第13話 見つかる

 列車が急ブレーキをかける。

 突然のことに、アンナは座席から投げ出された。あわや前の座席に激突するところで、将校がアンナを抱き留める。

 周辺でも似たようなことが起きたらしく、あちこちで悲鳴や呻き声があがった。


「何が起きているんだ?」


 将校がアンナを座席に座らせ直し、立ち上がって窓の外を見る。


「……魔術師団の連中だな」


 将校の顔が険しくなる。

 アンナも窓の外を覗いてみた。黒いローブをまとった人間が何人か、立っているのが見えた。


「よくないことなのですか」


 黒く長いローブは戦場の魔術師の目印だ。


「国内で鉄道に検問を行うような事案は何もないはず。それならば我々にも情報が共有されるはずなのです。……つまり、魔術師団が独断で行っている可能性が高いということですよ。これは越権行為であり、魔術師団……ひいては軍の信頼を著しく傷つける行為です」


 将校が丁寧に説明してくれる。

 誰がなんのために。


 ――エヴァンが私を捜すために……。


 魔術師団のトップはエヴァンだ。

 そういえば南部行きの列車のダイヤは乱れていると、窓口で駅員が言っていた。

 あの男、一日足らずでアンナの足取りを掴み、南部に向かう列車を足止めしては中を確認していたのか。


 ――どこまで私のことをつきとめているのかしら。


 王宮の臨時バイトに応募する際、「アンナ・ベッセル」と名乗った。これは本名だし、王宮の仕事だからベッセル伯爵、つまり貴族と縁があることをアピールした方が採用されやすいと思ったからだ。両親の数少ない遺品であるベッセル家の紋章が入った指輪も持ち出しており、面接と実技テスト、プラスその指輪を見せることでアンナは臨時バイトに採用されたのだ。


 しかし「アンナ・ベッセル」本人はすでに戸籍が抹消されている。

 でなければ叔父夫婦が徹底的にアンナの存在を隠そうとする説明がつかない。


 ――もしかしてベッセル家に突撃して私のことを聞いた?


 エヴァンが聞いたところで叔父夫婦が話すわけがない。「アンナ・ベッセル」はすでに故人なのだから。


 ――ベッセル家の使用人を脅した?


 その可能性はある……。

 だからエヴァンは「メーア」の転生者が「アンナ・ベッセル」であることはつかんでいる……と見ていい。


 ――南部行きの列車を止めているということは、ソフィアにも接触済み、ということよね。


 ソフィアには口止めしておいたから、ソフィアではなくソフィアの両親……母親のほうに聞いた? それとも、力づくで聞き出した?

 そのことに気付いた途端、一気に心臓が冷えた。

 もしそうなら、どうしよう。


 昔ならいざ知らず、今のエヴァンはけっこう過激な手段に出る。それに拷問は戦場の魔術師の仕事でもある。エヴァンは人を脅すことに慣れているのだ、いやなことに。


 ――でもそこまでしかわかっていないから、エヴァンは南部ラストン行きの列車を止めて中を確認しているのよね?


 アンナの目的地、マクレガー農場のことまで聞き出せていたら、列車なんて止めないはずだ。ラストン駅か、マクレガー農場で張り込めばいい話だからだ。

 しかし列車を止めて確認するということは、見ればわかる、ということ……でもある。


 ――あれだけ前後不覚だったし、私をメーアと勘違いしていたから、私の顔なんて覚えていないと思っていたけれど、そうじゃないの?


 エヴァンは、メーアの現世の名前がアンナ・ベッセルであること、アンナの行き先が南部であること、アンナの顔まではわかっている。

 でもそこまでだ。

 列車を止めて捜しているということは、この列車を降りたら行き先がもうわからなくなるということ。


 ――ということは、ここで見つからなければいいってことね……。


 気持ち悪いを理由にトイレにでも立てこもろうか。

 そう思って立ち上がりかけた時、アンナの乗る車両のドアが開いて背の高い、黒いローブをまとった男が入ってきた。長い銀色の髪の毛、すらりとした体躯。顔は整って男らしく精悍。その目は鋭く、冷たい。


 アンナは急いで座り直し、顔を伏せた。

 エヴァンがゆっくりと座席を確認してまわる。人を捜しているのがわかる振る舞いだ。

 エヴァンが近付く。

 どうか見つかりませんように。


「どういうつもりだ、アルデバラン団長」


 祈る気持ちでいたアンナの前で、将校がエヴァンを呼び止める。


 ――なんでっ!?


 アンナは顔を伏せたまま、心の中で天を仰いだ。


「魔術師団が鉄道を止めるなど聞いていない。許可を取っているのか? 勝手にやっているのだとしたら、大変な越権行為だぞ」

「偶然だろうが笑えるな、情報部の少佐殿がこんなところにいるとは。許可など必要ない。緊急事態だからな」


 どうやら二人は顔見知りらしい。


「許可が必要ないなんて、どんな緊急事態なんだ。それならば私には知る権利がある」

「そんな権利は聞いたことがないな。東部戦線ではおまえたちだけで作戦決定なんてしょっちゅうだったが。実行するのは魔術師団にもかかわらず」

「それは戦場だからだ。ここは戦場ではない、国内だ」


 突然、将校が首を手で押さえて苦しみだした。

 はっとしてアンナは俯いたまま視線を上げ、将校の首を凝視した。

 ぎりぎりと目に見えない何かが将校の首を絞めている。周辺の皮膚がかすかに凹み、痕が浮かんでいる。

 魔力による物理攻撃だ。

 自国民に対して攻撃魔法を使っているのだ、エヴァンは。

 それはメーアが彼に対して強く禁止していたことだった。

 それなのに。


 怒りが沸き上がる。

 アンナは顔を伏せたまま、スカートの上で強く拳を握り締めた。

 だめだめ、気持ちを堪えなくちゃ。エヴァンに気付かれてしまう。


「ごちゃごちゃうるさい。こちらだって時間をかけたくはないんだ。おまえをここで永遠に黙らせてやってもいいんだぞ」

「……っ」


 将校の喉が変な音をたてる。


「どこをどうすればどう苦しむか、こっちは熟知しているんだ。拷問には慣れているからな。手を汚したくない誰かさんたちに代わり、さんざんやってきたから」


 エヴァンは怒りを隠さない。

 将校が呻き声をあげる。締め上げる力を強めたのだ。

 将校の首筋をぐるりと囲むように紫色の鬱血が浮かび始める。

 それを見た途端、ぶちっと音をたててアンナの堪忍袋の緒が切れた。


 先日といい、今日といい、なんなのだこの子は!

 私はちゃんと教えたのに!

 メーアに執着するわりには、メーアの教えは無視するんだな。いい度胸だ。


 顔を上げ、キッとエヴァンを睨みつける。

 エヴァンが、将校のはす向かいに座る娘の強い視線に気が付いて、こちらに目を向ける。


「魔力を消せ、エヴァン」


 アンナは立ち上がり、そんなエヴァンを睨み上げた。


「私はおまえを無礼者に育てた覚えはない。表へ出ろ。おまえの腐った性根、叩き直してやる」

「……メーア?」


 エヴァンが呆然と呟く。


「師匠と呼べと言っただろう」


 低い声で呟くと、アンナはエヴァンについてくるよう手で指示して、通路を歩き始めた。

 おとなしくエヴァンがついてくる。

 車両からデッキに出たところで立ち止まり、アンナは腕組みをしてエヴァンを振り返った。


「自分の振る舞いには気をつけろ。私はそう教えたはずだぞ。忘れたのか」


 エヴァンの顔から怪訝そうな表情が消え、代わりに戸惑いが浮かぶ。


「魔力は普通の人の目には見えないから、魔術師は野蛮人扱いされやすい。みだりに人前で魔術を見せるな、使うな。品位を保て。まして自国民に対して魔術を使うなど言語道断! なぜ私の言いつけを守らな……って、ちょっとぉぉぉぉっ!」


 凛々しい口調で説教していた途中から情けない悲鳴に変わったのには、理由がある。目の前の、アンナより頭ひとつぶん以上背が高い、魔術師というよりは魔力も扱える軍人といった風情の成人男性が、いきなり滂沱の涙を流し始めたからだ。


「メーアだ……あなたは間違いなくメーア」

「メーアじゃないし! 見ればわかるでしょ、どこがメーアなのよ。ものすっごい小さいじゃない!」


 アンナは自分の手を突き出した。

 エヴァンがその手を取って頬ずりする。


「なななななななにするのっ」


 慌てて手を引っ張ったが、エヴァンの力は強くて手を引っこ抜くことができない。


「確かに、小さくなりましたね。この手で拳骨を食らっても痛くなさそうだなぁ。メーアの拳骨は痛かった」

「そうよ、私はもうメーアじゃない。別人なの」

「でもメーアの記憶はある。あなたはメーアの転生者でしょう?」


 別人という部分を強調したつもりだったが、エヴァンには通じなかった。


「だとしても、私はメーアとして生きるつもりはないわよ。魔力もないし、だいたい、メーアは自分の人生を呪っていた。メーアに戻りたいわけがないわ」

「呪っていた?」


 それまでうっとりとアンナの手に頬ずりしていたエヴァンが、はっとしたように目を開ける。

 客車のほうからカタン、という音がした。エヴァンに手を取られたままアンナが目を向けると、まさに将校が客車からデッキに通じるドアを開けようとしていた。

 アンナがあわててエヴァンと場所を入れ替えて彼の姿を後ろに追いやるのと、将校がドアを開けるのは同時だった。


「お嬢さん、大丈夫ですか。アルデバランと何か……」

「大丈夫です、閣下。どうやら団長が捜していたのは私のようですので、ちょっとこの人と話をつけてきま……わあっ」


 またしても変な叫び声を上げることになったのは、エヴァンがアンナを抱えて車両のドアを開け、列車の外に飛び降りたからだ。


「アルデバラン! 貴様!」

「カストル、おまえは彼女と相席だったな。彼女の荷物を寄越せ。目的地には責任を持って送る」


 よく通る声はしっかりしていて、さっきまで泣いていたなんて信じられない。切り替えが早すぎない!?

 エヴァンに抱きかかえられたまま列車を見上げると、将校が迷っているような目付きでこちらを見ていた。


「閣下、荷物をお願いします。私は大丈夫です。この人と話をつけたら、目的地に向かいますから」


 アンナがたたみかけるように言うことでようやく納得できたのか、将校が客車にとって引き返し、アンナのトランクを持ってきた。

 エヴァンがアンナを抱えたままそのトランクを引き取る。

 騒ぎを聞きつけたのか、列車の外にいた魔術師たちが何人か集まってきていた。


「列車を動かすように指示しろ」


 エヴァンの声に魔術師の一人が反応し、列車の先頭方向へと走っていく。

 しばらくして列車の警笛が鳴り、カタンと音をたててゆっくり車輪が動き出す。エヴァンがアンナとトランクを抱えたまま、安全な場所まで下がる。

 ふと見ると、客車という客車から乗客が窓に張り付いてこちらを見ていた。

 アンナは慌てて顔を伏せた。


「どうかしましたか」


 エヴァンが聞く。


「今日中にはとんでもない騒ぎになるわよ。馬鹿じゃないの、あなた。どうして列車を止めたの。やりすぎだわ」

「駅だと人ごみに紛れたら捜し出せませんし、マクレガー農場に着いてしまったら手遅れになるかもしれませんのでね。どうしても移動中に確保したかったんです。それに、どう騒がれようと俺には関係ない。俺は、あなたが手に入ればそれでいいので」


 エヴァンの言い分にアンナは驚いた。アンナが予想していた以上にエヴァンはアンナのことを調べ上げていたようだ。話の内容からして、これは間違いなくソフィアたちを問い詰めている。


「手に入る? 私を手に入れてどうするつもりなの。それから、ソフィアたちに何をしたの。ひどいことをしていたら許さないわよ」

「神に誓って、あなたの友人には何もしていませんよ。……あなたのことは大切にします」

「私にそのつもりがない場合は?」

「……口説きます。その気になるまで」

「無理やりに、ということなら、私はあなたを軽蔑する」


 アンナの言葉にエヴァンはぎくりと体をこわばらせた。先日の出来事を思い出しているのだろう。


「団長、これからどうされますか」


 しばらくして、部下の一人であろう魔術師が声をかけてくる。


「参考人は確保した。戻る!」


 いったいなんの参考人になっているのやら。張りのある声で、エヴァンが指示を出す。そしてアンナは一度もエヴァンの腕の中から降ろされることなく、そのまま近くの転移門を使って、王都に逆戻りすることになった。

 魔術師しか使えない転移門だが、魔術師が抱えているものは一緒に通過できるのである。

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