第6話 ノルンという少女
魔術騒ぎを起こしてから三日後の事である。
俺は落ち着かない様子で自室をぐるぐると回っていた。
母親は忙しそうだし、魔術は一人で学ぶのは危険すぎるのがわかった。
有り体に言うと暇なのである。それもただ暇なのではなく、そこはかとなく焦燥感も含まれている。
年相応の子供ならおもちゃで遊んで幾らでも時間を潰せるのだろうが、残念ながら俺は普通の子供とは違う。
現代人的というのだろうか。何かしてないと落ち着かない。
そういえば父親はどこにいるのだろうか。こういう時に遊んでくれるのが父親ではなかろうか。
父親の存在については母親には聞きづらくて聞いていないが。
「レオー?」
扉を開けて入ってきた母親に、思考を中断される。
「なに?」
「そろそろ家の外に出てもいいかな、と思ってね。レオも退屈でしょ?」
「いいの?」
「マナも安定しただろうし、大丈夫よ。けど今日は遠くには行っちゃだめよ? 必ずお家が見える場所にいること」
──マナの安定とはなんぞや。
またよくわからない発言が出たが、とにかく俺が外に出れなかったのには何か理由があったみたいだ。それを訊ねたらまた長くなりそうだから聞き流すが。
「約束できる?」
「うん。約束する」
「ふふ。じゃあ着替えましょうか」
母親に部屋着を着替えさせられ、俺は第一村人の様な格好に様変わりする。
外に行けるとわかって、俺はテンションがぶち上がっていた。何せ今の今まで家の中で生活してきたのだ。
怠惰な性格が功を奏してか、意外にも引きこもり生活を続けるのに苦は無かったが、それでもやはり外に出れるなら出たい。
「お昼には帰ってくるのよ?」
「はあい」
ちゃんと母親の方を見て返事をし、俺は外への扉を開けようとする。
ドアノブが高い。
ぷるぷるとつま先立ちで震えながら扉を開けると、風と共に草木の匂いが飛び込んできた。
「これだよこれ!」
思わず叫んでしまったが、母親には気づかれなかったみたいだ。
俺は鼻歌を歌いながら村を歩く。
度々すれ違う人に怪訝な視線を向けられるが、スキップしながら歩く俺は気にしない。
そうして村の中央にやってくると、小さな銅像が建てられているのを見つけた。
「ん?」
銅像は年若い男性の様だった。中々のイケメンである。精悍な顔つきに腰の剣がよく似合っている。
「なになに?」
銅像の下に書かれた文字を見るが、何も読めない。当たり前だ。文字の勉強などしていないからだ。
そういえばこの世界の識字率はどうなっているのだろうか。母親は読み書きができると思うが、俺はどうやって覚えればいいのだろう。まさか異世界で小学校なんてものが存在するとも思えない。
「──それはね。偉大なる英雄レオレギウスって書いてあるんだよ」
不意に横合いから話しかけられ、俺はそちらに視線を向ける。
「ドクトさん?」
「おお。よく覚えていたね。君はレオルド君だよね?」
プリムと会った日に村で話した男だ。なんとも胡散臭いおっさんではあるが、一応は母親の知り合いである為、邪険にもできない。
「レオルドです。家名はありません」
「そういう言い回しはどこで覚えてくるんだい……?」
洒落のつもりだったが、あまりウケなかった様だ。ドクトは頭を掻きながら困惑している。
「気にしないでください。それより、レオレギウスっていうのは?」
「この銅像の青年で、古代の英雄さ。長きにわたって魔族と戦い続けた偉大な人物だよ」
何か不穏な単語が聞こえた気がした。
「ふ、ふうん。そうなんですね。凄い人なんだなぁ」
「凄いなんて物じゃないよ。彼は剣を一振りしただけで海を割ってしまったと言われているからね」
「へ、へえ」
「あれ? こういう話は好きじゃないのかな?」
年頃の男児なら確かに食いつくのだろうが、現代人としては顔が引き攣ってしまうだけである。
海を割るって何だ? モーセか?
「ごほん。それよりドクトさんは何をしている人なんですか?」
軽く咳払いしながら訊ねると、ドクトは不思議そうに目を丸くした。
「仕事の事かい?」
「はい」
「僕はね。治療術師なんだ。知ってるかな?」
「わからんです」
「傷や病を治す人の事だよ。君の事も診た事があるんだけど……流石に覚えていないか」
「医者って事?」
「医者とは似てるけど違うね。治療術師って言うのは魔導専門なんだ。マナの事はわかるかい?」
「はい」
「そのマナが悪さをする事があったりするんだ。それ以外にも体質的にマナの循環に不備があったり、そういう人を治すのが僕の仕事なんだよ」
ドクトは俺に目線を合わせて説明してくれた。
ちょっと待てよ。
「ドクトさんが診てくれたって言っていたけど、おれって病気だったの?」
「あれ? シェリーさんから聞いてないのかい?」
「特には……」
「ならそのうちシェリーさんが教えてくれるだろうから、僕が伝えるのはやめておこうかな」
「はぁ……」
気のない返事をしてしまったが、自分の身体の事だから知っておきたいのだが。
けれど、ここでごねてもドクトを困らせるだけだと思い、俺は別のことを聞いてみることにした。
「この村ってどの国に属してるの?」
「ここはレギウス公国だけど、そんな事を聞いて面白いのかい?」
「面白いっていうか……知っておきたいというか。それより、レギウス公国って事はもしかしてこの銅像の人が関係してるの?」
「そうだよ。この人が作り上げた国なんだ。まあ、この村は首都からはだいぶ離れているし、どちらかというとタイタニア王国寄りだけどね」
「なるほど」
やはりというべきか、どちらの国の名前も聞いた事がない。この世界はまるっきり地球とは違う世界なのだと再認識した。
俺は子供らしくドクトに擦り寄る。
「ドクトさんや」
「な、なんだい? そんなに手揉みして」
「いや、昔からのよしみで文字を教えてもらえないかなって」
俺が謙りながら言うと、ドクトは面食らった様な顔をしたが、すぐにため息を吐いて言った。
「それなら教会に行きなさい。向こうにある建物で、子供たちに読み書きを教えてくれる人がいるから」
「教会……シスターさん?」
「シスターっていうのが何かは知らないけど、教会の人がいて親が仕事をしている間に面倒を見てくれたりするんだよ。もしよかったら覗いてみたらどうかな?」
ドクトの提案に顎に手をやって考える。
シスターを見てみたい気がするし、勉強を教えてもらえるならありがたい。
だが。
「ううん。やめとく。家が見える距離までしか行っちゃだめって約束したから」
「それはシェリーさんと?」
「そう。だから、家の周りで散歩するくらいしかやる事がないんだよ」
「そうか。あまり外に出れなかったからか。それならもう少し待っているといいよ。村の子供がたまにここに遊びに来るから」
「へえ。じゃあここで日光浴でもしていようかな」
「日光浴……? ま、まあ、そういう事で、僕は用事があるからもう行くよ」
「うん。色々と教えてくれてありがとうねドクトさん」
「子供が気にする事じゃないさ。それに僕も楽しかったよ」
手を振るドクトに別れを告げ、俺は銅像の足元にある土台に座る。
「太陽はちゃんとある……太陽系の惑星? いや、月も出るしな。そこはまるっきり地球と同じか。パラレルワールド?」
一人でぶつぶつと呟いていると、銅像の反対側に誰かが座った気配を感じた。
そちらを除き見ると、背中しか見えなかったが少女である事がわかった。
「……グスっ」
どうやら何か嫌な事があって泣いている様だ。俺と同じで指におしゃぶりが飛んできたのかもしれない。
「あれは痛いよなぁ……」
独り言を漏らすと、少女がこちらを振り向いた。
「だれ?」
どうやら俺が座っていた事に気が付いてなかった様だ。泣き腫らした赤い目が不思議そうにこちらをみる。
「誰だと聞かれたら、答えてやるのが世の情け」
「?」
「……いや、なんでもない。俺はレオルド。君は?」
「……わたしノルン」
ノルンと名乗った少女の顔を見る。
同い年くらいだろうか。眩い程の赤毛に、真ん丸の大きな瞳。
まるでハリウッド映画の子役の様な端正な顔立ちである。
「ノルンはどうして泣いてるの?」
俺は子供が好きである。変な意味ではなく、子供用品店でアルバイトをしていたし、俺自身の精神年齢が低いからなのか、前世から子供にはよく懐かれた。
「パパがあそんでくれないの……おしごとがいそがしいって」
なんという事だ。
何を隠そう。俺も父親が遊んでくれない。まあ、俺の場合はそもそも父親がどこにいるのかもわからないのだが。
理由は大きく違うが、状況的には似たもの同士である。
「なら俺と遊ぼうよ。俺もお父さんがいないから暇なんだ」
少し犯罪の香りがする発言になってしまった、と後悔したが、今の俺は目の前の少女ノルンと同じ子供である。何も問題はないはずだ。
「ほんと!? なにしてあそぶ?」
台座から降りて駆け寄ってきたノルンの勢いに押され、俺は少し引き気味に言う。
「なんでもいいよ。ノルンがしたい事を俺もしたい」
「えー! じゃあどうしよう。おままごとは二人じゃできないし……お花畑にちょうちょ見にいく?」
「いいね。行こう! ちょうど蝶々見たかったんだよ俺!」
子供と仲良くなるコツは否定しない事。そして、同調する事である。
「いこ! レオルド君!」
ノルンに手を引かれて駆け出す。だが、運動不足が祟っって俺はその場で盛大に転けた。
「いったぁあ!」
精神年齢にそぐわない叫び方をしてしまった。膝を擦りむいてしまった様で傷口から血が滲んでいる。
なんという失態だ。子供の馬力を舐めていた。
最近気がついた事なのだが子供の身体で負う怪我はものすごく痛い。
それを如実に感じていると、ノルンが慌てて駆け寄ってくる。
「ごめんね……レオルド君」
「ううん。大丈夫。こんな傷、唾つけとけば治るってじっちゃんが言ってたし」
「?」
俺の痩せ我慢から出た支離滅裂な言葉にノルンは疑問符を浮かべた。
だが、その後すぐに辺りを見回すと、こそこそと座り込んだ俺に近づいてくる。
「いたいのいたいのとんでけー!」
なんともいじらしいものである。微笑ましい状況に俺はつい頬が緩んだが、それは一瞬後に起きた出来事でひっくり返された。
擦りむいた膝小僧に、傷口が無くなっていたのだ。
「っ!?」
「もういたくない?」
「──」
俺は無言で何度も頷く。
「よかったぁ……おとうさんにはね。他の人にしてあげたらだめって言われてるの。だからナイショね」
ノルンがしーと口元に人差し指を当てる。
「わ、わかったよ。二人だけの秘密だね。ありがとうノルン」
「どういたしまして!」
座っていた俺の手を掴み、また力強く引っ張るノルンに、俺は乾いた笑みを浮かべた。
胸中を支配するのは複雑な感情だった。
(お前も魔術使えるんかい!)
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