3.主人とデートはいたしません


 ウィンター家の執事をしていた義父は、当時六歳のエドワードを引き取ったときにはすでに高齢だった。当主のアストンとは長い付き合いであり、幼い子どもを引き取ってウィンター家に住まわせることを快く受け入れてくれたそうだ。

 そのおかげでエドワードは、ノアに出会った。


 兄弟のいなかったノアはすぐにエドワードを気に入り、使用人の子どもであろうと関係なく、いつも傍でいろいろなことを教えてくれた。


 それこそ本当の兄弟のように。なんでも語りあえる友人のように。


 数年後に義父が亡くなり、行き場をなくしたエドワードを屋敷に留め置いてくれたのはノアだった。


 あの日の恩を、今もずっと胸に抱いてエドワードは生きている。

 主人がどんなに変わり者であっても、そのせいで呪いをかけられようとも、ノアへの忠誠心が揺らぐことはなかった。


(だからこそ、ノア様には幸せになってほしいのに)



「腕が痛むのか、エディ」


 気遣うようなノアの声に、右腕をさすっていたエドワードは首を横に振った。


「いえ、痛みはまったくありません」


「見せてみろ。俺なら呪いを解いてやれるかもしれない」


「呪いが術者にしか解けないことは私も知っています。旦那様のものであれば、尚更無理でしょう。そんなことより、早く仕事に行ってください」


 隠すように腕を背中に回して言うと、ノアはつまらなそうにテーブルに頬杖を付いた。


「じーさんが身体的にお前を苦しめることはないと思うが、それでもやはり腹が立つ。どうだエディ、気分転換に一緒に街に行かないか? どうせ買い物に行くんだろう。俺が荷物持ちを引き受けてもいいぞ」


 現実への逃避か、はたまた覚えてもいない昨夜の醜態への罪滅ぼしか、エドワードの機嫌を窺うようにノアは声を明るくした。

 暇さえあれば王太子と酒を呑み交わし、盛大に酔っ払って帰ってくるのは日常茶飯事だ。今更そんなことでエドワードの機嫌が悪くなることはないが、朝方まで愚痴に付き合わされたお陰で睡眠不足は否めない。


 そのうえ主人の結婚問題が常に頭にあり、鏡の前で散々気を付けようと心掛けていたはずの眉が無意識に中心に寄る。


「仕事をサボる気ですか?」


「ライアンが謝罪し、発言を撤回するまで行かん」


「呆れた……なにを言われたのか知りませんが、そんなにいい加減でよろしいんですか?」


 エドワードが語気を強めると、ノアは無言で人差し指を自分の頭上に指し示した。その指先を辿ってエドワードの視線が上を向くと、何やら紙とペンが空中で忙しなく動いているのが目に入る。


 さらさらと流れるようにペン先が文字を綴っているのを見て、エドワードは顔を顰めた。


『親愛なる王太子殿下。


 昨日の非常に不愉快極まりない発言を撤回して頂くようお願い申し上げる。私は貴方のリトル・プリンセスに興味などまったくないことを、再度お伝えしておきたい。貴方の誠意ある対応を期待しています。

 追伸、それまで王宮には参りません。


 貴方の魔法使い、ノア・ウィンターより』


 とんでもない文章を瞬時にエドワードが読み終えると、手紙はひとりでに蝶のような形に折りたたまれ、いつの間にか開いていた窓の外へとひらひらと飛んで行ってしまった。


 手紙の蝶が向かった先は、考えるまでもない。


「これでいいだろ? 心置きなくお前との時間を過ごせるぞ、エディ」


 嬉々として立ち上がったノアは、行儀悪くコーヒーを飲み干し、ぱちんと指を鳴らした。二階にあるノアの自室から、濃紺のジャケットが文字通り勢いよく飛んでくる。


 こうなってしまっては最早なにを言っても無駄だと悟ったエドワードは、短く息を吐いた。


「……分かりました、街に行きましょう。ちょうどノア様の婚約者候補の方がいらっしゃるので、会いに行ってみましょうか」


「なに? 婚約者候補? デートはどうするんだ」


「なんですかそれ。私とノア様がデートなんかしてどうするんですか。婚約者探しに協力してくださる約束ですよね?」


 そもそもご自分の婚約者探しに協力というのはおかしいですけど、と小言を付け加え、エドワードはスーツの内ポケットから薄い手帳を取り出した。


「婚約者リストにはすべて目を通しておきました。一番身近な方はご近所のリリーですが、よく顔を合わせているので今更不要でしょう」


 手帳を見ながらそう言うと、ノアはあからさまに嫌そうな顔でじとりとエドワードを見る。


「じーさんとの約束は一年だぞ。まだ時間はたっぷりあるじゃないか」


「たっぷりどころか、足りないぐらいですよ。ノア様と結婚してもよいと言う方が、すぐに見つかるとお思いですか? リストはありますが、会ったこともない方がほとんどです。一言も話さず即結婚……であれば、離婚は不可避ですが結婚はできます。ですが私は、ノア様には幸せになって頂きたいのです。後になって離婚を突き付けられ、悲しむ姿は見たくありません」


 憐れむような視線を向けたエドワードに、ノアは先程までの意気揚々とした態度から一変、すでに離婚を突き付けられた夫のようにげんなりと疲れた様子だ。


 普段エドワードの明け透けな発言を気にする素振りも見せないノアだが、今回ばかりは多少こたえたのか、片手で顔を覆って大袈裟に溜め息を吐き出している。


(言い過ぎたかな……)


 危機感を持ってもらうために本当のことを伝えたのは逆効果だったか。このまま婚約者探しを放棄されては困る。

 エドワードが慰めの言葉を探していると、顔を覆っていた手で気怠げに前髪をかき上げたノアと目が合った。光の具合で色が変化して見えるノアの瞳は、今は鮮やかな青色だ。


「……本当にお前は、俺を結婚させたいんだな」


 静かな呟きに、エドワードは目を見張った。


「ま、やると言った以上、婚約者探しはお前に従うことにする」


 すぐに視線を逸らして手にしていたジャケットを羽織ったノアは、無表情で立ち尽くすエドワードにいつもと変わらない笑みを向けた。


「さぁ行くぞ、エディ。面倒なことをとっとと済ませないと、デートする時間がなくなるだろ」


 口の端を吊り上げるノアを見つめていたエドワードは、困ったように肩を竦めた。


「だから、デートなんかしませんよ」


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