第10話 ベッセル家

 午後。

 エヴァンの姿は王国東北部、湖水地方にあった。

 ここにベッセル家の領地、そして屋敷があるからだ。


 春先から夏の終わりまでが社交シーズンと呼ばれ、貴族たちは王都にやってきて社交に精を出す。それ以外の季節は基本的にそれぞれの領地に戻り、田舎ならではの遊びに呆けるのが貴族というものだ。

 今は秋の初め、社交シーズンは終わりを告げており、ベッセル家が領地に戻っていることをつかんだエヴァンは転移門と移動魔術を駆使して、ベッセル家の屋敷を訪れた。


 前触れも入れずに貴族の屋敷を訪問することはマナー違反だと知ってはいるが、可及的速やかに確かめたいことがあるのだからしかたがない。


 突然一人で訪れた魔術師団長に、ベッセル家の屋敷は大騒ぎになった。


「単刀直入に聞く。アンナはどこにいる?」


 応接間でかなり待たされたあげく、ようやく姿を現したベッセル伯爵夫妻を前に、エヴァンは挨拶もなしにそう切り出した。


「アンナ……ですか?」


 伯爵の目が泳ぐ。


「そのような娘は我が家にはおりませんわ、アルデバラン閣下」


 伯爵夫人がつとめて上品に笑いながら答える。


「いないだと?」

「正確には今から八年前に亡くなったのです。兄夫婦とともに旅行中に事故に遭いまして……夫の兄夫婦の一人娘の名がアンナといいました」


 伯爵夫人の言葉に、エヴァンは「やはり」と思った。

 アンナは亡き前伯爵の娘だ。

 生きているのに死んだことにされている。ということは……。


「おかしいな。つい昨日、アンナ・ベッセルと名乗る娘が王宮で働いているのを見かけた。ベッセル伯爵の遠縁だということで身元調査にうかがったのだが」


 エヴァンの言葉に伯爵夫妻の顔がこわばる。


「おかしいですわね。そのような娘はどこにもおりませんから、その娘は嘘をついているのでしょう」

「ベッセル伯爵由来の品を持っていたことで身元を信用されて、採用になったようだが」


 これは面接を担当したメイド長に確認したことだ。


「……そういえば我が家からいくつか品が消えておりましたわね。同時に下女が一人、姿をくらましました。その娘かもしれません。きっと名を騙って王宮に入り込んだのでしょう」

「なるほど、そういう路線もあったか」


 頷いたエヴァンに、夫妻がほっとした顔をする。


「故人とはいえ伯爵令嬢の名を騙るとは。捕縛していろいろ聞かなくてはならないな」

「私たちもその下女の行方を捜しておりましたの。何しろ我が家のものを盗んでおりますので。見つかってよかったわ。王宮の皆様のお手を煩わせるわけにはいきませんから、迎えにまいりましょう」

「身元詐称に窃盗の疑いもあるのなら警察の出番だろう」

「上の娘の縁談が決まったところですの。我が家の不祥事を表ざたにはできませんわ」


 夫人が困ったように言い募る。


 エヴァンはその顔を見ながら、不快感を募らせていた。


 ――必死だな。


 下女が屋敷のものを盗んで出ていったのなら、警察に通報するべき案件だ。それが縁談に影響するとは思えない。内々で何とかしたいなんて、後ろめたいことがあると宣言しているようなものではないか。

 だからアンナは本物の、ベッセル前伯爵の娘だ。

 死んだことにされているということは、伯爵令嬢としての扱いは受けていないのだろう。


 ――この屋敷のものを盗んで王都に出てきた。そのまま王宮で働いているということは、この屋敷から逃げ出したんだな。


 だが今日の大広間にアンナの姿はなかった。

 アンナは昨夜の点呼に現れず、今朝は体調不良で使い物にならないからとさっさと帰されたのだという。真面目な仕事ぶりであれば王宮メイドへ採用したのだが、勤務態度に難ありということでアンナは採用にならなかった。


 アンナは王都で仕事を捜していた。

 それをだめにしたのは自分。

 自分も目の前の伯爵夫妻と同罪だな、と思いながら立ち上がる。

 もうここに用はない。


「そういうことなら、アンナ・ベッセルを名乗る娘はこちらには戻らないな。邪魔をした」

「あの……、アンナ……を名乗る娘が何かしたのでしょうか?」


 おずおずと聞いてきたのは伯爵だ。


「何も」


 そう言うと伯爵夫妻を置いてさっさと応接間の外に出る。

 そのまま玄関に向かった。


 両親が健在なら、あるいは現伯爵夫妻がまともなら、アンナはここで伯爵令嬢として穏やかに過ごしていたかもしれないのだ。

 もしアンナが伯爵令嬢なら、そろそろ社交界にデビューして伴侶探しを始めるころだ。――自分の知らないところで。

 エヴァンは貴族ではないから、貴族の社交界とは縁がない。

 そう考えたらアンナが冷遇されていてよかったのかもしれない。


 屋敷の外に出たところで、エヴァンは唇に笑みを刷いた。

 メーアの現在の姿がだんだん見えてきた。

 運命は自分に味方している。

 必ずつかまえてやる。


「エロスの矢」から自分を救ってくれた娘は、間違いなくメーアの転生者。

 メイド長の話やベッセル伯爵夫妻の話から、彼女はベッセル前伯爵夫妻の娘、アンナに違いない。


 アンナは八年前に両親と旅行中に事故死したことにされ、ベッセル家で下女として扱われてきた。伯爵夫人の口ぶりからあまりいい扱いをされていなかったようだ。今はその家を飛び出して王都で職探し中。

 アンナは王都にいる。

 問題はどこにいるか、だ。

 臨時バイトの名簿には名前と身分は記されていたが、住所は書かれていなかった。

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