第12話 ラストンへ

 翌日。

 アンナは宿の作業室でアイロンを借りてお仕着せにしっかりアイロンをかけ、きれいにたたむとそれを持って王宮に向かった。

 今日も気持ち悪さは健在だ。避妊薬が効いているということだろう。

 だからゆっくりとした動きになってしまう。


 門の守衛にお仕着せを返却しにきた旨を告げると、その場でお仕着せを預かってくれた。

 守衛に礼を述べて、元来た道を戻る。


 ――王都を楽しむ余裕なんてなかったなぁ……。


 アンナは久しぶりに王宮前の大通りを歩いてみることにした。今生では歩いたことがない。メーアでいたころはそれでも何度か訪れた。

 賑わいは十八年前とそんなに変わらないが、並んでいる店はずいぶんかわっている。


 ――あら……。


 その中になんだか見たことがある名前の雑貨屋を見つけた。もしかして……。


「いらっしゃい」


 奥から片足が義足のくたびれたシャツ姿のおじさんが顔を出す。

 思わず吹き出しそうになった。メーアの部下の一人だったからだ。十八年ぶん年を取っているが、昔の面影がそのまま残っている。


「何をお探しで? 靴紐一本から注文を承りますよ!」


 明るい性格もそのままだ。

 我慢できず、アンナは笑い出した。

 店主のおじさんは、それを自分の言い回しにウケたのだと理解したらしい。ひとしきり一緒に笑ったあと、店内を説明してくれる。

 いろんなものがあった。外国製品もたくさん。

 十八年前はこんなにいろいろと手に入らなかったように思う。

 この国は豊かになっているようだ。

 特にほしいものがあるわけではないが、気分転換に新しい財布をひとつ買った。


「まいどあり!」


 かつての部下にニコニコと見送られ、アンナは宿に向かった。

 荷物はどうせトランクひとつ。すべての荷物を詰め、忘れ物がないか確認し、部屋を出る。

 鍵を受け付けに返して中央駅に向かう。


***


 切符を買うために窓口に並んだら、南部行きの汽車は少しダイヤが乱れていると教えられた。

 目的地のラストンまでは六時間。到着する頃には日が暮れているだろう。現地では辻馬車を拾ってソフィアの実家まで行く予定だ。

 ソフィアの母には、電報で連絡を入れてあるからいつ訪ねても大丈夫と言われている。

 ソフィアの兄とはどんな人だろう。

 もう少し聞いておけばよかった。


 始発駅だけあり、少し前にホームに上がったがすでに列車は待機していた。ボイラーには火が入っているようで、煙突からは白い蒸気がほんの少し上がっている。

 いつ見ても黒塗りの蒸気機関車には圧倒される。

 長旅なので奮発して二等車の席だ。


 切符に指定された席を見つけて座ると、しばらくしてボックス席のはす向かい側に軍服姿の男性がやってきた。階級章から少佐だとわかる。メーアの記憶のおかげだが、戦場に立つ魔術師は軍隊からあまりよく思われていない。メーアも軍隊には苦手意識を持っていた。

 習い性でアンナは体をこわばらせた。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、お嬢さん。無辜の市民に偉そうにする気はありませんから。制服姿ですが私用なので、気を楽にされてください。時間がなくて着替えている暇がなかったんですよ」


 アンナの様子に気付き、軍帽を脱ぎ、将校が微笑む。


「いえ、ごめんなさい。軍の方を間近で見たことがなかったもので」


 正直に言うアンナに将校は「そうですか」と笑った。


 ――魔術師の見た目をしていなければ、軍人さんも優しくしてくれるのね。


 メーアの外見ではこうはいかなかっただろう。


 やがて定刻になり、南部行きの列車は中央駅を出発した。

 季節は秋の初め、まだ気温が高い。各席の窓が開けっぱなしになっているとはいえ、ほぼ満席の列車内は熱気でむっとしていた。


 窓側の席のアンナはまあまあ涼しい風に吹かれる場所にいるのだが、それでも三十分を過ぎたあたりでだんだん気持ち悪さが込み上げてくる。

 避妊薬の影響かもしれないし、熱気に酔ったのかもしれない。


 ――どうしよう、吐きそう……。


 体調は悪化の一途だ。まだ旅は始まったばかりなのに、このままラストンまで無事にたどり着けるだろうか。どこかで降りて休憩したほうがいいだろうか。

 そう思い始めた矢先だった。


「大丈夫ですか。顔色が真っ青だ」


 ボックス席のはす向かいに座る将校がアンナの異変に気付いて声をかける。


「ええ……大丈夫です、少し酔っただけですから」

「それなら、これを」


 将校が持参していたアタッシェケースを開けて中から小瓶を取り出す。

 贈り物用なのか、きれいにラッピングしてあった。


「ただの飴ですが、口の中に入れていると吐き気が抑えられます」


 将校が包みを解いてふたを開け、アンナに差し出す。


「よろしいのですか? これはどなたかへのお土産なのでは……」

「また買えばいいだけですよ。目の前で具合が悪くなっている娘さんに差し上げたのであれば、妻も怒らないでしょう」

「奥様へのお土産でしたか。それは……大変申し訳なく……」

「ほかにもいろいろ買い込んでいるから大丈夫ですよ。さあどうぞ」


 背に腹は代えられないので、アンナは手を伸ばして将校から小瓶を受け取った。

 顔を近づけると爽やかな柑橘のにおいがした。一粒つまみ出して口の中に入れる。甘酸っぱい味わいと清涼感が口の中に広がった。

 飴を口に入れた状態で窓に近付き、涼しい風に吹かれていると、確かに吐き気が落ち着いてきた。


「眠れるようでしたら少し眠るといい。どちらまで行かれるのですか? 私は終着駅まで行くので、起こしてあげますから」

「ラストンまでですけれど、そこまでは……でも、ありがとうございます」


 アンナは将校に微笑んだ。

 将校もまた微笑み返す。

 他意はない、気遣いにあふれた微笑みだった。

 目をやると、将校の左手の薬指には確かに指輪がはめられている。


 ――いいなあ……。


 素直にそう思えた。

 こんなふうに夫に想われてみたいものだ。

 脳裏にエヴァンの姿が浮かんで消えた。


 ――想われてはいる、けど……


 メーアの名前を連呼するエヴァンと結婚したら、つらいだけだと思う。

 人殺ししかできない自分を呪い続けていたメーア。

 普通の女の子に生まれ変われたのだから、メーアとは違う人生を歩みたい。

 そう思うのに心が迷うのは、メーアのせいだ。メーアはエヴァンへの恋心を忘れていない。


 ――だめだめ。私の求めている幸せとは程遠いわ。


 メーアの代用品なんてつらいだけ。

 早くラストンに行って新しい生活を始めなきゃ。

 エヴァンのことも忘れるのだ。彼もまた過去の人。「アンナ」には必要がない人。


 でもそれでは、エヴァンが救われない。


 ――どうしたらいいんだろう。


 ぼんやりそんなことを思いながら、アンナは背もたれに頭を預けて目を閉じた。

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