第29話 お月見(1)

「いってきます」


「いってらっしゃい!」


 何の変哲もない9月のある日。

 俺は普段通り家を出た。


 外は快晴、俗に言うお出かけ日和ってやつだ。


「ふわぁ……ん?」


 少し歩くと、電柱にもたれかかりスマホをいじる、あゆの姿が見えた。


 ほんと、どこにいても絵になるな。

 俺は親指と人差し指でカメラを作り、あゆと風景をフレームに収める。


 うん、売れるな。


「おはよ」


「あっ、柚! おっはよー!」


 あゆは挨拶を返すと、俺の隣に走ってきた。


「おーおー、朝から元気がよろしいことで」


「いやいや、妾の元気はまだこんなものではないぞよ」


「なにそれ」


「そっちこそ」


 程よく熱の引いた心地よい朝に、笑顔の花が2輪咲く。

 それから、俺とあゆは何気ない会話を繰り返し、通学路を進んだ。

 すると突然、


「あっそうだ! ねぇねぇねぇねぇ!」


「なーにー」


 勢いよく身体を揺すられた。

 ここまで前触れがないと恐ろD。


 あっ、今のは俺のネタじゃないからね。

 ヒロのやつだから。

 ヒロが滑っただけだから。


 それより、あゆの話を聞かないと。


「今日って十三夜じゃん?

 だからさ、よかったら私とお月見しない?」


 そう言うと同時に、あゆの頬に恥じらいの色が広がった。


「ん?」


 十三夜……? 俺、十五夜しか知らないんだけど。というかそもそも、十五夜とは違うのか?


 でも何にせよ、ここで知らないとか言ったら……。


「へぇ、柚そんなことも知らないんだー」


 絶対にこうなる。


 それだけは嫌だ。

 あゆにマウント取られるのだけは嫌だ!


「はいはい、十三夜だからお月見ね……なるほど。いいよ」


「やったー!」


 そんなこんなで、俺に予定ができた。


 それから俺とあゆは、学校に向かいながらお月見について会話する。


「じゃあ21時に私の家ね!」


「あーうん。それはいいんだけどさ、お月見って具体的に何するの?」


「えっ、うーんとね、あれだよあれ、あれだよ……知りません」


「素直でよろしい」


 正直言って、お月見に対する知識は俺もあまり持ち合わせていない。

 何せ、毎年毎年やってくるその日を、特に意識したことがないからだ。


「ちょっと待ってね! すぐ調べるから!」


 ポケットから取り出したスマホに気を取られ、目の前の電柱にさえ気づかないおバカさん。


「はーい、歩きスマホ危ないよー」


 俺は肩に手をかけ、あゆを引き寄せた。


「お姉さん気いつけな。ここらは電柱が多いけえの」


 あっぶなー。

 あまりにいい匂いがするもんだから、思わず最近読んだ漫画キャラが出てきてしまったじゃないか……。

 流石はあゆだ。


「あ、ありがと」

 (柚が近いよぉぉぉぉ! 歩きスマホしてごめんなさい! 歩きスマホありがとう!)


 考え事をしているからか、しばらくあゆとは目が合わなかった。


 とまぁそれはさておき、俺の持ってるお月見知識は、お団子を食べたり、月を見たりするってことだけ。

 つまりだ。


 今日俺って、何しに行くの……?


 少し考え込んでいると、気づけば学校の目の前まで来ていた。

 なんか瞬間移動した気分だ。


 そんな時、あゆを呼ぶ声が聞こえてきた。


「あゆー! 一緒に教室行こー!」


「あっ、うん! ちょっと待っててー!」


「分かったー!」


 昇降口から聞こえるこの声はきっと、あゆの親友ミサキちゃんだ。


「先行っていいよ。待ってくれてるんでしょ?」


「うん! それじゃあまた!」


「また」


 手を振りながら昇降口へ駆けていくあゆ。

 そんな彼女に一応俺も手を振り返したが、周りの視線が痛いことこのうえない。


 ほんと、あゆの男子人気は凄まじいよ。


 そして時は流れ、時刻は21時。


「WACのテイクアウトだけどいいよね?

 ちゃんと期間限定の月見なんちゃらってやつ買ったし。あっ、もしかしたら、もう夜ご飯食べちゃってるかな」


 不安と紙袋を片手に、俺はあゆの家に向かう。


「涼しい」


 住宅地を吹き抜けるそよ風は、夏の終わりを告げると共に俺の背中を押してくる。


「ちょっと走るか」


 べ、別に、早く会いたいわけじゃないんだからね!

 昨日読んだ漫画のヒロインなら、きっとこんな風に言っていたことだろう。


 そんなことを考えているうちに、あゆの家に着いた。


「あっ、柚! 待ってたよ!」


 インターホンに手を伸ばす俺の耳に、上から降り注ぐ聞き慣れた声。


「えっ、あっ、いた」


 声のする方に目を向けると、あゆの姿は屋上にあった。


「こっちこっち!」


 どうやって上がっ……あっ、脚立か。

 壁に掛けられた大きな脚立は、倉庫の屋根へと続いている。


「これを登ればいいの?」


「うん!」


「怖いんだけど」


「大丈夫!」


「嫌だ」


「私が抑えてあげるから!」


 即答の末寄ってきたあゆは、なぜかスカートを履いていた。


 ただでさえ登るのが嫌なのに、上向けないってハード過ぎない?


 あれ、待てよ?

 その前に、あゆはスカートで登ったってことだよな……。


 あーはいはい、黙って登らせていただきます。


「これだけ先に受け取って」


 不安を捨て、俺は先に紙袋を渡した。


「WACじゃん! 買ってきてくれたの!?」


「お好きなのをどうぞ」


「やったー! ありがと!

 どれにしよっかなー」


 あゆがバーガーに気を取られている隙に、俺は脚立を登る。


「えっ、普通に揺れるじゃん」


 一段一段が意外に揺れて、初めはバランスを崩しそうになった。

 が、慣れてしまえばなんてことは無い。


 結局1分もかからないうちに、俺は屋根へと上がった。


「へぇ、めっちゃ広いじゃん」


 いざ登ってみると、想像以上に平らで、落ちる心配は無さそうだ。

 ただ1つ気になるのは、敷かれているシートが小さいこと。


 まさか、あそこに座るつもりじゃないよね……まさかね。


「柚、こっち来て!」


「うん」


 そして案の定、俺はあゆに呼ばれ、小さなシートに座った。


「月見バーガー食べていい!?」


「ど、どうぞ」


 これじゃあまるで、恋人みたいじゃん。


 気づかなければよかったと後悔するのに、それほど時間はかからなかった。


 毎秒毎秒早まる鼓動が、空夜にこだまする。

 はぁ、本当に気づかなきゃよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る