最強魔術師は初恋の乙女を逃がさない
平瀬ほづみ
第1話 英雄の凱旋
「ねえ、アンナ。アルデバラン閣下の顔、見えた?」
ソフィアがすれ違いざま、声をかけてくる。
アンナとソフィアは給仕係だ。パーティーはビュッフェスタイルなので、料理を次々に運び、使用済みの食器を片付けなくてはならない。
日時は初秋の夜の王都。場所は王宮の大広間。
今日は長引いていた戦争に終止符が打たれ、この国を勝利に導いた王立軍の凱旋祝賀会が開かれているのだ。
軍部の主な人々や功労者が招かれているけれど、実質はほぼ一人で敵国の軍隊を壊滅に追い込んだ魔術師団長のエヴァン・アルデバランの凱旋祝賀会といえた。
「英雄」という呼び名は、決して誇張ではないのである。
アンナとソフィアは、その祝賀会のために臨時で雇われたバイトである。
社交シーズンはすでに終わっているから、すでに王都を去っている貴族も多いはずなのに、祝賀会にはとてもそうは思えない人数が参加している。
特に、「英雄」の周辺にはものすごい人だかりができていた。
誰もが若くて凛々しい「英雄」の姿を一目見たいのだろう。
新聞で仕入れた情報によると、エヴァン・アルデバランは三十二歳。見目麗しいうえに独身。性格はあまり社交的ではないようだが、真面目で任務には忠実。何より、たった一人でこの国を勝利に導くほど強い魔力を持っている。
彼がいればこの国は負けない、というのは事実なのだ。
国民からの人気が高いのも納得である。
「遠くからちょっとだけ。すごい人気ね」
アンナは微笑みながら首を振った。
「本当にすごい人気。私は見えてないのよ~~~~! かっこいいんだってね……間近で見たい~~~~!」
「そうなんだ。頑張って」
「アンナは興味ないの?」
そっけなく答えたら、ソフィアが意外そうに聞き返してきた。
「私は……そうね、あまり」
その時、人だかりが崩れて英雄がその中から姿を現した。
背が高いのがわかる。長い銀髪をゆるく後ろでひとつに束ねている。目の色はわからない。動きにくいからか、今日はトレードマークのローブをまとっていない。魔術師団も軍の組織のひとつだから、エヴァンは黒い軍服姿だ。
近づいてきた、やたらと威厳のある貴婦人の手を取って口づける。
――あれは王妃様ね。
メイド長から教えられた「顔と名前を覚えておくべき人物」の一人だ。
そのまま王妃の手を取って大広間の真ん中に出ていく。音楽に合わせて踊り出す。
「魔術師ってもっと粗野なのかと思っていたけれど、アルデバラン閣下はそんなことないわねー。動きが洗練されていて、魔術師というより貴公子というほうがしっくりくるわ。一度でいいからあんなふうにエスコートされてみたい~~~~」
うっとりとソフィアが呟く。
確かに、彼の母国がこの国によって滅ぼされていなければ彼はその国の王子様なのだから、魔術師ではなく貴公子としてこの国に招かれていた可能性はある、と、前世の記憶を引っ張り出して一人納得する。
「でも身分が違いすぎるからお近づきにはなれない~~~~。せめて仕事のフリをして近くを通るくらいはいいよね!?」
「それは、いいんじゃない?」
「アンナも一緒に行こうよ」
「私は、遠くからそっと見るくらいがちょうどいいかな。私とは……無縁の人だし」
「欲がないこと」
アンナの答えにソフィアがちょっと呆れ、仕事仕事と呟きながら去っていった。
***
アンナには前世の記憶がある。
十歳の頃、大きな事故にあって頭を打ち付けた時にいきなり思い出した。
自分の前世はメーアという名の魔術師で、国に仕えており、戦争のたびに攻撃魔法を使って戦っていた。
この国では、ほとんどの人は魔力を持たないけれど、まれに異常なほど強い魔力を持って生まれてくる人間がいる。
この国はそういう人間を貴族に匹敵する地位と莫大な報酬で「戦場の魔術師」として抱え込み、歩く兵器として戦争に投入していた。
戦場に立てるほどの魔力の持ち主は数えるほどしかいないから、とても貴重だ。
メーアもそんな一人だ。
ただし魔力は他の戦場の魔術師とは段違いで、一人で目の前の部隊を壊滅させられるほど。
黒髪に黒い瞳、黒いローブをまとって戦場に現れるメーアを、人々は「死神」と呼んだ。
国王は「死神」メーアを重宝した。
死神の活躍で国はどんどん領土を広げ、強くなっていったけれど、同時にメーアを疲弊させていった。
死神なんて呼ばれるより、温かな家庭を持ちたい。好きな人と結婚して子どもを持ちたい。それがメーアの願いだったからだ。
孤児だったメーアは「普通の家族」に憧れがあった。「お母さん」になることにも強く憧れた。
でも無理そう。
自分には強い魔力しかない……しかも人を殺す魔力だ。
それにこの体は子どもを産めない。
人殺ししか能がないのだから母親になれないのは当たり前だよと、神様が言っているみたい。
孤児という生い立ちで苦労が多かったから、身を守るために常に男装をするし、一人で行動していた。自分には強い魔力があるから、一人でも大丈夫。そう言い聞かせていた。
そんなメーアがその少年と会ったのは二十四歳の時だ。その時、彼は十二歳だった。
メーアが滅ぼした国の王族の生き残りで、どう処遇するべきか悩んだ部下が連れてきたのだ。
銀色の癖のない長い髪の毛に、銀色の瞳。甘さのない美しい顔立ち、すらりと伸びた手足。凛としたたたずまいの、それは美しい少女だった。
聞けば王族たちはさっさと逃げ出し、この娘だけが城の中に鎖でつながれていたのだという。
この娘を囮にしたのだ。
好きにしろという意味だろう。この娘をくれてやるから自分たちを追うな。そういう意味か。
なんと胸糞が悪い。
それでも娘は泣くこともなく、顔を上げ、まっすぐメーアを見つめてきた。
芯の強い子だ。
「この子を私の世話係にしたい」
そう言ってメーアは娘を連れ出した。
メーアは普段から男装をし、身の回りの世話は自分で行っていた。まわりはメーアのことを女だとは知っていたが、まともな男は強い魔力を持つメーアに手を出さなかったし、まともではない男はメーアに叩きのめされた。
一見男に見えるメーアに連れ出された娘は、自分の使われ方に察しがついたのだろう、真っ青だった。それでも顔を上げていた。本当に、芯の強い子。
風呂に入る前に全裸になって種明かしをしたら、娘は驚いて、今度は真っ赤になっていた。
それもそのはずで、娘は……本当は男の子だった。
男の子は王族ではあるが「生まれてきてはいけない子」だったらしく、本物の王女の身代わりとして囮に使われたのだという。
どうりでメーアの裸体に真っ赤になるわけだ。
同性だと思っていた気安さで真っ裸になってしまい、メーアもちょっと恥ずかしかったけれど、十二歳も年の差があるのだ。おかしなことにはなるまい。そう思って一緒に風呂に入ることにした。まさかこの出来事が少年の性癖を大いに歪めることになろうとは、メーアは知る由もなかった。
「あなたもいろいろ大変なのね」
動きがぎこちないので体を確認してみたら、背中には大きな傷が無数に残っていた。ほとんどは鞭によるものだが、一か所だけ大きな肉の盛り上がりがあり、これはなんだと聞いたら熱湯をかけられたあとだという。その傷は今でも引き攣れて痛むらしい。
戦場で子どもを拾ったことは何度もある。
傷ついているのはこの子だけではない。
けれどメーアは、傷つけられながらも頭をあげて王女の身代わりを全うしようとした、この少年――エヴァンに魅入られた。この子に強い魔力が備わっていたことも、惹かれた理由のひとつかもしれない。
魔力の持ち主なら国で保護して戦場の魔術師として育てるべきだ。
けれどメーアはそうせず、エヴァンを手元に置くことにした。
表向きはメーアの世話係だが、ひそかに弟子として魔力の使い方を教える。
二年の間、メーアはエヴァンとともにあった。
エヴァンは飲み込みが早く素直で、メーアによく懐いた。
エヴァンの成長は、仕事柄、心がすさみがちなメーアの心の支えになっていた。
母親というのはこういう気持ちなのかなぁ、と思いながら、日々成長するエヴァンをほほえましく見ていたものだ。
どんな大人になるだろう。きっと強い魔術師になる。いずれは戦場の魔術師として、一緒に戦う日がくるかもしれない。
でも、この子を戦場の魔術師にしてもいいの?
自分と同じ人殺しの業を背負わせてもいいの、本当に?
時間がたつほどに迷いが生じてきたのは、国のメーアへの指示がどんどん「攻撃」から「虐殺」に変わってきたからだ。
最前線の部隊を叩いて前線を崩すだけではない。都市や集落への無差別攻撃が命じられるようになり、メーアは戦闘に参加していない市民を殺すことが増えた。
命令だからやる。
でも破壊された街並みや、折り重なる死体に何も思わないわけがない。
幸い、エヴァンに魔力があることは公になっていない。魔術の使い方は二人きりの時に限っていたし、エヴァンにも秘密にするように言い含めていた。このまま黙っていれば、誰にもわからない。魔術の基礎を教えたら王都に送って、きちんとした教育を与え、まっとうな人生を送れるよう調えてやるのが保護者の務めではないか?
そう思うようになってきたある日。
メーア二十六歳、エヴァン十四歳の時。メーアは味方の裏切りにあって敵に囲まれ、追い詰められ、命を落とした。
最期に見たのはエヴァンの泣き顔だ。生き延びて幸せになりなさい……そう、彼に、言った覚えはあるけれど、声になっていたかはわからない。
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