第2話 プリムは空からやってきた



 あれからというものの、俺は部屋の中をハイハイと歩きを駆使して動き回った。


 今まで動けなかった反動が出たのだろうか、自分でも驚くほど特に意味もなく動き続けている。


 そして疲れたら眠る。腹が減ったら離乳食らしきものを食うために起きる。催したら母親におしめを変えてもらう、という生活を一年ほどやって、三歳を少し過ぎたあたりで部屋からベビーベッドが撤去された。


 その時の喪失感は言葉にできないものがあったが、それ以上に自分の意思で動き回れるのは素晴らしいと感じた。


 それもすぐに飽きてしまったが。


 今は自室の中央で母親から与えられた積み木の様なものを使って遊んでいる。


(俺何やってんだろう……)


 この年になっておもちゃ遊びに興じる事になるとは思ってもいなかった。


 けれど、他に何かをしようにもこの部屋には何もないのだ。姿見があるのと、クローゼットの様な物。あとは新調された大きめのベッド。


 あ、謎のおしゃぶりの様なものもある。あまり使わなかったが。


 そんなこんなで、またもや疲れて大の字で寝ていると、母親が扉をあけて入ってきた。


 未だに俺はこの家から出た事はなく、引きこもり生活を余儀なくされている。


 三歳くらいの子供ってこういうものなのだろうか?


 もっとこう、母親と手を繋いで外を連れ回される物じゃなかろうか。


 だが、母親はずっと家にいるし、俺が呼べば気づいてすぐに来てくれる。


 というか、母親はなんの仕事をしているのだろう。まさか家でPCと睨めっこしながらトレーダーでもしているのだろうか。


 母親が株価を気にしてるのを想像して、ちょっと微妙な気持ちになった。


 そんな取り止めのない事を考えていると、部屋の扉が開き、件の人物が入ってくる。


 いつもと違って髪がちゃんと撫で付けられている。服装もいつもの様な森ガールの様な感じではなく、外行きのものだ。


「これから人に会うからね。レオも一緒に行こっか」


「うん」


 念願の外出である。今まで扉を開けて外に出ようとしても母親に止められていた。それが漸くお天道様に会えるというのか。


 母親に抱っこされて扉の外に出る。


 食事の時くらいしか入らないリビングを抜け、外に出るための扉を母親が開ける。


(さてさて。どんな場所なのかな……)


 家を出ると外は同じ様な平屋が何軒も並ぶ集落の様な物だった。


 いや、寒村と言った方が正しいだろうか。なんとも活気のない場所である。人も何人か作業をしているが、薪を割ったり、座って細工の様なものをしているだけ。


(ええ……? ど田舎なんてもんじゃねえぞ)


 戦々恐々としながら、母親の肩くらいの位置から色々と見てみるが、国を示す様な物は何もない。


(てか眩しいっ! 太陽眩しすぎる! グラサンくれ!)


 今まで外に出てこなかった引きこもりとしては、直射日光が目に痛い。


「ああ、シェリーさん。こんにちは」


「あら、ドクトさん。こんにちは。その節はお世話になりました」


「いえいえ、僕は大した事はしてませんよ。それより、その子が?」


「はい。レオルドです。ほら、レオ。ドクトさんに挨拶して」


「いやいや、お構いなく。子供には昔から好かれないんですよ」


 目の前の男はドクトと言うらしい。


 くたびれた痩せた身体のおっさんだ。


 何者なのかは知らないが、母親が気を揉んでいるのを見るとお世話になっている人物なのだろう。


 俺は心の中で咳払いをして、ドクトに顔を向けた。


「こんにちはドクトさん。レオルドです」


「──」


 目を丸くしたドクトに俺は困惑する。


「いや、驚いた。お幾つでしたっけ?」


 俺の挨拶を無視して母親に尋ねるドクトに悪戯心が芽生えた。


 ──今は俺と話してるでしょうが。


「三つです。たぶん。そうだよねお母さん?」


「よく覚えていたわねレオ……あ、ごめんなさいドクトさん。なんだかうちの子、すこしませていて」


「……ああ、いえ。ふむ。もしかしてレオ君。君じゃなくてシェリーさんに話しかけたから怒ったのかい?」


 断じて怒ってはいない。が、ちょっとした意趣返しをしてやろうという邪心が芽生えたのは否定できない。


 俺は素直に聞かれて逆にバツが悪くなり、母親の肩に顔を埋めた。


「怒る? レオがですか?」


「あーいや。まさか、こんな年の子が……確かにちょっと失礼だったかな。悪いね」


 俺はそれに対して何も言わなかった。


 母親は訳がわからず困惑していた様だったが、ドクトが予定があると言い足早に去っていくと話しかけてきた。


「いつのまにあんな話し方を覚えたの?」


 質問の意味がわからずにぼけっとしていたが、少し考えたら理解できた。


 敬語で話した事を言っているのだろう。


「お母さんとドクトさんが話したから」


 母親がいつも話しかけてくる文法とは少し違っていたが、だからといって丸っきり違う訳でもない。それほど長い話し言葉でも無かったため、何となくで真似できるレベルだ。


「……私とドクトさんが話したのを聞いて、それを真似したって事? そんな事できるのかしら……」


 母親はぶつぶつと独り言を呟いているが、俺は別のことに気が取られていた。


 母親がドクトと会った後、家とは違う方向に歩き出したから、彼が目的の人物ではないというのはすぐにわかった。


 だが、母親の向かう先が村外れの森だったのだ。


 どんどん森が深くなっている気がする。もはや村も見えなくなる程で、人の手の入っていない森林に向かっている。


(これから会うのって仙人か何かか?)


 心の中ではことさら気丈に振る舞ってはいるが、実際には胸中は不安感が募っていた。


「よし。いいかな」


 森が少し開けた場所に立ち入ると、母親は器用に指笛を鳴らした。甲高い音が森の木々に浸透していく。


 器用だなあと思っていると、突然空から人が降ってきた。


「──っ」


 盛大に音を立てて着地したその人物は、砂煙を巻き上げながら何事も無かったかの様に立ち上がる。


「??」


 頭の中を疑問符が埋め尽くしていると、目の前の人物が砂埃を払って口を開く。


「申し訳ありません。こんな場所まで足をお運びいただいて」


「ううん。こっちこそ気を遣ってもらってありがとう」


 空から降ってきた人物は、おかっぱ頭の少女だった。


 何もかも訳がわからないのだが、一番よくわからないのはその服装である。


(なんでゴスロリ?)


 空から黒髪おかっぱ頭のゴシックロリータが降ってきたのである。


 これに驚かずにいられるだろうか。


「そちらの方が?」


「うん。そうよ。レオルドって名付けたの」


「レオルド……レオルド様ですね」


 そして、いきなり様付けである。


 母親であるシェリーもそれに対して特に訂正しようともしない。


(これ何かのプレイ……?)


 とりあえず、このゴスロリは何者なのだろうか。なんで空から降ってきたのだろうか。なんで様付けしてくるのだろうか。


 絶えず襲う謎に頭が破裂しそうになっていると、ゴスロリ少女が口を開く。


「レオルド様。初めての邂逅がこの様な場所で申し訳ありません」


 そしていきなりその場で膝をつく。脚に土がつくのも構わずに深々と頭を下げる。


「お、お母さん。この人は……?」


「レオルド様。失礼ながらお耳に入れるのが遅れてしまい申し訳ありません。私の名はプリムと申します。どうか、そのままプリムとお呼びください」


「ぷ、ぷりむ?」


「はい。レオルド様」


「……」


 場を沈黙が支配し、母親に視線で助けを求めるが何も言わない。


 仕方なく口火を切る。


「ええと……プリムはなんで様をつけるの?」


 文法が怪しくなってしまったかも、と一瞬懸念があったが、伝わった様だ。


 だが、伝わったからと言って、納得できる答えが返ってくるとは限らない。


「……? 私があなたの従者候補だからです」


「……じゅうしゃ?」


「はい。従者です。下僕と捉えていただいてもかまいません」


 始めは何を言っているのか分からなかったが、そこまで言われて漸く言葉の意味が理解できた。


(じゅうしゃって従者の事かよ! てか、下僕!?)


「誠に勝手ながら、今日は顔合わせのみで失礼いたします。つきましてはまたの機会に詳しい紹介ができれば」


 …………。


 これ、俺がなんか言わないといけないのだろうか。未だに膝をついたままのプリムに、色々と諦めて半ば投げやりに言う。


「ご、ご苦労?」


「はっ。勿体なきお言葉。それでは失礼いたします」


 プリムはそれだけ言うと、黒い影の様な物に巻かれて空に消えていった。


 そう。消えていったのだ。


「お母さん」


「どうしたの? あ、もしかしてプリムが可愛いものだから、一目惚れしちゃったのかしら?」


 違う。違うよお母さん。


 確かに顔は整ってたけど、どちらかというと怖さの方が勝ってる。ファーストコンタクトで空から降ってくるし、それを見てお母さんも特に反応しないし。


 そうではなく、俺にはどうしても問いたださないといけないことがあった。


「……あの子はどこに消えたの?」


「消えたって言うよりかは戻ったって方が正しいのかしら? 月の魔術には詳しくないからあまりわからないけど」


 ツキノマジュツ?


「お母さん」


「もうどうしちゃったのレオ? そんなに何度も呼んで」


 母親は不思議そうにしているが、その表情は嬉しそうである。だが、そんな母親の心境など気にしている余裕がなかった。


 なぜなら俺は酷い思い違いをしていた事に気がついたからだ。


「──魔術って何?」


 まさかここが地球ですらないとは思いもよらなかった。


 


 


 

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