第15話 二人の旅の始まり

 シエルがリオンの元に流れ着いて数日。

 ついにシエルとリオンが旅立つ日がやって来た。


 道場の前にはリオンを最後に一目見ようと村中の人たちが集っていた。

 先日と同じように道場は門の付近まで多数の人でごった返している。


 「リオンちゃん。たまにはお父さんにお手紙でも出してあげるんだよ」

 「体壊さないようにね」

 「みんなありがとう。みんなもボクがいないからって寂しがらないでよね」


 リオンはわざとらしく格好つけた振る舞いをして見せると踵を返して父ミタカの元へと向かった。

 これからしばしの別れとなる唯一の肉親との出発前の最後の顔合わせである。


 「父上、これからしばしの別れにはなりますがどうかお体にお気をつけて」

 「リオンこそ、また元気な姿を見せて戻ってくるんだぞ」


 ミタカはリオンと他愛もない言葉を交わすとリオンの頭の上にポンと右手を置いた。

 日頃こういったことをしなかったミタカの行動にリオンは困惑してミタカの顔を見上げた。


 「しばらく触れないうちに大きくなったな」

 「父上……」


 ミタカは右手でリオンの顔の輪郭をなぞり、彼女の頬に触れた。

 直に触れるリオンの肌は子供のそれとは少し違う女性的な柔らかさがあった。

 周囲から王子様と呼ばれようと彼女が身体的にれっきとした女性であることは肌に触れればすぐに理解できる。


 対するリオンもミタカの右手の甲に自身の左手を重ね、物心ついてから初めて父の肌に触れた。

 父の手はゴツゴツと固く、骨と血管が浮き上がっている。

 リオンもまた、これまで剣を通してしか感じられなかった男性的な肌の感触を知ることとなった。


 「母さんにそっくりだ。柔らかくて温かい」

 

 ミタカは今まで剣を通してしか見て来なかった我が子の成長を己の手から感じ取っていた。

 赤子の時以来久しく触れる我が子の肌の感触に今は亡き妻を思い出す。

 そしてミタカはそっとリオンの頬から手を離した。


 「ここまでにしよう。これ以上は見送るのが惜しくなる、行きなさい」

 

 ミタカはそう言うと後ろを向いて胡坐をかいた。

 このままではせっかくの娘を送り出す覚悟が揺らいでしまいそうであった。

 

 「では、行ってきます」


 リオンは父の胸中を汲み取り、一言残してその場を後にした。

 ミタカは本当は娘の背を追いたい一心をグッと堪え、座ったまま道着の裾を握りしめた。


 「シエル、用意はできた?」

 「ええ。むしろ貴方のことを待っていましたよ」


 諸々の挨拶を済ませたリオンはシエルと合流した。

 シエルも身支度を済ませ、出発の準備は万端である。


 「じゃあ行こうか」

 「はい」


 リオンとシエルは二人並んで母屋を出た。

 リオンにとっては生まれ育った場所との今生の別れであり、これからの旅の始まりであった。


 多くの村人たちに見送られ、リオンとシエルは道場を出て旅へと出発した。

 これからは顔見知りの人物と会うことのない二人だけの旅となる。


 「まずはここから南に進んでこの村を出る。そうして隣村に入ったらそこから西に進んでイリを目指すよ」


 リオンは地図を広げながら旅の進路をシエルに伝えた。

 リオンが持っている地図はアズマの現地民が作ったもので、シエルが持っているそれよりもアズマの地理情報がより詳細に記載されているものであった。

 地図が読めないシエルに代わってリオンが地図を読む役を請け負うことにしたのである。


 二人は南へ足を進め、周囲に人家のないのどかな野道までやって来た。

 これまで村の外に出たことのないリオンにとって初めても通る場所である。


 「リオンさん、その……」

 「どうかした?」

 「その……キス、しませんか?」


 シエルはリオンとのキスをせがんだ。

 リオンは一瞬己の耳を疑ったがシエルのこれまでの行動から彼女がそういうことを言う人物であったことを思い出し、まともに向き合うことにした。


 「どうして?」

 「ここなら誰にも見られませんから。それに、私たち一度はキスしてるから二度も三度も変わらないかと思いまして」


 シエルは大胆な発想に至っていた。

 実のところは口実などどうでもよく、ただ理性を保った状態でリオンとキスを交わしたいだけである。

 

 「しょうがないなぁ。そんなにしたいなら一度だけ……」


 リオンはシエルのワガママを許容すると一歩先に進んでシエルの正面に回り込んだ。

 シエルの言う通り、すでにキスをした間柄である以上二度目を拒否する理由もない。



 こうして二人は静かに目を閉じ、人気のない野道のど真ん中で白昼堂々とキスを交わしたのであった。

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