第14話 とらわれる 1

 予想はしていたが、連れて行かれたのは王宮ではなく、エヴァンの屋敷だった。


「さて、これはどういうことなのでしょうか。どうして私はあなたにつかまって、あなたのご自宅に連れてこられる羽目になったのでしょう? 私には私の都合があるんですよ。ご説明願えますか、アルデバラン閣下」


 屋敷には通いの家政婦しかおらず、しかもわざわざ呼ばない限りは誰もやってこないのだという。つまりは無人の屋敷の応接間にて、アンナはエヴァンを睨んだ。

 エヴァンがカーテンと窓を開け、応接間に明かりと風を入れる。

 時刻はまだ昼下がり。

 開け放した窓から、初秋の爽やかな風が吹き込む。


「その前に、あなたに謝罪を。先日……祝賀会の夜は大変申し訳ないことを。毒を盛られていたとはいえ、あなたに非礼を働いてしまったことを猛省しております。ただ、本当に誰でもよかったわけではなく、あなただからあのような行動をとってしまいまったことは申し添えておきます」


 殊勝な口調でエヴァンが切り出す。


「あなたのおかげで、『エロスの矢』が解毒でき、俺自身の名誉が守られたことは本当に感謝しています」

「それはよかったですわ、閣下。お役に立てて何よりです」

「それからこれを」


 差し出された黒いリボンに、アンナは目をやった。

 やはりエヴァンのもとに落としていたのだ。

 手を差し出すと、エヴァンがそっとアンナの手のひらにリボンを乗せてくる。


「このリボンのおかげであなたにたどり着けました。これがなかったらあなたにたどり着けなかった」

「……拾ってくださっていたのですね。ありがとうございます」


 リボンをポケットにしまい込んで平坦な声で答える。

 よくこんなリボン一本でアンナを見つけ出したものだ。特徴のない、どこにでも売っているリボンなのに。


「そんな堅苦しい呼び方はやめてください。いつもの通りエヴァンでけっこうです」


 エヴァンが穏やかな口調で言う。

 祝賀会や、部下たちの前で見せた厳しい団長の姿とは違う。メーアが覚えているエヴァンに近い。

 いくつもの姿を演じ分けられるようになるとは、エヴァンも大人になったものだ。


「いつも通りって……私がいつ、あなたのことを呼び捨てにしました?」

「さっき、呼び捨てにされました」


 ニコニコとエヴァンが言う。

 そういえばそうだった。


「ご存じないかもしれませんので、一応自己紹介いたしますね。私はアンナ・ベッセル、ベッセル伯爵の遠縁にあたりますが貴族ではありません。魔術師団長であるアルデバラン閣下を名前で呼ぶことはできない立場です」

「現世のあなたも俺の名を呼んでも差し支えない立場でしょう。俺が何も知らないとでも思っていますか、アンナ?」


 窓を開け終えたエヴァンが、窓辺から応接間の真ん中に突っ立っているアンナを振り返る。


「あなたはアンナ・ベッセル、前のベッセル伯爵の一人娘。戸籍は抹消されていますから、現ベッセル伯爵の縁者という表現は間違いではありませんが。おそらく現ベッセル伯爵が事故死した兄から爵位と財産を継ぐ際に、あなたの存在が邪魔になって、兄夫婦とともに死去したことにしたのでしょう。……あなたへの不当な扱いには目に余るものがあります。このあたりは俺の力でどうとでもできますが」


「しなくてもかまいません。私が伯爵令嬢として生きていくには後ろ盾が必要です。叔父様が私の後ろ盾になってくれるとは思わない。今さら貴族には戻れないのよ。第一、令嬢としての教育は何ひとつ受けていないし」


 アンナの告白にエヴァンは苦しそうに顔を歪める。


「では、アルデバラン閣下。ご説明願えますか?」


 改めて言う。


「エヴァンと呼んでください。それから、その他人行儀な口調もやめてください。でなければ説明はできません」


 じっと銀色の瞳に見つめられ、アンナはため息をついた。

 そういえばエヴァンには強情な一面もあった。課題を与えたらできるまでやめないのだ。あの時は、この真面目さは美点と思ったけれど、強情とも言い換えられたか。

 魔力がこぼれていない状態なら、エヴァンの瞳から魔力が失われていることはわからない。


「……では、エヴァン。説明をして。私にわかるように」


***


 事の始まりは、十八年前。

 味方に裏切られ敵に囲まれ、メーアがエヴァンを逃がしたところから始まる。

 メーアの王宮にある屋敷で黒魔術の知識を得ていたエヴァンは、一か八かの賭けでメーアの転生を試みた。


 成功するかどうかわからない。代償に何を失うのかもわからない。

 結果として失ったのは魔力を視る目。


「魔力が視えないのは不便ですね。あなたの気配すらまったくわからない」


 メーアの安否も行方もわからない。 

 魔力は視えなくなったがほかは無事だったから、メーア亡きあと、エヴァンは他の戦場の魔術師に保護を求めた。実は魔力を持っており、メーアから魔術を教わっていた、自分も戦場の魔術師になりたいと訴えたため、国から保護されたうえに、魔術師の学校にも通えた。

 そして戦場の魔術師の試験にパスしてからは、その他の魔術師と同様に戦場に立ち続けた。


***


「戦場の魔術師として名をあげたかったのは、権力と情報網がほしかったからです。あなたを捜すのに都合がよかったから。メーアはこの国を守るという正義感を持って戦っていましたが、俺にはそういうものはない。……軽蔑しますか」


 慣れた手つきで淹れたお茶を、ソファに座っているアンナの前のテーブルに置きながら、エヴァンが静かにたずねてくる。


「しないわ」


 アンナは首を振った。

 暑苦しいと言ってエヴァンはローブとその下の軍服の上着を脱ぎ、応接間のソファのひとつに放り投げていた。一人暮らしが長いので、お茶は上手に淹れられるようになったそうだ。


「しないけど……あなたが戦場の魔術師を選んだのは、私……メーアのせいなの? 私が魔術を教えたから、魔術師になろうと?」

「そういえばメーアは俺に、魔力を持っていることは秘密にしておくように言っていましたよね。なのに魔術を教えるんですから、矛盾もいいところだ。……俺の魔力の強さと、この国での魔術師の扱いを知っているから、悩んでいたのでしょう?」


 図星を指され、顔が赤くなる。

 わずか十四歳の子どもにこうまで的確に心の内を見抜かれているなんて、大人としての面子が丸つぶれだ。


「メーアはあんまり関係がないです。転生したメーアを捜すのには魔術師が好都合だと思ったからですよ」


 自身もカップにお茶を注ぎ、エヴァンがアンナの正面に座る。


「……あなたは、いつから、わた……メーアのことが好きだったの?」


 質問の内容柄、エヴァンの顔が見づらくて、アンナはカップを手に取り、お茶を見つめながらたずねた。


「最初からです」

「あなたは十二歳だったわよ。メーアは……確か、二十四歳、ね」

「あの年頃は、きれいなお姉さんに憧れるものですよ。あなたにもそういう時期があったのではありませんか?」

「……生きるのに必死で、そんな気持ちになったことはないわね」


 メーアは確かその年頃で乱暴され、大ケガをしたはずだ。大人の男性は怖くてしばらく近付けなかった。魔術が使えるようになってようやく、恐怖から苦手になったくらいだ。

 このあたりの記憶は転生効果か、実感がなくなっている。前世はこの時のトラウマに悩まされ続けたものだけれど。

 思えば、メーアがエヴァンの性別を知っても苦手意識を抱かなかったのは、見た目が自分より幼かったからだろう。


「俺は父親のわからない不貞の子だから、あまりきれいな育ち方をしていないんです。これはあなたもうっすら気付いていたんじゃないですか?」


 突然の告白に、アンナはおずおずと頷いた。

 連れてこられた直後のエヴァンは眠れなくて困っていたし、うとうとしたかと思うとうなされては起きる、ということを繰り返していた。その様子やうわごとから、そうとうひどい虐待を受けてきたことは察していた。背中の傷も虐待で受けたものだともわかっていた。


 エヴァンの過去については聞いていない。人に話すことで楽になる人もいるが、知られないことで平常心を保てる人間もいるのだ。メーアのように。

 話したいことがあるなら聞いてあげる。メーアはエヴァンにそう伝えていたが、エヴァンが過去について口を開くことはなかった。


「俺にあそこまで優しくしてくれたのは、あなた……メーア……が、初めてだったんです。それにあなたは強くて、厳しくて、俺を導こうとしてくれた。あなたが俺を思っていろいろ言ってくれるのが本当に嬉しかった。あなたは俺のことを生きていてもいい存在だと思ってくれているんだ、と。……だから俺は、あなたの特別になりたかった」


「……」


「でもメーアはずっと俺を子ども扱いしていて、それが悔しかった。まあ、しかたないですけどね。あの頃の俺はメーアより背が小さかったし、魔術だってまともに使えなかった」


「……」


「早く大人になりたかった。あなたに認められるような、あなたを守れるような、強い存在になりたかった。だって、メーアはみんなを守ってばかりで、人に守られたことがないでしょう。ずっとみんなの盾になっていた。みんなはあなたを守ってくれないのに。メーアは傷ついていた。弱いところは人に見せない人でしたけど、俺は同類だからわかりました」


 ――私、エヴァンの見た目に騙されていたんだわ。


 エヴァンは小柄で華奢だった。見た目の幼さゆえに頼りなさそうに見えていたから、何も知らない子どもに対する態度をとっていたように思う。でもエヴァンはメーアが思う以上に、いろんなことを見抜いていたようだ。


 ――確かにエヴァンは賢かったわ。


「あなたが勉強熱心だったのは、そういうことだったのね。向上心が旺盛なのは、自分を守るものがほしいのかと思っていた」


 当時のエヴァンを思い出しながら、アンナはお茶を一口飲んだ。

 ふくよかな香りが口いっぱいに広がる。いいお茶を出してくれたようだ。飲んでみて気が付いたが、ずいぶん喉が渇いていたみたい。

 ぐいぐいとお茶を飲むアンナに、エヴァンが微笑む。


「お気に召されましたか? おかわりならいくらでもあるので、遠慮なく」

「ありがとう」


 ティーポットを掲げられたら断るわけにもいかず、アンナは空になったカップをソーサーに戻した。

 エヴァンがおかわりを注いでくれる。

 じっとこちらを見ているのでしかたなく、二杯目を何口か飲む。

 二杯目もおいしかった。香りが濃厚で、後味に苦みがない。本当にいい茶葉だ。こんなにいいお茶を飲むのは初めての気がする。


「そういう理由で、俺はあなたのことを好きになったんです。好きだから、死なせたくなかった」

「ひとつ聞くけれど、私を転生させたのは、自分のものにするため?」


 静かに問うと、


「……若くして死ななければならなかったあなたに、もう一度、ちゃんと生きてほしかったんです。あなたは戦場の魔術師としての栄誉を手にはしましたが、それはあなたの望むものではなかったはずです。あなたが本当にほしかったものは別にある。あなたはいろんなものを犠牲にして、我慢して、死んでいきました。俺はそれが我慢ならなかった。あなたにはちゃんと生きて、ほしいものを手に入れてほしかった」


 少し考えて、エヴァンが答える。


「あとは単純に、もう一度、会いたかったんです。突然のことだったから、俺は、あなたにお礼の一言も言えなかった。あんなに優しくしてもらえたのに、俺は何も返せなかった。それだけは本当に心残りだった」


 お茶に手を付けることなく項垂れ、エヴァンは顔を覆った。


 アンナは飲みかけていたティーカップをテーブルに戻して立ち上がると、そんなエヴァンに歩みより、そっと銀色の髪の毛に手を置いた。ゆっくりと頭を撫でる。


「お礼なんていらないよ、エヴァン。あなたがいてくれたおかげで、私も楽しかった。戦場の魔術師なんてかっこよく呼ばれても、結局私たちの仕事は人殺しでしょ。人を殺すほど、褒められる。心がすさまないほうがおかしい。あなたがいてくれたから、私は正気でいられた。お礼を言うのは私のほうよ」


 アンナの言葉に、エヴァンは小さく呻いた。


「私を気遣ってくれてありがとう。私を大切に思ってくれて、ありがとう。……自分が転生していることに気付いたのは偶然だった。事故に巻き込まれたのよ……両親は死んだけれど、私は生き残った。あの時に思い出したの」


 エヴァンの頭をなでながら、アンナは記憶をたどった。


「死んだことにされたり、下女扱いされたり、私は確かにちょっと恵まれていないけど、だからといって不幸だったわけではないのよ。メーアの記憶があったから、わりと平気というか、メーアよりはずっといいかな、と思っていたし……」


 記憶がよみがえったばかりの頃は怖くてたまらなかったメーアの過去も、時間がたつほどに実感が薄れて他人事のような感覚になってきている。


「なぜ前世の記憶があるのか、なぜメーアは生まれ変わったのか、わからなかった。でも、生まれ変わりには意味があると思ったの。……あなたの力だったのね」

「ええ」

「あなたはメーアを死なせたくなくて転生させたよね」

「そうです」

「メーアに生きてほしかったのよね」

「ええ」

「残念だけど私はメーアではない。私はメーアに戻るつもりはないわ。メーアの記憶がよみがえって、つくづく思ったの。私はメーアみたいになりたくない、って。逆か、メーア自身がメーアとは違う人生を歩みたいと思ったのよ」


 奪われ、我慢し続け、ほしいものは決して手に入らない。

 恋でさえも、メーアは我慢を強いられた。

 そんな人生を繰り返すつもりはない。

 恋だってそう。好きになっても大丈夫な人を好きになりたい。


「私はもう我慢しない。ほしいものを手に入れるために全力を尽くしたい。私は、メーアが手に入れられなかった幸せを手に入れたい」

「ええ、俺もそれを願っています」

「だから、ここでお別れしましょう、エヴァン」


 アンナはエヴァンの頭から手を離した。

 エヴァンがバッと顔を上げる。切れ長の目が驚いたように見開かれていた。

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