2.黙っていればモテるでしょう


 自室にある姿見の前でネクタイを結んでいたエドワードは、眉間に皺の寄った自分の顔がふと目に付いた。


(なんて顔してるんだよ……)


 普段から感情に左右されないポーカーフェイスを心掛けているエドワードにとって、無意識に険しい顔をしていた自分の未熟さに嫌気が差す。眉間を指で揉み込み、なんとかいつものような無表情を鏡の前で作り出してみる。


 榛色ヘーゼルの瞳と睨み合うと、つい先日の主人とのやり取りが頭に浮かび、結局また眉間に皺ができてしまった。


(くそっ……全部ノア様のせいだ……)


 苛立ったように舌を鳴らし、整えたばかりの短い黒髪をわしゃわしゃと掻き乱す。


『俺が結婚したいと思える相手が見つからなかったときは、分かっているな──エディ』


「分かりませんよ……いったい何を考えているんだ、あの人は」


 呪いにかかった右腕を見つめて、エドワードは溜め息をついた。


『婚約者が見つからなければ、じーさんの元には。それがこの馬鹿馬鹿しい茶番に付き合う条件だ。もしそれが嫌なら、俺の気が変わるよう全力で未だ見ぬ婚約者とやらを探してみろ』


 探してみろ、とは随分横暴だ。自分の婚約者のはずなのに、自ら探す気などさらさらないと言っているようなものだ。

 エドワードを当主の元に連れて行くという言葉がどんな意味を持つのか、分からないほど純粋でも愚かでもなかった。


 エドワードは黒いスーツの上着に袖を通すと、襟と乱れた髪を整え、完璧な身なりで姿見に映る自分を見る。長身のノアに比べて身長は劣るが、一切の隙など与えない執事の姿がそこにはあった。



「──私は男だ」


 断固とした決意を宿した双眸は、凛々しく引き締まった男の顔を映し出す。



 ──少なくとも、貴方の前では。



 自分の中で静かに言葉を飲み込み、エドワードは姿見に背を向けて部屋を後にした。



 * * * 



 すっと無言で差し出されたコーヒーカップに、エドワードは慣れた様子でコーヒーを注ぎ入れた。ノアに仕えるエドワードのひとつひとつの所作には無駄がなく、主人の邪魔にならないよう、常に静寂さを纏って傍に控えている。


 朝食を済ませ、新聞片手にコーヒーを啜っているノアの様子を、エドワードはそっと盗み見た。長い脚を組んで座るノアの姿は、彫刻のように美しい。深みのある銀灰色シルバーグレーの髪よりも暗い灰の睫を伏せ、真剣に新聞に目を通している。


(結婚相手なんて、黙ってさえいれば引くて数多だろうに)


 精悍さを滲ませた均整の取れた目鼻立ちは、美形と言うに相応しい。昔から老若男女問わずモテてきたノアだったが、多感な年頃に女性関係で嫌な思いをしたことをきっかけに、今では極度の女性嫌いだ。


(嫌いというより苦手なんだろうけど)


 外見やら家柄目当てで近付いてくる相手は完全に拒絶。過度なアピールをしてくる相手には、触れられるだけで鳥肌を立てる始末だ。失礼極まりない。


 学生以来、ノアが女性と深く関わっている姿をエドワードは見たことがない。挙句どこに行くにもエドワードを連れ立っているものだから、数年前からノア・ウィンターは同性が好きなのではないかと、そこら中で噂されている。


 こんな調子で結婚相手を探すなど本当に可能なのだろうか。主人のことになると、エドワードの悩みは尽きない。


「ノア様、そろそろ王宮に向かわなくては遅刻しますよ」


 エドワードは壁の時計をちらりと確認し、いつまでも動き出す気配のない主人を促した。


 宮廷魔法使いのノアは、主に王宮に出向いて魔法の研究をしたり、魔法による様々な問題の解決に尽力している。時には王族の護衛をすることもあるが、ノア曰くそれは単なる仕事の一貫であり、魔法使いは基本的に非魔法使いの下にはつかない。


 魔法使い自体が年々数を減らしている今の時代、魔法に対する問題以外には関与しないのが彼らの原則だ。

 いずれ魔法使いは表舞台から姿を消すのではないかと言われている。

 王族であっても、彼らを独占して使役することはできないのだ。


「俺は常々思うんだが、エディ。戦争もなく安定した今のこの国に、俺のような優れた魔法使いは必要か? わざわざ王宮に出向いたところで、やる事なんて高が知れているだろう。宝の持ち腐れだと思わないか?」


 ノアは溜め息混じりに新聞を畳んでテーブルに置くと、カップを口元に運んだ。コーヒーを一口飲み、憂いを帯びた表情で窓の外に視線を向けている。


「ノア様は昨日さくじつ王太子殿下と言い合いになったそうですね。互いに顔を合わせづらいのは分かりますが、適当なことを言ってサボるのはやめてください」


「……なぜそれを知っている」


「昨夜酔っ払って帰ってきたのをお忘れですか? 延々と殿下への愚痴に付き合わされた私の身にもなってください」


 表情を変えることなく淡々と述べたエドワードを見て、ノアはばつが悪そうに後頭部を撫でた。


「ふむ……王宮から出たあとの記憶が消えているようだ」


「ええ、そうでしょうね。いつものことです。お二人共いい大人なんですから、お酒を飲みながら喧嘩をするのはもうやめてください」


「しかし、アイツが……」


「私に言い訳は不要です」


 ぴしゃりと言葉を遮られ、ノアは叱られた子どものように首を竦めた。


 同い年の王太子と仲がよいのは素晴らしいことだが、酒の前ではどちらも少々頭のネジが飛んでしまうのは困りものだ。


 結局のところ、主人が結婚できないのは本人の気持ちもさることながら、性格があまりに残念だからかもしれない。


(いや、そんなことは最初から分かっていたけれど)


 血の繋がった祖父にでさえ、変わり者と評されているのだ。積み重なった婚約者リストの中から、何人の女性が候補に残ってくれるのか。


(早まったかもしれない……)


 呪われた右腕が痛む気がして、エドワードはそっと腕をさすった。


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