魔法使いの花嫁探しは前途多難

宵月碧

第一章 婚約者探しを始めます

1.まずはその気にさせましょう


「ノア・ウィンターに告ぐ。早急に婚約者を決め、しかるべき時に結婚されたし。同封した婚約者リストの中から好きな相手を選ぶがよい。貴殿のような変わり者と添い遂げてもよいという、奇特な方々だ。くれぐれも失礼のないように。尚──」


 淡々とした口調でそこまで手紙を読みあげ、執事のエドワードは視線を前方に向けた。


「これは命令だ。一年以内に必ず婚約者を決め、結婚するように。──とのことです。ノア様」


 表情を変えることなく読み終えた手紙を折りたたむと、エドワードの手の中で青白い炎が燃え上がった。送り主によって魔法をかけられていた手紙は跡形もなく燃えてなくなり、代わりに分厚い紙束がエドワードの手に収まる。


「こちらが婚約者候補の方々のリストです」


「わーお、何人いるんだそれ」


 どさっと音を立てて机に置かれた書類の束を見て、手紙の受取人であるノア・ウィンターは目を丸くした。うんざりしたように椅子の背に身体を預け、深い溜め息を吐き出す。


「いきなり手紙を送り付けてきたかと思えば婚約者だの結婚だのと……いったい何を考えているんだ、あのじーさんは」


 不愉快そうに顔を歪めて、ノアは汚いものでも触るように書類の一番上の紙を摘み上げた。左上に見覚えのある犬の写真を認め、形のいい眉を顰める。近所に住む薬屋の主人が飼っている雌犬のリリーだ。一枚目から人ですらない。


 ノアは腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、雌犬リリーの紙を指で弾いて床に放った。


「で、なんだって?」


「端的に申しますと、『とっとと結婚しろ』と旦那様は仰っております」


「ほう……なぜ俺がじーさんに結婚を強要されなければならないんだ?」


「それはやはり、跡継ぎの問題ではありませんか。ノア様はウィンター家唯一の跡取りであり、偉大なる魔法使いアストン様のお孫様ですから。そろそろ身を固め、ウィンター家を継いでほしいのでしょう」


 エドワードは床に落ちた婚約者リストの紙を拾い、再び机の紙束の上に重ね置いた。主人の婚約者候補に犬が混じっていることは気にも留めない。


「跡取りが必要ならじーさんが作ればいいだろう。今七十そこらだろ? まだまだ元気そうだ。子どもの一人や二人いけるだろう」


「今から子作りに励んでも、成人まで待てませんよ。ノア様ももう二十六でしょう。私も今回の旦那様のご意見には賛成です」


 きっぱりとエドワードが言いきると、ノアは衝撃を受けたように仰け反った。普段何事にも動じない主人だが、珍しく動揺しているようだった。


「エディ、お前は俺が犬と結婚してもいいと言うのか」


「犬と結婚しろとは言っていません。きちんとリストに目を通してください。まぁ、リリーは賢く愛くるしい犬ですから、私はおすすめしますよ。結婚すれば、毎日癒されること間違いなしです」


 正気かこいつは、とでも言うようにノアが目を細めて睨んできたので、エドワードは真顔のまま「冗談です」と付け加えた。


「お前の冗談は分かりづらい」


 苛立ったように腕を組んだノアは、机の上の婚約者リストを顎で示した。


「それはじーさんに突き返せ。俺は結婚などしない」


「無理ですよ、ノア様。旦那様の命令は絶対です」


「なら絶縁する」


「子どもみたいな我儘言わないでください」


「俺は本気だ。ウィンター家の名など必要ない。なんならこの国を出てもいい」


 ふいっと顔を背けるノアの姿に、エドワードはこめかみの辺りを揉んだ。常日頃から我儘三昧な主人だが、今回はウィンター家当主の命令なだけに頭が痛い。


 エドワードがノアに仕えて十年近い。孤児だったエドワードはウィンター家の執事の男性に引き取られ、幼い頃からノアと共に過ごしてきた。まだ二十一歳という若さで執事として彼の傍にいるのは、そもそもノアの住む屋敷に他の使用人が存在しないからだ。ノアがウィンター家の屋敷を出るとき、唯一連れてきたのがエドワードだった。


 ──エディ、お前は俺のものだ。他の誰かに仕えることは許さん。


(なんてことを言っていたくせに)


 エドワードは小さく息を漏らすと、感情のない冷たい視線をノアに向けた。


「他国に行かれるのは結構ですが、私は付いて行きませんよ」


「なに? だめに決まっているだろ」


「……正確には、付いて行けません」


 そう言って皺ひとつないスーツの袖を捲ると、露出した腕をノアに見せる。エドワードの白い肌には、蛇のような黒い鱗の模様がぐるりと腕に巻き付いていた。


「おい……なんだそれは」


「手紙を開いたときに術にかかりました。拘束の呪いでしょう。放っておけばいずれ喰われます」


「……誰がお前にそんな呪いをかけたって?」


「旦那様でしょうね。手紙を開くのは私だと分かっていたはずですから……的確に貴方の弱いところを衝いてくるのは、旦那様の本気を感じますね」


 エドワードが思わず笑みを浮かべると、ノアは机に肘を付いて頭を抱えた。不穏な空気を漂わせ、ぎらりと目を光らせる。


「じじいを殺して呪いを解く」


「物騒なことを言うのはやめてください」


「お前に呪いをかけるなんて、殺してくれと言っているようなものだろ」


 ぶつぶつと呪いの言葉のようなものを呟き始めた主人の様子に、エドワードは肩を竦めた。放っておけば本当に当主の元に殴り込みに行きかねない雰囲気だ。

 力のある魔法使い同士の戦いは、周囲に多大な被害を与えること間違いなしである。エドワードのような非魔法使いからしてみれば、迷惑極まりない。


「そんなことをしなくても、ノア様の婚約が無事に決まれば解いてくださいますよ」


「俺は結婚などしないと言っているだろ」


「これまで散々好き勝手していたんですから、旦那様のたったひとつのお願いくらい叶えて差し上げてください」


「あのなぁ、昔から何度も言っているだろ。俺は──」


「ノア様。婚約者リストに目を通し、真剣に結婚について考えて頂かなければ困ります。どうか安全な方法で、私の呪いを解いてくださいますようお願いします」


 抑揚のない機械的な言葉に、ノアは怪訝な顔でエドワードを見つめた。


「エディ……お前まさか、わざと呪いにかかったのか……」


「なんらかの術が施されていることは分かっても、非魔法使いの私に呪いを避けるすべはありませんよ」


 涼しい顔でしれっと言ってのけたエドワードは、実のところ手紙に禍々しい術が施されていることに気付いていた。

 気付いていながら、ノアに相談することなく手紙を開いた。


『エドワード、私も老いた。いい加減ノアに跡を継がせたい。しかしあれを一人残して逝くのはあまりに不安だ。不安すぎる。最早誰でもよい、なんとかあやつをその気にさせ、傍で支えてくれる者を見つけるのだ。愛する妻でもいれば、少しはおとなしくなるだろう』


 数日前にウィンター家当主に言われた言葉を思い出し、エドワードは机の上の婚約者リストを一瞥した。


(旦那様もいくら切羽詰まっているからって、犬まで婚約者候補に入れるとは……まぁ、女性を愛する姿より、犬を愛でるノア様の方が現実的だが……)


 主人が雌犬のリリーと結婚式を挙げている姿を思い浮かべていたエドワードは、ばんっと勢いよく机が叩かれた音で意識を現実に戻した。両手を机に付いて立ち上がったノアへと目を向ける。


「よぉーく分かったぞ、エディ」


「分かって頂けましたか、ノア様」


 たいした期待もせずにエドワードが相槌を打つと、ノアは綺麗な顔ににやりと不敵な笑みを浮かべた。


「お前のために、そのリストに従って婚約者探しとやらに協力してやろう。その代わり、俺が結婚したいと思える相手が見つからなかったときは、分かっているな──エディ」


 宵空のように美しい藍色の瞳を輝かせ、ノアは自信に満ちた顔でエドワードを見つめていた。



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