騎士
珊瑚礁を抜けると、また何も無い砂地が広がっていた。表層は未だ続くようで、中層は見えてこない。そして、この手の中の小さな者達を何処に運ぶかの検討もつかなかった。
今はただ、底へ底へと向かい、歩を進める。
──この海を泳ぐ魚の影は、かつてこの海を泳いでいた魚の残骸だ。
命と肉が知らぬ間に溶け落ちても尚、当の魚本人はそれに気付く事は無い。意識と影が混ざりあって、遠い昔のままに生きているふりをしている。あれらは鰓も鱗も砂の底に埋もれてしまったのに、未来永劫気付くことは出来ない。手を伸ばして触ろうとしても、怯えた影が手をすり抜けて遠くへと泳ぎ去るだけだ。
遠くへと泳ぎ去る魚を目で追っているとぴたと魚の動きが止まり、砂へと叩きつけられた。爆発したかのように激しく砂は舞い上がり、影は少し痙攣した後に動かなくなった。
水の濁りが落ち着くまで、鮃の如く身を潜めていたが、その内、あれが己へ向けられるであろう敵意では無いことを薄々と理解し始めていた。大人しくしている最中も、遠くで魚の影が次々に沈められていくのが見えた。己がその対象に含まれていたならば、先のぼんやりと歩いていた時に砂地に縫い付けられていただろう。
恐る恐る近場の穴に近付いてみると、魚は細い針のようなもので串刺しになっていた。身体の中心あたりを丁度貫かれており、命の無い影はぐったりとして動かない。そっと影に指を伸ばすと、それは触れる直前で輪郭を崩壊させ、どろりと朽ち落ちた。
いつの間にやら辺りに響いていた音は止み、針が飛んできた方角の砂煙も落ち着きを見せ始めている。それが自分が目指していた中層に向かう方向であるのにも、今になって気付く。
やや気乗りのせぬままに歩みを再開すれば、串刺しの魚と凹んだ地面が視界を過っていった。輪郭を留めているもの、無いもの、何匹も串刺しになっているもの──不明瞭な影らの死が転々と並ぶ中、少し先に玉座の様なものが見え始めた。灰色の大きな玉座には座る人影がある。近付くにつれ、それは布を全身に巻き付け、羽織り、玉座の上で膝を抱えているのが分かった。目の前まで来ると、それは僅かに顔を上げて針をこちらへ向けた。
「止まれ」
凛とした、青年の声である。
「玉座はあの人のものだ、分かったら去れ」
突如歩み寄ってきた己にも臆する事無く、淡々とそう告げてこちらの様子を伺っていた。今度は確実に己へと向けられたその針が、もしここで胸を貫いたならば明確な死が在ることは想像に難くない。
敵意が無い事と確認を兼ねて、先程から沈黙を貫いている彼女らを差し出すと僅かに後退った。そして息を飲んだ気配の後、二度程己の手の中を凝視して彼は針を下ろした。
「どこで見つけた」
後方を指差す。先程通ってきた、珊瑚礁の方角である。
「話したのか、彼女と」
肯定──口が無いのはやはり不便だと思いつつ、三度ばかり頷いた。そして、口を利いたのはこの彼女とやらだ、と黄水晶を示す。
「……もうこんなにも、小さくなってしまったのか」
恐る恐る彼女らを手に移し、彼はそんな事を呟いた。
「ようやく、終わったのか」
ぱん、と爆ぜる音がした。
瞬きの内、眼前に存在していた彼と彼女らは失せる。
──この玉座には、もう主は戻らないだろう。彼等に安寧が訪れることを、己は祈る。
そしてまた、静かになった海中を歩き始める。
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