第7話 エヴァンの過去

 長い銀色の髪の毛を後ろで緩く束ね、軍服の上に魔術師の証である黒いローブを羽織る。

 王宮内なので帯剣はしない。

 エヴァンはいつも通りのかっこうで、長い王宮の廊下を歩いていた。向かう先は昨夜の祝賀会の会場である大広間だ。


 すれ違う王宮メイドたちが頭を下げる。

 彼女たちがあとで自分の話をすることを、エヴァンは知っている。

 自分の見た目のよさは自覚済みだ。

 嬉しいと思ったことはない。

 この外見は恐ろしいほど実父にそっくりらしい。

 外見も、魔力の強さも、実父に生き写しなのだそうだ。


 父はその魔力の強さと見た目の美しさで多くの人々を魅了し、あやつり、ほしいものを手に入れ――最後は自滅した。今は存在しない祖国で、エヴァンはその父がばらまいた災厄のひとつとして扱われてきた。

 

***


 エヴァンの両親はこの国に滅ぼされた国の国王夫妻だが、エヴァンは母親の不貞によって生まれてきた。表向きは父親がわからないことになっているが、それが母親の実の兄であることは周知の事実ゆえに生まれてきたことすら隠されている、「いてはいけない子」だった。


 この兄という人物がかなりくせもので、国で最も強い魔力の持ち主であり、国の要職に就いていたにもかかわらず、その魔力を使って黒魔術を研究し、おそろしい実験を繰り返したあげく、国家転覆をはかったとして、こっそり処刑されている。こっそりなのは、周囲への影響を考えてのことだった。

 エヴァンが殺されなかったのは、エヴァンに父親譲りの強い魔力があったからだ。


 エヴァンの祖国では、強い魔力こそ正義とされてきた。メーアの国での魔術師は、魔力を物理攻撃にしか変換しないが、エヴァンの祖国では、様々な機械を動かす動力源として魔力が使われていた。

 他民族との交流を制限し、同民族だけで交配を繰り返した結果、国民のほとんどが魔力を持てるようになったのも、メーアの国とは違うところだ。

 その魔力を取り出すための装置もばっちり開発済みだった。


 エヴァンは小さい頃から鎖につながれ、動力源として魔力を搾り取られてきた。エヴァン自身は魔力の使い方を知らないが、どうやら自分の魔力は桁外れらしい、ということは察していた。

 でも体調によっては出力が上がらないこともある。そんな時は鞭で打たれた。痛みを感じると瞬間的に大きな魔力が放出されるからだ。


 一度だけ、高熱を出した時は鞭では効果が出なかった。

 その時は熱湯をかけられた。

 かけてきたのは長兄だ。

 ニヤニヤと笑いながら熱湯をかける兄には、エヴァンを蔑む以外の感情は見られなかった。


 なぜ自分は生まれてきたのだろう。鎖でつながれ鞭で殴られるため? 魔力を搾り取られるため?

 兄や姉は大勢の使用人にかしずかれきれいな服を着て贅沢に暮らしているのに、自分はボロ一枚をまとって王宮の地下に閉じ込められているなんて、あまりにも不公平だ。


 唯一の救いは世話係である中年の下女がエヴァンに同情的で、世話や手当のついでに外の様子や、文字の読み方、この世には優しく接してくれる人もいるのだということを教えてくれたことだ。

 そのせいで外への憧れや、人の優しさへの渇望がより強まってしまったけれども。


 早く死にたい。殺してほしい。

 死んだら魂だけになって、自由に空が飛べるらしい。

 自由に空を飛んでみたいな。鎖は嫌いだ。薄暗い地下は嫌いだ。


 そんな日々は突然終わりを告げる。

 隣国が突然攻め込んできたのだ。もちろんこの国は応戦したが、まったくかなわなかった。悪夢のような強さの兵器が一撃でこの国の都市を吹き飛ばし、大勢の兵士たちが人々を一方的に蹂躙し、国土はあっというまに制圧され、王宮も焼け落ちた。


 その直前、エヴァンは家族(?)によって地下から連れ出され、きれいな服を着せられた。いわく、「王族が一人も残らず逃げ出したとなると体裁が悪い」とのこと。どうやら彼らのくだらないプライドのためにエヴァンが生贄に選ばれたらしかった。


 強い魔力を持っていても使い方がわからないエヴァンは、抵抗する方法も逃げ出す方法もわからない。言われるがまま、女の子のかっこうをさせられ、鎖につながれて置き去りにされた。

 隣国の兵士は鎖につながれているものの明らかに身分が高そうなエヴァンに困惑しつつ、つかまえて、将軍の前に連れていった。


 将軍は若くて美しい青年だった。長い黒髪を頭の上で束ね、背中に流している。切れ長で涼しげな目元、整った顔立ち、薄い唇。黒い軍服のうえに黒いローブをまとっている。エヴァンは魔力が使えないけれど魔力を察知することはできる。将軍は、ものすごく強い魔力を持っている。この国を滅ぼしたのはこの人だろう。すぐにわかった。


 自分はこの将軍の慰み者にされるのだろうか?

 最後まであのクソみたいな家族の犠牲になるのか?

 それはいやだ。いやだから、最後くらいは顔をあげて、自分らしい最期を迎えたい。

 だからエヴァンは、将軍に対して一度も頭を下げなかった。


 それが、メーア。

 将軍ではなく、「死神」と呼ばれる戦場の魔術師。


 メーアはエヴァンを世話係にすると言い出し、実行した。

 メーアの意図がわからなくて最初は怯えたが、メーアにはエヴァンを保護したいという気持ちしかないことがわかって驚いた。

 どうやらメーアは自分に同情してくれているらしい。

 だからだろう、メーアはエヴァンに優しかった。

 無条件に優しくしてくれる人がこの世にいるなんて思わなかった。


 メーアは知らないことをたくさん教えてくれた。

 魔力の使い方。魔力を持つ者の心得。ただし、この国では魔力があることを人に知られるとあまりいいことにはならないとのことで、こっそりと。


 ほかには、ごはんをたくさん食べて、いっぱい寝ること。きれいなものをたくさん見ること。本を読んで知識をたくわえること。運動して、体を鍛えること。

 メーアは、失敗しても怒らない。でもサボると怒る。

 基本的には言葉で注意だが、何度か拳骨を食らったことはある。


 どこへ行くにもメーアはエヴァンを連れていった。名目は世話係だったが、いろんなものを見せて学ばせようという意図があるのは丸わかりだった。

 メーアの部下の魔術師たちは、珍しいこともあるもんだ、と言っていた。メーアはあまり人を寄せ付けないらしいのだ。

 エヴァンが美形だから手元に残したんじゃないのか、などと揶揄する人間もいた。腹が立ったが、メーアが「相手にするな」というので、相手にしなかった。


 本はできるだけ読みなさいと、エヴァンはメーアの書斎に入ることを許された。

 王都にあるメーアの自宅には大きな書斎があり、ものすごくたくさんの本が置いてあるのだ。幸い読み書きは地下につながれている時に世話係から習っていたので問題なかった。蔵書を片っ端から読んだ。


 書斎の片隅に、鍵がかかった棚があることも知っていた。開けてはいけないのかもしれないが、興味が勝った。鍵は単純だから、ちょっと細工をすればすぐに開けることができた。

 収められていたのは、おそろしいことに、エヴァンの実父が記したとされる黒魔術だ。

 エヴァンの祖国を滅ぼした時に手に入れたもののようだった。

 あいつのくだらない研究結果が残っていたことにも驚いたが、それをメーアが保管していたことにも驚いた。なんの因果だろう。


 一通り目を通し、「おもしろいが実用的ではない」と結論を出して元通りにしまった。

 クソ親父はこれを真面目に実行しようとして斬首になったと聞いている。

 当然だな、と思った。


 メーアが魔術を教えてくれるのは、いつも戦場だ。

 まわりに迷惑をかけにくいから、という理由らしい。

 教えてくれるのは単純な攻撃魔法のみ。滅びた祖国で使われていたような、道具を用いた複雑な魔法は使えないようだった。


 メーアは魔術師になれとは言わなかったけれど、この国でエヴァンが認められるには、この強い魔力を利用するのが一番手っ取り早いと考えているのは感じていた。


「魔力の使い方を間違えないようにね」


 メーアはよくそう言っていた。

 エヴァンが、メーアに惹かれていくのは当然だった。

 エヴァンにとってメーアは、あの悪夢を終わらせたうえに、エヴァンがほしくてたまらなかった優しさをくれる人だったから。


 メーアに好かれたくて、エヴァンは「明るくて素直な子」を演じた。根が善良なメーアは、明るくて素直なものを好むからだ。


 メーアが自分を異性として意識していないのはわかる。十二歳も離れていれば意識できなくて当然だ。でもこっちはのっけからメーアの美しい裸体を見ているので、意識しまくりである。


 ずっとメーアのそばにいたい。

 戦場の魔術師になれば、そばにいられるのかな。

 別にこの国に思い入れはないけれど、メーアのそばにいられるのなら、戦場の魔術師になりたいな。


 大人になって、戦場の魔術師となって、まわりに認められたら、メーアは自分のことを男として見てくれるかな……。

 それって何年後だ? うかうかしているとメーアが誰かのものになってしまうかもしれない。

 なるべく早く戦場の魔術師にならなければ。


 そんなことを思っていた矢先。

 メーアは味方の裏切りにあってエヴァンの目の前で命を落とした。


 実父に感謝する日が来るとは思わなかった。

 一度も会ったことがない実父が書き残した黒魔術の書物に目を通しておいてよかった。

 エヴァンは、持てる限りの魔力を叩き込んでメーアの魂をつかまえ、転生させた。複雑な魔法陣を展開するタイプの魔力の使い方は初めてだから、うまくいったのかどうかもわからなければ、代償に何をもっていかれるのかもわからない。


 何を持っていかれてもよかった。命をもっていかれても構わなかった。

 だってメーアのことが好きだから。

 誰よりも好きだから。

 死なせたくなかった。


 メーアを失ったあと、エヴァンはメーアの部下の戦場の魔術師に助けを求めた。魔力が視えないことは伏せたまま、実は魔力持ちでメーアから魔術を教わっていたこと、戦場の魔術師になりたいことを明かすと、彼はすぐさま国に保護を求め、魔術師のための学校に入れるようにしてくれた。


 魔力が視えないということは、自分の魔力も視えないのだが、メーアのおかげで魔力のコントロールも、知識もばっちりで、エヴァンは瞬く間に首席になり、トップを走り抜けて戦場の魔術師の試験にも最年少で合格。

 すぐに戦場に立った。

 地獄を知っているエヴァンに容赦はなかった。


 その強さと容赦のなさであっという間に「第二のメーア」としてもてはやされ、戦場の魔術師による師団が創設され、そこの初代団長にさせられていた。おかげで軍部からは目の敵にされる日々だ。軍部といえばメーアを葬った連中を見つけて誤爆と見せかけ、戦場で吹き飛ばしておいた。

 こんなことをしてもメーアは戻ってこないが、少しだけ気持ちがすっきりした。


 その一方で、ずっとメーアを捜し続けていた。

 だが手がかりがなさすぎて見つけようがない、というのが実情だった。

 時々、苛立ちのあまり気が狂いそうになった。

 焦りはすべて戦場にぶつけた。大勢の人の命を奪っている自覚はあったが、良心の呵責のようなものは一切感じなかった。手加減なしで暴れられるのでむしろ爽快なくらいだ。戦場の魔術師は天職かもしれない。

 やたらに戦果をあげるため、エヴァンはいつしか「英雄」と呼ばれるようになっていた。


 そういえば、実の家族(?)にも再会した。戦場での殺戮になんの感慨も覚えないのは、相手にしているのが見ず知らずの人間だからかと思ったが、血のつながった人々が命乞いをしてきてもやっぱり何も思わなかった。

 うすうすそうではないかと思っていたが、自分は何かが派手に欠落しているようだ。


 何もかもどうでもよかった。

 メーア以外、何もいらない。

 ただただ、メーアの行方が知りたい。

 本当に転生させられたのか。

 転生しているとしたらどこで何をしているのか。

 メーアに会いたくて気が狂いそう。


 メーアを求めすぎて、メーア以外の女性にはなんにも感じない。年を経るごとに言い寄られることが増えたが、鬱陶しいだけだ。

 女性の影がないから、エヴァンのことを不能だの実は男色家だのと言う人間も少なくない。

 残念だがどちらでもない。

 メーアのことを思えばいくらでも体は熱くなるからだ。

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