第9話 魔族の尻尾恐るべし


 一瞬だけ時が止まった様な錯覚に陥る。


「ちょっと、ちょっと待ってくれ」


「はい。いくらでもお待ちします」


 プリムに手のひらを向けて俺は俯く。


 "貴方の父親は魔王だ"と言われたからって、はい。そうですか。とはならない。そもそも魔王とは何の事を言ってるのかすらわからない。


 RPGはやった事はあるし、魔王という単語はわかる。それは世界を混沌に陥れる勇者の敵だ。


「……」


 そっとプリムの表情を確認するが、何か冗談を言っている様子はない。


「魔族って言葉は聞いた事あるけど、会った事もないし、それがなんなのかわからないんだけど。その王様って言われても俺にはなにがなにやら……」


「私は魔族です」


「そうそう。プリムぐらいしかって──え?」


「私は魔族です。今は念の為に偽装していますが、この姿は人間族に寄せているだけです」


「……証拠は?」


 プリムはスカートをたくし上げると、臀部を見せてきた。


 思わず手で目を覆って隠したが、その隙間から見えるプリムの下着。その少し上に何かがある。


 よく観察してみると、腰から黒い尻尾の様なものが生えているのが確認できた。


 どうやら猫科の動物の尻尾に似ているが、先端に尖った杭の様な物がついている。


「ほお……」


 プリムのあられもない姿を見て思わずおっさんの様な声を出してしまったが、彼女は次いで思いがけない提案をしてきた。

 

「気になるようでしたら触って確認していただいても構いません」


「え? いいの?」


 控えめに頷いたプリムを見て、俺はわずかに躊躇しながらも、フリフリと振れるその尻尾を優しく手のひらに乗せる。


(な、なんだこれっ!? ふわふわで重たくて暖かくてっ!)


 語彙力が消し飛んだ挙句、俺は盛大に鼻血を吹き出した。


「鼻から血が出ています」


「あ、ありがとう」


 プリムが上等な手拭いを取り出し、俺の鼻を拭いてくれる。


 ──魔族の尻尾恐るべし。


「信じていただけたでしょうか?」


「まあ、信じるもなにも、俺は何も知らないから。プリムが魔族だとか言われても人間と特に変わらないように見えるし」


「レオルド君は未だ無垢なままなのですね。魔族に興味がおありですか?」


「ないと言えば嘘になるよ。俺の父親も魔族ってやつなんだろ? なら俺も半分その血が流れてるってわけだし」


 そうだよな。俺人間じゃないって事だよな。


「それは僥倖。でしたら魔術を教える傍ら、魔族についても私が教えて差し上げましょう」


「あ、ありがとう」


 献身的なプリムに少したじろいだが、俺はようやく自分の事について知ることができると考えた。


 もしかしたら異世界転生なんていう奇天烈な現象に対しても答えが見つかるかもしれないと。


 だがそれは少し楽観的な考えだと思い知らされる。


「まずは主に使われる魔族の言語についてお教えしましょう」


「おう……」


 そこからか。


 ――――――――


「『おれはれおるど』……どう? 伝わってる?」


「はい。レオルド君は優秀です。こんなに早く魔族の言語をご理解なさるとは」


「まだ自己紹介くらいしかできないけど?」


「それさえできれば問題はありません。あとは相手の腹を突き破り、喉に食らいつき、角を折ってやれば相手は貴方様の従順な配下となりましょう」


 なんとも怖いボディランゲージである。


 それはそうと魔族の言語は割と簡単だった。文法に自由度が高いというのか、プリムがだいぶ譲歩してくれているのかはわからないが、自己紹介程度なら数分で理解できた。


 いや、もしかしたらこの身体が優秀なのだろうか。考えてみると、前世とは頭の回転がまるで違う気がする。


「あれ。そういえばなんでプリムは人間の言葉を喋るの?」


「よくお気づきになられましたね。私は人間と魔族が共に暮らす街で育ったので」


 そんな街があるということは、両者の関係はそこまで悪くはないのだろうか。


「──魔界と人間界を断絶した忌々しい結界さえ無ければ奴らをこの手で葬ってやれたのですが……レオレギウスめがっ……!」


 怖い怖い!


 いきなり怒りを露にし始めたプリムの額から急に二本の角がにょきにょき生え始めている。


「ぷ、ぷりむさん?」


「おっと……失礼しました」


 プリムは伸び始めた角を仕舞い込むように抑える。


 もしや何か地雷を踏んでしまったのだろうか?


 いつも通りの無表情になったプリムを見ながら、俺は頭の中で考える。


(レオレギウスって英雄って言われてる人だよな……?)


 村にある銅像のモチーフである人物だ。そういえばドクトはレオレギウスは長きに渡って魔族と争っていたと言っていた。


 少し気にはなるが、またプリムに角が生えるのも嫌なので別の話題に変える事にした。


「とりあえず魔族の言葉と。父親のことについては理解したよ。なんていうか俺はプリムからしてみたら少し偉いってこと?」


「少しなんてものではありませんよ。貴方様は現魔王のご子息なのですから。近しいご親族を除けば魔界においては比類なき立場と言えましょう」


「はあ……そう? とりあえず聞きたいのは俺には何か義務があるのかって事なんだけど……」


「義務?」


「その……魔王の息子……王子? として、何か役目があるの?」


「いいえ。魔王というのは世襲制ではございません。何代か強い血が生まれることもありますが、基本的には強者が統べるものです。ですので、レオルド様がすべき事は来る時まで研鑽を続ける事だけです」


「……?」


「魔族は強き者こそ尊ばれる。そして貴方様は魔王様のご子息。彼のお方は貴方様に力を持つ事を望まれています」


「へ、へえ……?」


 プリムの口から語られる父親はゴリゴリの武力主義だった。あまり関わりたくないと思ってしまったのが本音だ。


「まあいいや。今聞いてもあんまり俺には関係ないみたいだし」


「……」


 せっかく説明してくれたのにそれ以上の思考を放棄する俺に対して、プリムは無表情で見つめてくるのみだ。


「魔族の話はとりあえずもういいかな。そろそろ本題の魔術について教えてほしい」


「わかりました。奥様から聞きましたが、レオルド君の属性は闇ですよね」


 そんな物騒なものだったっけか?

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