己が得物から手を外せば、その拘束は容易く解かれた。揺らいでいた空間もふっと霧散するように元の形を取り戻し、満足げに彼女は立ち上がった。

己の入ってきた入り口から外へと出て行こうとするので、それをただ観察するに留めていると彼女は立ち止まって此方を向く。数回手招きをした後に再び歩き始めたので己はその後を追って教会を出た。

また死骸の山を歩くのは気が進まないが、彼女は気にせずその上を歩いていく。その少し後ろを、己はのろのろと歩いた。

「この下」

彼女は歩みを止めることなく、声を発した。

「海溝を下れば、もう戻る手段はありません」

彼女の言う、その海溝が遠くに見える。丸い大きな穴が空間に広がり、底は闇に包まれていて何も見えない。その言う通り、穴の表面は常に崩壊を続けており足場などは全く存在しない。

「それでも、行くのでしょう」

その問いに、ただ己は首を縦に振る。引き返す選択肢など存在しない、底にこそ己が産み落とされた意味がある。

穴の傍まで辿り着くと、彼女は穴へ向けて跪いた──己の赦しの為に祈った時と、同じように。


「私は、彼女を赦してしまいました」

──これは恐らく、己に対する言葉では無いように思う。

「私は何度も、彼女を赦してしまったのです」


「演者を食らい続けて、飛べなくなってしまう程に」

彼女の体が、爪先からぼろぼろと崩壊を始めた。魚やこれまでの旅路で見送ってきた彼らのそれとは異なる、生々しい──黒い地面に鮮烈な赤が咲き乱れていく。一枚の布が一本一本糸を解かれていくように、肉の内が露にされていく。その真っ赤な糸が海溝に向かって流れていくのを見て、何が起きているのかを嫌でも理解することとなった。

空間の主が、手を下している。

「良いのです、私が最後の演者です」

分解されながらも、赦しを乞うたまま彼女は動かない。

「首を食らっても尚、魚を食い尽くしても尚、彼女は満たされない。もう、止まらない」

最後、組まれた手が力無く解かれた瞬間──ぼろりと大量の糸が散った。それらは余すことなく海溝の奥へと吸い込まれ、瞬く間に暗闇へと溶けて行った。



「あなたは、赦されている」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る