第9話 食事会

 アンナが目を覚ました時には、部屋はすっかり夕闇に沈んでいた。

 これは、ヤバイ!


 慌てて起きるとテーブルの上に投げていた食べ物を口に入れ、ボトルの水を飲んだ。

 気持ちの悪さは少しだけ軽減されているような気がするが、今度は頭が重くてしかたがない。でもソフィアの厚意を無駄にはできない。

 部屋に鍵をかけ、鍵をフロントに預けて通りに出る。辻馬車を拾い、ソフィアに教えられた場所まで行ってもらった。

 ベッセル家のタウンハウスほどではないが、立派なお屋敷だった。

 ドアを叩き、出てきた使用人に要件を告げる。しばらくしたらソフィアが姿を現した。


「よく来てくれたわ! さあ、入って。両親にもあなたの話をしていたところよ」

「ありがとう」


 そのままアンナは、ソフィアの家の夕食に招かれた。

 ソフィアの両親はアンナの生まれや立場について根掘り葉掘り聞いてきた。

 アンナとしては「ベッセル家の遠縁で、両親が亡くなったあと、ベッセル伯爵に拾われて世話になった」としか言いようがない。ソフィアにもそう説明していた。


「じゃあ、アンナさんはベッセル家とはもう関わりがないのね?」


 ソフィアの母親が改めて聞く。


「ええ、ありません」

「あなたを我が家で雇っても、ベッセル伯爵から文句を言われるようなことは?」

「ありません」


 きっぱり言いきれるのには根拠がある。

 叔父夫婦はアンナの存在を、親戚やアンナの両親を知る人たちに見られないように、細心の注意を払っていた。

 ベッセル伯爵令嬢アンナはすでに故人になっているのだと思う。

 生きていたらアンナにはいくらか両親の残した財産を渡さなくてはならないからだ。「金がかかる」という理由でアンナを伯爵令嬢として育てることをやめ、無給で下女として使ってきた人たちである。

 いない人間として扱われているのだから、本当に消えたからといって文句を言うわけがない。


「そう、よかったわ。私たちは南部で農場をやっていて、事務ができる子を捜していたのよ。あなたのようにしっかりしたお嬢さんなら大丈夫ね」


 どうやらこの食事会はアンナの面接を兼ねていたらしい。

 合格点をもらえたのならよかった。


 滞在費がもったいないので、明日にはその農場にアンナが一人で向かうことになった。「せっかく見つかった人材を逃がしてはいけない」とばかりに、ソフィアの母親からは南部までの旅費に「支度金」として、いくらか上乗せしたお金を渡された。

 お金はなんぼあっても困らない。

 アンナはありがたくいただくことにした。


 ソフィアの生家、マクレガー家は、王都ではソフィアの両親が営業と人脈づくりに奔走し、ソフィアの兄が農場を切り盛りしているらしい。ソフィアは教養をつけるためと嫁入り先探しのために王都の学校に通っている。

 典型的な豪農の一家だ。

 アンナはソフィアの兄の手伝いとして雇われるようだ。


 ――つまりそういうことなのかな?


 食事会が終わるころには、なんとなく察しがついてきたけれど、仕事がほしいので四の五の言っていられない。

 それにもしかしたら素敵な人かもしれない。

 豪農の息子ならアンナの「平和な人生」の伴侶として申し分ない。農場の嫁がどんなものなのかはよくわからないが、貴族の屋敷で八年も下女をしていたのだから我慢強さと根性には自信がある。


 どうしてもいやなら……逃げ出せばいいだけの話だ。

 今のアンナにはしがらみがない。

 一人ぼっちの不安さは、メーアの記憶が消してくれる。メーアの記憶があってよかった。子どもの頃はこわいばっかりで、メーアの記憶なんていらないと思っていたものだけれど。


「ところでアンナ、あなたのことをアルデバラン団長が捜していたわよ」


 食事会を終え、玄関先で辻馬車を呼んでもらっている間、見送りに出てきたソフィアがふと口を開いた。


「団長が?」

「そう。たぶんあなたのことだと思う。午前中、あなたが帰ったあとに団長がいらっしゃって、昨日の夜に姿を消して戻ってこなかったメイドか、今日は体調がすぐれないメイドはいないかって。黒いリボンも持っていたわよ。あなたも確かにリボンをどこかで落としたと言っていたでしょ? これは間違いなくアンナのことだと思うわ」

「……それ、団長に教えた? 私だって」

「たぶん、メイド長が答えたと思う。私は近くにいたけれど、やり取りの全部は聞き取れなかったのよね」


 ――エヴァンは昨日の娘が私だと気が付いたんだ……。


 アンナは名乗っていない。昨日のエヴァンの状態なら、顔だって覚えていないだろう。


 ――なくしたリボンから私にたどりつたというの?


 エヴァンの目は魔力が視えない。追跡しようがないはず。

 どこからどうやって自分にたどり着いたのだろう。

 いやそんなことはどうでもいい。

 エヴァンの立場なら、アンナを見つけ出すのも問題だ。

 エヴァンはアンナがメーアの転生者だと知っている。

 エヴァンはメーアに執着しているから、見つかったら絶対に面倒なことになる。

 あの夜の感じだと、囲われそうな気がする。囲われたら、どうなるんだろう?


 ――「メーア」としてかわいがられるわよね、うん。


 メーアの記憶は持っているけれど、自分はメーアなのかと言われたら、違うのだ。自分はアンナ。

 これはメーア自身が望んだことだ。

 メーアは自分の人生を呪っていた。生まれ変わったのだから、メーアとは違う人生を送りたい。 

 エヴァンにつかまったら、メーアの身代わりをさせられる。

 それでは「アンナ」がかわいそうだ。なんのために生まれ変わったのかわからない。


 ここにいるアンナは、メーアが願った姿なのだ。

 メーアは「普通」に憧れていた。魔力がなくて、小柄で、誰からも愛されるような。今のアンナが「誰からも愛される」女の子かというとそこはわからないが、少なくともメーアの望みである「普通の女の子としての人生」を送れる。

 エヴァンに見つかると、アンナは否定され、メーアに戻されてしまう。

 やっぱりエヴァンに見つかるわけにはいかない。


「アンナ、おなかを壊してトイレにこもっていたって言ったけど、団長はあなたにお世話になったっておっしゃっていたわよ。お礼を言う前にいなくなっちゃったって」

「……おなかが痛かったんだからしかたがないわよね。まさかおなかが痛いんです今すぐお手洗いに行かせてくださいとも言えないし」


 アンナがそう言うと、ソフィアが声をあげて笑った。


「いったい何があったの?」

「たいしたことじゃないわ、ただ……たぶん、団長はお酒に酔われていたのよ。それで外で眠っちゃったみたいで、お手洗いに行く途中に私が気付いたの。それで起こしてあげただけ……おなかが痛かったからそのままお手洗いにこもっていた、というのが真相ね」

「へえ! それで体調が悪いメイドなのね」


 その時ちょうど、辻馬車が玄関先に現れた。


「もし団長が私のことを聞きにきても、知らぬ存ぜぬを通してね。お礼を言われるようなことは何もしていないし、どちらかというと、あんな有名な人には関わりたくないの。……おなかをこわしていたというのも、知られたくないし」

「それもそうね」


 アンナのお願いに、ソフィアが頷いた。


「両親は収穫時期に農場に戻るけれど、私が戻るのは冬休みね。その時に会いましょう」

「何から何までありがとう、ソフィア」


 ソフィアに別れを告げて馬車に乗る。

 御者に宿の名を告げて、アンナはふう、と大きく息を吐いた。


 エヴァンのメーアを求める悲痛な叫びは耳に残っているけれど、だからといって自分がメーアの代用品をつとめるのは何か違う。それでは二人とも幸せにはなれない。

 エヴァンは、どうしてもメーアではないアンナに満足できるだろうか?

 アンナも、メーアの代用品として求められ続けることに心が耐えられるだろうか?

 答えは否だ。


 エヴァンがほしいものはとっくに失われているし、アンナがほしいものはエヴァンからは得られない。

 それでもあの夜のエヴァンが頭から離れない。

 メーアの名を呼び、いったい何度、好きだと愛しているを繰り返したことか。


 メーアが死んで十八年。

 エヴァンのことを気にしているのはメーアであって私ではない。

 エヴァン同様、過去の亡霊にとらわれているだけ。


 ――幸せになるためにも、忘れなきゃ……。


 窓の外を見つめながら、アンナはぎゅっとスカートを握り締めた。

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