心優しき少年
「緊急だ! 道をどけろ!」
白衣に身を包んだ者たちが大慌てで病室へと駆けこんでくる。
今度はなんだいっ。
アネッサは何やら不吉な予感を感じ、声のする方へと歩みを進める。
「どうしたんだい!」
「あ、アネッサさん! 緊急なんです!」
「だから緊急って……」
アネッサはその者達の慌てようを見て何かを感じ取る。
今はラストステージだったはず……まさか。
ラストステージは数万、数十万人が登録する戦士の中でもほんの上澄み。闘技場で輝かしい勝利を幾度も手にし、強者という称号を得た者しか出る事の出来ない、闘技場の戦士なら誰もが憧れる舞台。
だがしかし、強者同士のぶつかり合いにより、命の危機に脅かされる者も少なくない。
アネッサは通路の真ん中に出て、闘技場からの直通の通路へと目をやる。
すると、その視線の先には……
「緊急って……」
担架に乗せられ、運ばれてきた、燃える様に赤い髪を持つ女性。
ここまで周りが大事のように慌てふためくのはただ一つしかない。
燃える様に赤い髪を持ち、私ですら見た事のある女。
「まさか、ランカーのことかい……」
よりにもよってこの女とは。
闘技場ランキング42位。別名、灰塵のレオーネ。
闘技場屈指の火魔法の使い手で、本気を出したら相手は塵すら残らないとされることからその名が付いたと言われる強者。
闘技場に足を踏み入れてから僅か1年半でランカーへと至った彼女がこんな場所に運び込まれてくるなんて。
ランカー同士の勝負は普通、どちらかの負け宣言で終了する事が多い。
しかし、負け宣言をするのがプライドに触る者もいれば、宣言する前に圧倒的力でやられてしまう者がいるのも事実。
「アネッサさん。どうか、レオーネ様をお救いください」
懇願にも近い形で、白服からお願いされるアネッサ。
小さな怪我ならお抱えの回復師がどうにかしているはず。となれば、ここに来たのは。
「絶対に救えるとは言えないが……ちょいと見せておくれ」
アネッサは白服達をの間を通り、レオーネへと近づく。
すると、アネッサは信じられないモノを見たかのように瞳を震わせ、動揺する。
これは……ひどい。
全身が切り割かれるように至る所に切創や刺創ができており、酷い所は内臓が見え隠れするレベル。
応急処置はしてある。だが、それだけでは到底救えるほどじゃない。
「はぁ……はぁ……」
呼吸も弱い。このままだと……
アネッサの脳裏によぎるのは死と言う文字ただ一つ。しかし、遅れて回復魔法とという唯一、この状況を打破できる手段が浮かぶ。
……駄目だ。これほどにまで酷いやられ方をした患者に回復魔法を使うとなると、使用者の生命すら危うい。
お抱えの回復師もそう判断したんだろう。あいつらは自分の命が脅かされるほどの深い傷の時にはすぐに撤退する、金食い虫野郎どもだからね。
こんな状態で回復魔法を使ったら……
アネッサはこれまでに回復魔法を限界まで使用し、散っていった弟子たちの事を思い出す。
「くそっ」
途中で回復魔法が切れて助からないか、最後まで回復出来たとしても使用者が廃人になるか。二つに一つだ。
私の命で患者が治るならいくらでもくれてやるが、これほどとなると私じゃ無理だ。
「誰か! 清潔な布と桶一杯に水を! 患者は一番奥の治療室に! 早く!」
「「「はい!」」」
アネッサは瞬時に今できる最善の手を考え、周りに指示する。
回復魔法は最後の手段だ。まずは技術で。それから……
「彼女は私が……」
自分の手で完全に治すのは難しいと分かっていながらも、弟子の命を使ってまで絶対に助けられるという保証がない回復魔法を使うという選択肢は彼女には無いも同然。
やるわよ、アネッサ!
アネッサは両手を広げ、自身の頬を軽く叩き。
「よし!」
気合を入れて治療室へと向かう。
後ろに小さな影が付いてきているとも知らずに。
「アネッサさん」
「っ!?」
この子……いつの間に。
「僕……分かります。この人、アネッサさんでも命を取り留めるの難しい」
「っ……」
一刻を争う事態で立ち止まるアネッサ。
「多分、1割もないですよね」
「メルト……一体何を言って……」
自身が考えていた事をドンピシャで当てられ、動揺を隠せないアネッサ。
「アネッサさん! 早く!」
「わ、分かってる! 今すぐいく……」
話している暇はないと言わんばかりに、メルトを無視し、足を進めようとすると。
スルっ……
横を通る人影。
「僕がやります。回復魔法で」
「駄目よ。それだけは」
「それしか方法は……」
「だから駄目だと言ってるで……」
アネッサが怒りに満ちた表情でメルトを叱ろうと後ろを振り向くとそこには……
「メルト……様と言いましたか。どうか、レオーネ様を。レオーネ様のお命をお救いください! お願いします!」
「「「お願いします!」」」
レオーネの従者と思われる者達が涙目で膝をつきながらメルトに願いを乞うていた。
この子はっ!
アネッサは知っている。歴代の弟子たちの中でも、この子、メルトは才がずば抜けて高い事を。
アネッサは知っている。メルトは非常に心優しき少年だと。
アネッサは知っている。メルトは……一度決めたことは絶対にやり切る少年だと。
もう、駄目ね。
アネッサは皆にバレないほどの小さな笑みを浮かべる。
私も一瞬、この子ならと思ってしまった。
回復魔法の神に愛されているこの子なら。ランカーのこの酷い怪我すら、治してしまうのではないかと。
でも、もしこの子が一瞬でも深いダメージを負ったと感じたら、すぐにやめさせる。
アネッサは何かが吹っ切れたかのように、メルトの肩を掴み、目を見る。
「メルト。やるからには……ちゃんと患者に向き合いなさい」
「はい!」
「危ないと思ったらすぐに中断する事。こんなこと言ったら回復師失格だと言われるかもしれないけど……貴方が放り出しても誰も文句は言わない。私が言わせないわ」
「はい。絶対助けて見せます」
この子ったら。
でもそうね。出来るとこの子が判断した。
なら、私が言うことは何もないわね。
「すぐそばにあたしがいるわ。全力で頑張りなさい」
「はい!」
これは、回復魔法を使えるただの少年が、数多くの人物の命を救い、尊敬され、皆から慕われていく物語。
そして、色々な出来事に巻き込まれていく物語でもある。
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