今日のデート中に彼から「よく似合う」とプレゼントされ、その場でつけて見せたものだ。

 それを見ていても何の感情も起こらず、ただ空しさが募るだけだった。


 私は幸せだ。私は幸福だ。私は満ち足りている。私は正しい選択をしている。

「嘘だ!」

 周囲にいた人が私の吐いた声を聞いて振り向く。それが気にならないくらいに私は惑っていた。


 今の私には自分の感情を誤魔化すための欺瞞はなんの意味もなさなくなっていた。

 手にするべきものは手にしてきた。それなのに、私の心が満たされたことは一度としてなかった。その空白に、ついに私は耐えられなくなってしまった。


 なにが足りない? どうすれば、この不足は埋められる?

 その答えに私はとっくに気づいていた。

「私、本気になったことない……」

 明白だった。目的を遂げられるだけの力は全て与えられていた。それを磨き上げ通用するようにしたのは私の努力であったが、それなりにやっていれば出来る程度のことだ。


「何してるんだろう……」

 目を背けていたものに向き合った今、これまで感じることのなかった焦燥感に身も心も飲み込まれていく。

 私の中を駆け巡る焦燥は次第に形を変え、腐り落ちた自身への不満と怒りが満ちていく。


「足りない、足りない! 足りない‼」

 困難に立ち向かう気概が。

 理不尽な現実に抗う反骨心が!

 なんとしても成し遂げるという熱意が‼

 なに一つとして足りていない‼‼

 大きく息を吸い込み、大空を二分する茜と群青の狭間に思いの丈を吐き出す。


「クッッッソつまんねぇぞ‼‼」

 解き放たれた心が体を突き動かし、手にしていた髪飾りを夕陽へ投げ込んでいた。

 燃えろ。燃えろ。燃えろ。

 そして、あの頃の熱を、もう一度。


 ようやく私は自分の中で燻っているものがあることを自覚した。

 自分にとって都合の良い場所、私の思うまま手の平の上で転がされる世界なんていらない。私が求めたものは日常の中で得られるものではなかった。


 私は、私のいるべき場所に身を置くしかない。

 生まれ変わっても、私は私を変えることが出来なかった。

 私は、私でしかない。


「ハ、ハハ、アハハハ‼」

 腹の底から笑う。ああ、なんて気持ちが良いのだろう。これほど痛快な想いはいつぶりか。

 頭の中の靄が消え去り、思考は単純化しクリアになる。


「あ、ヤバ」

 一度馬鹿笑いしたおかげで冷静さを取り戻した私は、自分がやったことに気が付いた。

「さすがに人から貰ったものを投げ捨てるのはどうかしてる⁉」

 それに髪飾りとはいえ人に当たったら大変だ。


 自分が投げた物の行方を今更になって追う。尋常ならざる強肩によって放たれた髪飾りは見事な放物線を描き地上への落下軌道に入っていた。


「誰にも当たりませんように!」

 幸い、落下軌道の先には誰も歩いておらず、髪飾りは何事もなく地面へと落ちる、と思った瞬間、私が見下ろしていた四車線の道路が爆炎に包まれた。


「なに⁉」

 道路を挟んで向かいにあるビルの根元が爆発で吹き飛び、前に倒れ込むように倒壊した。

 数秒後、立ち昇る土煙と響き渡る悲鳴に意識を揺さぶられる。視界が遮られているせいで何が起こっているのか確認できないが、舞い上がる土煙の中から飛び出してくる人影が幾つもある。


「どうすれば、そもそも原因は⁉」

 それを知る術を私は持ち合わせていない。こういった時のセオリーは避難することだ。直に消防隊なり救急隊が来ることだろう。彼らに任せればいい。そう、わかっている。

 なのに、私の手はテラスの端の柵を掴み、体をテラスの外へと押し出していた。


「ああ、もう! ホントに馬鹿か私!」

 十m以上の高さを落下しながら、自身の短絡さに頭痛がしてくる。

 私が行っても大して役に立たない。

 人よりも優れた身体能力を持っている。応急処置などの心得はある。だが、それがいったいどれほどの足しになるというのか。


 それでも、私は前に進むことを止められなかった。考えるよりも先に体が動いていた。

 逃げ惑う人々の姿に過去の景色が重なる。

 何の罪もない人々の命が奪われていく。父も母も弟も、友人家族も、私の前で訳も分からないまま死んでいった。

 かつての私がなぜ戦う道を選んだのか。その理由を魂の猛りが示していた。


 奮い立つ精神が肉体を躍動させ、これまで感じることのなかった昂りに全身が震える。

 そうして、私は自身の本当の望みをこの瞬間に知る。


 ああ、そうか。この体は、この心は、こんなにも、誰かを救いたがっている!

 顔も、名前も、何もかも知らなくていい。私はただ、理不尽に奪われていく命を見過ごすことができない。


 この感情は決して正義感に起因するものではない。この胸に込み上げてきているのは、かつて私から全てを奪っていったものに対する憎しみと、ただ見ていることしかできなかった自分自身に対する怒りだ。


 もう私は止まれなかった。これ以上、自分を押さえつけることはできなかった。

 落下の途中で街路樹の枝を掴み、周囲に人がいないことを確認して地面に降りる。

 目の前は壁のような土煙に塞がれ、怒号と悲鳴とサイレンが響き渡っている。そこに、いつもの景色は一つとしてなかった。


 ここは、日常が崩れ去った異常地帯。

 それはつまり、この地こそが私のいるべき場所ということだ。

「やってやる……。やってやろうじゃねぇか‼」

 私は口元を袖で覆い隠し、土煙の中へと飛び込んでいった。

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