第5話 魔術ってそりゃ危ないよね


 魔術はマナに力を借りて使うと母親は言っていた。


 プリムが会いにくるのは早くても一週間後だろうと言われ、俺は一人で魔術の練習をしてみることにした。


 母親には止められたが、バレなければ問題ないだろう。未知の魔術の深淵を覗いてやるのだ。


「けどマナに力を借りるってどういうことだ?」


 マナのイメージが微生物なら、そこら中にいるのだろうか。


 いや、成長して色がつく前のマナは無色透明とも言っていた。


 母親の話によると、俺の黒いマナの適正は高いらしい。


 だが、高い低いの基準がよくわからない。身体はマナの家の様な物と言っていたし、さしずめ俺の身体は沢山のマナが住める豪邸みたいなものなのだろうか。


 自分の手を見てみる。なんとも頼りない小さな手である。


 俺は深く深呼吸をすると、かっと目を見開いて叫ぶ。


 叫ぶと言っても母親にバレたらいけないので静かにだが。


「マナよ出ろ!」


 しーんと静まり返った部屋に、顔が熱くなってくる。


「……うーん。よくわからないな」


 そもそも黒いマナというのは何ができるのだろう。赤いマナは火を出せる、というのは何となくイメージができる。


 青は水。緑色は風。茶色は大地と言っていたが作物を育てられるのだろうか。なんだそれ。農家に引っ張りだこじゃないか。


 思考が逸れそうになり、勢いよく頭を振った。


(黒いもの……夜、炭、影、暗闇……)


 頭の中で黒い物を羅列してみるが、何だかしっくりこない。


 それよりも、黄色の魔道石に触れた時のことをイメージしてみる事にした。


 あの時、指で触れた黄色の魔道石は砕けちったが、どちらかと言うと身体から離れる様に吹き飛んだように見えた。


 母親は抵抗力と言っていたが、どちらかと言うと反発力の方が正しい様な気がする。


 似たものが無いかと考えていると磁力が頭に浮かんだ。磁石にはS極とN極があって引力と斥力が働く。


 あの斥力に近い働きがあったのではないだろうか。


「……」


 俺は何の気なしに、部屋の隅に追いやられた歯固めに手のひらを向ける。


 そして、未知の微生物であるマナに問いかけるように言う。


「アレを持ってきて」


 もちろん、何も反応はない。


 それはそうだ。自分でも存在しているかあやふやなものに何が出来るというのか。


 ならばと、もっと強くイメージしてみる。


 黒色の微生物が身体の中に住んでいる。力を借りるとは言うが、貸してとただ願っても意味はない事はわかっている。


 むしろ俺が部屋を貸している立場なのだ。なら、その家賃を払ってもらわなければいけない。


 だから、正しい言い方とするならばこうだろう。



 すると、手のひらから何かが抜けていくのを感じた。


 少しの間何も反応が無かったが、見ているとカタカタと歯固めが震えだすのがわかった。


 これは成功したか、と思ったのも束の間である。

 

 突然歯固めが高速で飛来して俺の指先を弾いた。


「──いっっっ!!」


 声にならない悲鳴をあげ、俺はその場で蹲って悶える。


 歯固めはその速度のまま止まることなく部屋の壁に激突し、轟音を立てて砕けちった。


「ま、まんまぁぁぁあ!!」


 情けないが、あまりの痛みに泣き叫んで母親を呼ぶ。すると、ドタドタと床を走る音が聞こえて部屋の扉が開いた。


「どうしたのレオ!? 何があったの!?」


 母親は慌てて駆け寄ってきて、俺の手を見る。


 ぱんぱんに膨れ上がった俺の指を見て驚愕に目を見開いた母親だったが、すぐに目を閉じると小さく呟いた。


「光のマナよ。癒したまえ」


 黄色い光の紐が俺の腫れた指に巻き付くと浸透していく。パチパチと弾ける音と共に、指の痛みが瞬く間に消えていく。


「ええ!? なおった?」


 自分の指を見て、呆然としている俺の両肩を母親が掴んだ。


「何をしていたの!? 答えなさい!」


 母親の剣幕に、俺は怯えながら答える。


「ご、ごめんなさい。魔術の練習をしてました」


 俺の発言に母親は項垂れる。そして、顔を上げると般若の様な顔を一瞬浮かべる。


「はひっ」


 思わず小さく悲鳴を漏らしたが、母親はすぐに深呼吸をすると俺の肩から手を離した。


 そしてポロポロと涙を流し始める。


「レオ。魔術は危険な物って言ったでしょ……?」


「うん……」


「レオもわかったって言ったよね?」


「はい……ごめんなさい」


「心配したわ。凄く。もしも指じゃなくて、頭だったりしたらどうなってたかわかる?」


 頭にあの速度で物が飛んできたらと考えると背筋が震えた。


 そこで漸く気がついた。自分は浮かれていたのだという事実に。


「ごめんなさい……もう二度としません」


 母親の萎れた様子に、俺は俯いた。


 あれだけ口酸っぱく言われていたのに、何も理解できていなかった。自分は確かに精神だけは年相応ではない。けど、魔術に関しては未だ赤ん坊なのだ。


 なのに、母親にバレなければいいだろうと自分勝手に魔術を使った。


 あれが自分の急所だけでなく、共に暮らす母親に及んでいたらどうなっていたのか、考えたくもないことだ。


 意気消沈する俺に母親は視線を合わせる。その時にはもう厳しい顔はしていなかった。


「確かに一人で危ない事をしたのはいけない事。だけど、自分一人で魔術を発動させたのは、本当に凄い事よレオ。お母さんとしては止めないといけないんだろうけど、誇らしい事でもある……」


 母親は俺の頭を抱きしめる。


「いきなり魔術について聞かれたからびっくりしたけど、レオは魔術が気になるのね」


「……うん」


「今までおもちゃとかにも興味を示さなかったから、少し心配していたの。だから、興味を惹くものができたのは凄くいい事よ」


「……」


 母親は俺がつまらなそうに積み木で遊んだりしていたのを知っていたみたいだ。


「好きな気持ちや好奇心は誰にも止める事はできないわ。私もそうだったから何となくわかる。けど、約束は破ってはだめ。あとできっと後悔する事になるから」


 母親にも似たような経験があるのだろうか。


「お母さんも後悔した事があるの?」


「……ふふ。あなたが生まれてきてくれたから、全部吹っ飛んじゃったわ!」


 涙を貯めた目を擦りながら母親はそう言った。


 俺を見る母親はただ優しい眼差しだった。

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