第8話 追跡開始

 軍服にローブをまとったエヴァンは、大勢の人たちが片付けに奔走している大広間を見つめていた。

 そこで気が付いたことがある。

 メイドたちは一様に黒いリボンで髪の毛をまとめている。

 エヴァンは手の中の黒いリボンを握り締めた。


「何かお忘れ物でございますか?」


 メイド長がエヴァンに気付いて近づき、たずねる。察するに、彼女が片付けの総責任者なのだろう。


「人を探している」


 エヴァンは横柄に答えた。

 メーアの前では「素直で明るい少年」の仮面をかぶっていたが、エヴァンのもともとの性格はこんな感じだ。


「誰を、でしょうか」

「昨日の夜に姿を消して戻ってこなかったメイドか、今日は体調がすぐれないメイドはいるか?」


 試しに聞いてみると、


「ああ、そういえば。一名だけそのような者が」


 メイド長が答える。


「本当か!」


 エヴァンは驚いて聞き返した。

 こんなにすぐに見つかるとは思っていなかった。


「その娘は、リボンをなくさなかったか?」

「そういえば……そうですね、昨夜、どこかで落としたようなことを言っておりました」

「その落としたリボンというのは、これか?」


 エヴァンが手のひらを開き、リボンを見せる。


「メイドが使うリボンによく似ておりますが、その者がなくしたものかどうかはわかりかねます」

「その者の名は? ここに呼ぶことは可能か?」

「その者が何か、アルデバラン閣下に粗相でも……?」


 メイド長の顔つきが険しくなる。


「そうではない。ただ、私が昨夜少し迷惑をかけたので謝りたいだけだ。さっさと姿を消してしまったので、礼を言いそびれた。世話になりながら礼のひとつも言わないのは、私の流儀に反する」

「そうでしたか。しかし申し訳ございません、その娘は本日、体調不良につき、すでに帰しました」


 喜んだのも束の間、メイド長の言葉はエヴァンの期待を裏切るもので。

 そう簡単に、メーアの転生者にはたどり着けないらしい。


 だが昨夜から姿を消し、今朝も体調不良を起こしていた娘は実在する。

 そしてその娘はエヴァンの部屋にリボンを落としていった。


 メイド長から娘の名を聞き出し、「賃金の支払いが必要だから、主計局に行けば個人データが残っているはず」という言葉を信じて主計局に駆け込む。

 その娘への賃金支払いは済んでおり、娘はすでに王宮を去ったあとだという。

 担当者から名簿を奪い取り、エヴァンはそこに書かれた名前を見つめた。


 アンナ・ベッセル ベッセル伯爵家の下女 十八歳


 年齢は合う。

 昨日の夜から行方不明で、今朝は体調不良。

 そして黒いリボンをなくした娘。


 間違いない。この娘こそメーアの転生者。


 メーアの現世の名は、アンナというのか。

 アンナ、アンナ。口の中で呟いてみる。

 かわいい響きだ。

 ところで気になるのは、その苗字だ。


 ――ベッセル伯爵家の下女なのに、苗字はベッセルなのか?


 まあ、貴族の屋敷にはいろいろと不可解な出来事が発生するものだ。

 ベッセル伯爵のもとを訪れてみればいい。すでに社交シーズンは終わりを迎えているため、王都を離れている可能性は高いが、転移門を使えば日帰りできる。


 転移門は魔術師が高速移動するために作った門で、国内の各地に設置してある。魔力を持った人間しか使えないから、魔術師専用の移動ツールだ。

 それにしても、祝賀会のために集められた臨時バイトの賃金とは、こんなに安いものなのか。

 この国の不敗神話を作った立役者だぞ、メーアは。こんなはした金で下働きをさせていい存在ではない。


 苛立ちを隠すことなくエヴァンはローブの裾を翻すと、王宮の敷地内にある魔術師団の建物に向かった。


 魔術師団長の登場に、そこにいた魔術師たちが一斉に居住まいを正す。

 祝賀会の翌日に団長が顔を出すとは思わなかったのだろう。


「少し調べてほしい人物がいるのだが」


 エヴァンはそこにいた事務官の女性に切り出した。


***


 魔法師団の事務官は有能だったが、アンナの情報をまとめあげるのに午前中いっぱいかかった。

 エヴァンは部屋の片隅からいらいらしながら事務官を睨みつけていた。

 目が合うたびに事務官がビクリとなる。

 団長が不機嫌さを隠さないことに、近くにいた魔術師たちがそそくさと部屋を出ていく。部屋には事務官とエヴァンの二人だけになり、事務官の顔色がどんどん悪くなっていくのがわかったが、エヴァンとしてはそれどころではない。


 ――いつまでかかるんだ?


 だが名前はもうわかっている。今日中に見つけられるはずだ。

 まずは謝罪。それから求婚。

 頷いてくれるだろうか。

 いや、頷かせなくてはならない。

 何があっても彼女を妻にするのだ。


 ――妻……いい響きだな……。


 下女というからには、アンナは苦労しているはずだ。結婚したらベッタベタに甘やかそう。こちとら地位と財力だけは無駄にあるのだ。

 結婚記念日と誕生日には必ずプレゼントを贈る。見返りは口づけだけでいい。

 普段女性扱いされていなかったメーアであれば、花やちょっとしたアクセサリーなど、女の子へのささやかなプレゼントにとんでもなく喜ぶのだが、アンナはどうだろう。

 アンナに聞かないと。いやその前に。


 ――……口説くほうが先だよな?


 アンナに前世の記憶があったところで、エヴァンのイメージは「年下の弟子」のままの可能性は高い。

 もう頼りない年下ではないことを示さなくては。

 ところで、ここで問題がひとつ。実は、女性を口説いたことがない。

 何をどうすれば女性を口説けるのだろうか。今までガン無視してきた分野なだけに、なんの知識もない。これは困った。


 ……などと、妄想が暴走していることなどわかるはずもない事務官は、怖い目付きで黙り込んでいるエヴァンの姿にびくびくしながら仕事をする羽目になった。


 イライラしながら待つこと二時間ほど。

 昼前、各所に問い合わせていた「アンナ・ベッセル」についての情報が集まった。

 団長室でお昼だからと差し入れられた軽食をつまみつつ、事務官に渡された書類を隅から隅まで眺める。


 アンナ・ベッセルについてわかったこと。

 ベッセル伯爵には二人の娘がいるが、「アンナ」の名前はない。

 今のベッセル伯爵は、今から八年ほど前に兄である前伯爵の急逝を受けて爵位を継いだ。前伯爵には娘がいた。その娘の名前が「アンナ」

 だがこの娘は前伯爵夫妻とともに旅行先で事故に巻き込まれ、亡くなったことになっている。

 生きていれば十八歳だ。


 その娘と同じ名前、同い年の下女。


 剣呑な目つきで調査書を執務机の引き出しに放り込むと、エヴァンは立ち上がった。

 事務官が昼休みの終わりに団長室をのぞいた時にはすでに、エヴァンの姿はそこにはなかった。 

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