第2話 アンナの過去
アンナは給仕をしながら、大広間の真ん中で相手を変えながら踊り続けるエヴァンを目で追っていた。
優雅な仕草は見とれてしまうほどだ。
メーアの時代、戦場の魔術師はそれほど立場は高くなかった。メーアは軍部の添え物だった。
エヴァンの地位は高そうだ。
時代は変わったのだなあと思う。
そのメーアは、アンナ・ベッセルとして、ベッセル伯爵家の長女に生まれ変わった。
アンナは魔力を持たない、ごく普通の娘だった。金色の髪の毛に空色の瞳、優しい顔立ち、華奢な体つき。黒髪黒目、大柄で、きつい眼差し、厳しい顔立ちのメーアとは真逆。
優しい両親のもと、大切に育てられる……はずだった。
状況が変わったのは十歳の時。アンナは両親と旅行中に事故にあい、両親は死亡し、アンナだけが(頭は打ったけれど)奇跡的にかすり傷だけで助かった。その時に前世の記憶がよみがえったのだ。
真っ先に思ったのは、「また孤児になっちゃった」だった。
メーアは両親の記憶などないから、両親の記憶があるだけマシかもしれない。
この国では男子しか家を継げない。ベッセル家にはアンナしかいなかったため、ベッセル家は貴族籍を離れていた父の弟が継ぐことになり、アンナは叔父夫婦に養われることになった。
叔父夫婦にはすでに女の子が二人おり、上流階級から貴族階級へと格上げされた一家は舞い上がって、貴族生活を謳歌した。その一方で、兄夫婦の遺児であるアンナは完全にお荷物だった。
伯爵令嬢として育てるには金がかかる。金をかけるなら自分たちの娘のほうがいい。ということで、叔父夫婦はアンナを伯爵令嬢として育てることはやめ、自分たちの娘の世話係に任命した。
「あなたを養ってあげているんだから当然でしょ?」
それは叔父一家がよく口にしていた言葉だ。
アンナは使用人ではないから、給金をもらっていない。
叔父夫婦からすると「無料でこき使える下女」なのだった。
ここにいたら自由はない。どこかで逃げ出さなければ。
ずっと考えていた。なぜ自分には前世の記憶があるのか。なぜ、生まれ変わったのか。
それは全力でメーアの時に叶えられなかった夢を叶えるためだ。
メーアは好きな人と結婚して、その人の子どもを産み、あたたかな家庭を築くことを夢見ていた。自分が戦争の道具で、そういう生き方しかできないことに絶望していた。
メーアのようになりたくない。
誰かに利用されて搾取されて、表向きには成功して見えるから妬まれて裏切られて最後は殺された。
そんな人生なんてもうたくさんだ。
今度は自分のために生きる。
誰かに自分の人生を使わせたり、奪わせたりしない。
私は平和で平凡な人生を歩んで、子どもや孫に囲まれて温かなベッドの中で死ぬ。魔術にも戦争にも関わらない。そういうものとは無縁でいたい。
そのために生まれ変わったに違いない。
まずは叔父夫婦の支配から抜け出す必要がある。ここにいてはアンナの望む人生が手に入らない。
アンナは早い段階でその決断を下し、自ら進んで本や新聞を読んで知識をたくわえ、家にあるものをこっそり売ってお金に換えていた。メーアのつらい記憶は時々アンナを苦しめたけれど、メーアの記憶があってよかった。アンナだけでは決断できなかったし、行動も起こせなかっただろう。
そんな生活が八年。
アンナは十八歳になっていた。
そしてつい先日、姉の縁談がまとまり、姉はアンナを世話係として連れていきたいと言ったのだ。
生家にいるから使用人たちにも「元伯爵令嬢」として見られ、書籍や新聞を読み漁ったり家にあるものをお金に換えるといった行動が許されていたが、姉の嫁ぎ先となると、完全に女中扱いになる。自分勝手な行動はできない。
逃げるなら今だ。
両親がいたころの面影はすっかりなくなり、アンナのためのものはすべて姉たちに取り上げられていたから、この家に思い残すことは何もない。
そうしてアンナは、ちょっとの荷物と家を出るために作ったお金を持って、数日前に家を飛び出した。
行くあてはない。
仕事が多いのは王都だ。
そう思って王都に赴き、女性一人でも泊まれる安宿を確保すると、さっそく職探しに出かけた。
貴族の生まれとはいっても証明するものが何もないから、職探しには苦戦するかと思っていたが、仕事はすぐに見つかった。ただし、臨時バイトだ。
数日後に「英雄」が帰還するのだという。
この国はここ数年、隣国と戦争を繰り広げてきた。隣国は複数の国と同盟を組んで戦争に挑んできたため、珍しく戦況は膠着していたが、少し前に「英雄」が同盟の総司令官を討ち取り、同盟が瓦解。隣国側から停戦の申し入れがあった。
「英雄」の働きがあればこその勝利だった。
そしてその「英雄」の凱旋にあわせ、王宮では大規模な祝賀会が開かれることになったが、人手が足りない。そこで臨時アルバイトを入れることになったのである。
仕事内容は祝賀会の手伝い及び片付け。
働きがよければ、王宮メイドとしての採用もあるという。
採用面接は、メイド長による面接と給仕の実技だった。貴族の館での下女経験があるアンナにはどうということのない実技試験だった。面接も、あまり気が進まなかったがベッセル伯爵と縁があることを話したため、その場で採用が決まった。
本当は貴族の屋敷でのメイドを希望していたが、紹介状が必要だ。そんなものは持っていない。どうせ働くなら好待遇の職場がいい。
王宮メイドは衣食住が保証される、ツテも行き場もないアンナにとっては願ってもない仕事だ。
このチャンス、逃すわけにはいかない。
***
そして今日。
集合場所にて、アンナはソフィアと顔を合わせた。
「はじめまして。私はソフィアよ。よろしくね」
面接を経て採用された娘たちは、二人一組で仕事をすることになった。アンナのペアは赤毛に小麦色の肌、そばかすがかわいらしい十八歳の娘。南部、穀倉地帯の豪農の出身で、王都の学校に通っているのだという。臨時バイトへの応募は、王宮というものを見てこいという親の指示だそうだ。
豪農なのでソフィアは貴族ではない。でもお金をかけて育ててもらっている。
まわりを見ても、だいたいこんな感じの娘たちがそろっていた。
招待客の前に出るからか、今回はこういう「貴族未満だけれど育ちはいい娘」を中心に選ばれているようだ。
「はじめまして。私はアンナ。よろしくね」
人懐っこいソフィアにほっとしながら、アンナも名乗る。
いい人そうでよかった。
メイド長から仕事内容の説明があり、会場の設営準備に取り掛かる。
王宮の外で凱旋パレードが行われている気配を感じながら、祝賀会の開始に間に合うように様々なものを調えていく。
仕事内容はそう難しいものではない。上流階級のマナーをわきまえていれば、誰にでもできるものだった。
粗相さえなければ大丈夫そう。仕事への手ごたえを感じ、アンナは嬉々として仕事に励んだ。
「英雄」こと魔術師団長エヴァン・アルデバランの存在は新聞で読んでいたので知っていた。
それが現在のエヴァンであることも。
メーアが保護した時、エヴァンは名前しか言わなかった。アルデバランはメーアの死後に自分でつけたか、誰かからつけられた苗字なのだろう。
あのエヴァンが「英雄」と呼ばれる戦場の魔術師になっていると知った時、アンナは「どうして」と思った。
とはいえ、メーアはエヴァンに普通の人間になりなさいとも、戦場の魔術師になりなさいとも言ってはいなかった。メーアの中では普通の人間として育てたい、という気持ちが固まってきてはいたものの、具体的なことまではまだ考えていなかったからだ。
エヴァンとしては、戦場の魔術師のメーアから魔術を教えられているのだから、将来的には戦場の魔術師になれということかな? と理解していてもおかしくない。
しかも、メーアが生きていたころには存在しなかった「魔術師団」の団長である。
エヴァンの魔力の強さは知っている。
エヴァンの活躍は新聞で知った。
エヴァンの名前を見るたびに「どうして」と思った。
新聞には「アルデバラン団長の活躍により敵が殲滅された」とさらっと書かれているけれど、メーアだったアンナにはそこで何が行われたのか、手に取るようにわかる。
エヴァンは軍の添え物ではなく、主戦力として戦争に投入されている。
メーアどころではない殺戮をさせられている可能性が高い。
こんなことなら魔術なんて教えないで、さっさと王都の寄宿学校にでも放り込めばよかった。
戦争が起こるたび国を勝利に導く魔術師団長の人気は高く、「英雄」は何度も新聞で特集された。エヴァンの経歴は、十四歳で王都の魔術師養成学校に合格したところから始まる。それ以前の経歴はない。
成績はとても優秀だったようだ。
メーアといたころからエヴァンは呑み込みが早く、学習意欲が高かった。優秀なのは不思議ではないが、意外だったのは、エヴァンは気難しい性格で、あまり人を寄せ付けないと書かれていたことだ。
メーアといた頃のエヴァンは明るくて人懐っこかったのに。
メーアの愛弟子は、ずいぶん変わってしまったようだ。
そのエヴァンのための祝賀会に自分も居合わせる。
今生では魔力もないし、メーアのようになりたくないという気持ちも強いから、当然エヴァンと関わるつもりもなかった。だからちょっと不思議な気持ちがする。少し落ち着かない。
そして迎えた祝賀会。
凱旋パレードを一目見ようと、とんでもない人々が王都に押し寄せたようだ。パレードを見られない臨時メイドたちは、外の様子を見てきた他の人間からそのすごさを聞かされ「覚悟するように」と言われた。
そして実際その通りで、大広間を開け放っての祝賀会は招待客でごったがえした。特に英雄には大勢の人が群がった。
エヴァンを一目見たい人、エヴァンと話したい人がこんなにいるなんて。
アンナはただただ、かつての弟子の人気ぶりに圧倒されるばかりだ。
祝賀会で痛感したのは、「エヴァンがとても遠い人」だということだった。
――まあ、時間がたってるものね。
エヴァンは現在、三十二歳。
メーアが死んだとき、エヴァンは十四歳だった。あれから十八年。アンナも十八歳。つまり、メーアは死んですぐにアンナに生まれ変わったことになる。
年下だったエヴァンが大人の男性として目の前にいることが不思議でならない。華奢で小柄であんなにかわいかったのに、今はがっしりとした体つきに精悍な顔立ち。魔術師団は軍の組織のひとつだから、戦場の魔術師は軍服にローブが正装だ。今日はダンスがあるからエヴァンはローブをまとっていないせいで余計に、鍛えられた体をしていることがわかる。
戦場の魔術師は魔力を使うが、戦場でものをいうのはなんといっても体力。
だから体を鍛える必要があるのだ。
メーアだって兵士と同じ訓練をこなしていたから、武器そのものもそれなりに扱えた。エヴァンもおそらくそうなのだろう。
考えれば考えるほど自分はメーアとは真逆。
この体は小柄で華奢で、小間使い生活をしていたから令嬢よりは体力があるだろうが、特別鍛えているわけではないから、メーアのようにムキムキはしていない。魔力もない。見た目だって、メーアはいかつかったが、今の自分はむしろかわいらしい部類だ。
自分で言うのもアレだが、小柄で華奢、金髪碧眼、丸顔に整った顔立ち、大きな瞳のアンナは、本当にかわいい。着飾ればそうとう映えるに違いない。
エヴァンは今の自分を見たところで誰なのかわからないはず。わかってもらいたいとも思わない。「私はメーアの生まれ変わりよ」なんて言ったところで証明する方法があるわけでもないから、頭のおかしい娘としてつまみ出されてしまう。
ああでも、エヴァンが無事であることを確認できてよかった。
本当はいろいろ聞きたいし、心配もしてやりたいところだけれど、「アンナ」にその資格はない。
自分はエヴァンとは無関係なのだ。
――元気でね、エヴァン。
そう心の中で呟き、アンナも仕事に戻った。
正式な王宮メイドにしてもらわなくてはいけないから、ぼーっとしてる暇なんてない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます