拾遺 優しい復讐

 地元に残って農場を切り盛りしているアラン・マクレガーのもとに、王都にいる母から「事務員さん捕まえたから送るわね。名前はアンナ・ベッセル。健闘を祈る」と、暗号のような電報が届いた数日後。

 アランのもとを一人の女性が訪れた。


「はじめまして、アンナ・ベッセルです」


 金髪碧眼、小柄でかわいらしい顔立ちの女性だ。

 ここまではいい。母の電報通りだから。

 問題はその後ろに背の高い、黒いローブをまとったやたら迫力がある銀髪銀眼の男が立っていたことだ。ローブにはこの国の軍隊の徽章がついている。

 銀髪の魔術師……それが「英雄」エヴァン・アルデバランであることは、世の中に疎いアランでもすぐにわかった。


「なんで……?」


 アランの疑問はもっともである。


 そしてエヴァンはそのままマクレガー農場に居座ってしまった。英雄に「ここで働かせてください」と迫られたら、一般人であるアランが断れるはずもない。


 もともと人の手が足りていないからそれは構わないのだが、ローブと軍服を脱ぎ捨て、トレードマークともいうべき長く伸ばしていた髪の毛を切り、頭に麦わら帽子を載せて嬉々として畑で作業をしているエヴァンを見ると、アランだけでなく、農場の人間全員が「なんで?」と首をひねるのは当然だった。


 もっとも本人は「戦場で人殺しをするより畑で野菜を育てるほうがよっぽど楽しい」とのこと。

 アランもその意見には同意しかないのだが、果たして国の英雄を畑の手入れに使ってもいいのだろうか。実際、エヴァンは国や軍とちょっと揉めた感じではあったが、王都に戻ることはなかった。


 秋のある日。

 どーん、という音がして振り返ると、収穫期を迎えているイモが宙を舞っている。

 ここからここまでぜーんぶ手で掘ってイモを収穫するんだよ、と指示したアランに「何をしてもいいのか」と聞いてきたのはエヴァンだ。イモを傷つけなければ何をしてもいいよ、と答えたら何がどうしたのか、ここからここまでぜーんぶのイモが土から飛び出し宙を舞っていた。

 そして音もなくふんわりとイモが地面に着地する。

 魔術というものを初めて見た。


「拾う作業も効率化したいものだな」


 兄ちゃんすげーな、と雇っている人達が口々に言う中、エヴァンは荷運び用の台車にイモをポイポイと入れていきながら、そんなことを呟いていたとか。


 転がり込んできた当初はマクレガー農場の離れに住まわせていたアンナとエヴァンだが、結婚するというので、近所にある空き家を紹介した。

 二人はそこを購入して新居とし、村の教会で結婚式を挙げた。

 参列者はゼロではなかった。王都から何人かエヴァンの友人が駆けつけた。アンナ側はマクレガー一家が参列した。

 英雄と呼ばれた男が柄にもなく嬉しそうに小柄な花嫁を見つめる姿を見て、きっといろいろあったんだろうな、自分の片想いについても相談してみようかな、と思ったアランである。


 二人がやってきて三か月後。

 季節がひとつ過ぎるころ、アンナが体調を崩すようになった。


***


 少し前から胃がむかむかしてものが食べられなくなった。

 体がだるい。そして眠くてたまらない。


 アンナは暖炉の前のソファで猫よろしく丸くなってブランケットをかぶり、うとうとしていた。

 だるすぎて家事もおろそかになっているが、そこはマクレガー家が気をきかせて人を派遣してくれているので、お任せしている。


「ただいま、アンナ。今日は王都で果物を買ってきました。これなら食べられるのでは?」


 うとうとしていたところにエヴァンの声が聞こえた。

 アンナが目を開けると、珍しくきちんとしたかっこうのエヴァンが手に紙袋を持って立っている。

 冬は農作業が忙しくないので、エヴァンは時々王都に出かけて「残務整理」をしている。

 何もかも放り投げてラストンに移住してきたので、お片付けが残っているのだそうだ。


「お帰りなさい、エヴァン。王都はどうだった?」

「人が多くて空気が悪いですね。それに比べラストンのなんと呼吸のしやすいことか。体調はいかがですか、少しはよくなりましたか」


 エヴァンがソファの前に跪いて覗き込んでくるから、アンナも体を起こした。

 エヴァンがアンナの体を支えてくれる。


「いいえちっとも」

「なんの病気なんでしょうね……。ただの疲れなのかと思っていましたが、長引くので気になります」

「たぶん病気ではないと思うわ」


 アンナの答えに、エヴァンが「え?」という顔をする。


「たぶんだけど……赤ちゃんができたんだと思う」


 アンナの月のものの周期は安定している。それが、今回はずいぶん長く来ていない。

 それにこのだるさ、気持ち悪さ、覚えがある。

 避妊薬を飲んだ時によく似ている。

 この国の避妊薬は、「体を疑似妊娠の状態にして妊娠を防ぐ」というものだ。避妊薬を飲んだあとの気持ち悪さは妊娠状態、つまり、つわりなのである。

 あれに似ている。

 アンナの告白に、エヴァンが固まった。


「……身に覚えがあるでしょ、エヴァン」

 アンナが睨むと、

「覚えしかありません。……うわあ、どうしよう」

 エヴァンが突然うろたえ始めた。


 喜んでくれるのかと思っていただけに、その反応は意外だった。


「嬉しくないの?」

「嬉しい……うれし……嬉しいです、もちろん。でも……」

「でも?」

「……俺、父親を知らないんです。それから……母親も……母親のほうは顔は知っていますが、その……」


 そういえばエヴァンは、自分が不貞の子だからあまりいい育ちをしていないと言っていた気がする。


「大丈夫よ。あなたはいい父親になる」


 アンナが微笑んでも、エヴァンは複雑そうな顔のままだった。

 これは、何かある。

 そう思ったけれど、アンナは何も言わなかった。


 エヴァンはメーアに拾われるまでひどい虐待を受けていた。エヴァンの出自と関係があるのだろう。でもエヴァンは自分の過去をほとんど語っていない。人に知られるのが嫌なのかもしれない。だからメーアは聞き出さなかったし、アンナも聞こうとは思わないけれど、子どもができたかもしれないことを手放しに喜んでくれないエヴァンに、やっぱりちょっとがっかりしてしまった。


 ――あんなに普段から私のことを好き好き言っているんだから、もっと喜んでくれるのかと思っていたのにな……。


***


 その日の夜。


「あなたに話があります」


 寝室で二人そろってベッドに入り、さあ寝ようかという時に、エヴァンがそう切り出した。


「俺の……両親についてです」

「話したくないなら無理に話さなくてもいいわよ」

「正直、知られたくないです。ずっと考えていました。言わないほうがいいのかもしれないとも思いました。でも……俺はこの子の父親として、この子の人生に責任を持たなくてはいけません。それに、あなたにも関係があることです」


 エヴァンがそう言って、そっとアンナのおなかに触れてくる。


「……俺の両親は、実の兄妹なんです」

「……は? だって、あなたはあの国の王子様では……?」

「表向きは、そうですが……俺の実の父は、すでに国王に嫁いでいた妹をさらって監禁し、その間に犯して孕ませたのだそうで。国王が見つけ出した時にはすでに、母の腹は大きくなっていたそうです……」

「そんな」

「実の父はその直後に処刑されました。そして俺は……」


 エヴァンが目を伏せる。肩が震えている。


「……父は国でも有数の魔術師でした。宮廷でも重宝されていた。その一方で黒魔術も研究していて……こっそりと残虐な実験も繰り返していたようです。俺は、そいつにそっくりらしいんです。心当たりがあります。戦場に立っていても、なんにも思わなかった……もし、この子に俺の狂った部分が受け継がれたら」

「大丈夫よ」


 どんなおそろしい告白を聞かされるのかとドキドキしていたが、そんなことか、とアンナは思った。


「あなたのご両親に関してはびっくりしたけど、だからといってあなたを嫌う理由にはならないわ。あらそうなの、くらいなの……ごめんね、もっとびっくりしたほうがよかった?」

「……気持ち悪くはないのですか?」

「あなたのご両親を知らないからなんとも。ただ、あなたが大人の都合に振り回されて、愛されてこなかったのはわかった」


 アンナはそう言うとエヴァンの頭を自分の胸元に抱き寄せた。


「どうしてあなたがメーアに惹かれたのかもわかった」

「アンナ」

「大丈夫よ、エヴァン。あなたはちゃんと愛を知っている。いいお父さんになるわ」

「どうしてそう言いきれるんですか」


 アンナの胸の中でエヴァンが不思議そうに問う。


「私があなたをいいお父さんとして躾けるからよ」

「……躾ける……」


 エヴァンがアンナの言葉を繰り返す。


「だから大丈夫よ。あなたはいいお父さんになる」

「いいお父さんって、どんなことをすればいいんでしょうね」

「毎日かわいいって言ってキスしてあげればいいのよ」

「……アンナにするみたいに?」

「そう、私にするみたいに。簡単でしょ?」


 アンナの言葉に、エヴァンがようやく目をあげて、微笑んだ。


「あなたと出会えてよかった。今、心底そう思いました」

「そう?」

「あなたは俺の女神です」

「では毎日崇めてくれなくてはいけないわね。……もう寝ましょう、エヴァン。何も心配しなくていいから」


 アンナの言葉にエヴァンが頷き、アンナを抱きこんで布団をかぶり直す。


 メーアに拾われた直後のエヴァンは、夜になるたびにうなされていた。その理由がわかって、エヴァンをいじめた人たちへの怒りがわいてきたが、あの国はとっくに滅びている。生きていてもきっとろくな人生は送れていないはずだと思い直した。

 あの人たちに直接復讐するよりも、エヴァンが幸せになることがずっと復讐になる。


 アンナは布団の中でエヴァンの体に頬をすり寄せた。

 それにどんな理由であれ、エヴァンをこの世に送り出してくれたことには感謝する。

 エヴァンがアンナを抱き締める。

 この腕の中は心地いい。


***


 翌年の夏、エヴァンとアンナ夫妻に女の子が産まれた。

 アンナそっくりの女の子に、後年、エヴァンはさんざん振り回されることになるのだった。

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