第18話 約束の日

「柚のお母さん、おはようございます!」


 私の今日初挨拶は、洗濯物を干す柚のお母さんに向けたものだ。


「あら、あゆちゃんおはよう!

 こんな朝早くから珍しいわね」


「えへへ。実は最近、あまり眠れなくって……」


 本当はどうしても柚に会いたくて、衝動的に家を飛び出しちゃっただけなんだけど。


「ところで、柚はいますか?」


 もちろん、理由は考えてある。

 私は今日、柚と夏休みの課題をしに来たのだ。


「柚? 柚なら、少し前に出かけて行ったわよ」


 まぁ? 相手は柚だし?


 どうせ今頃は、自分の部屋で睡眠中だろうけど……って、な、なんですとおおおお!?


「どどどどこに行ったかとかって分かります!?」


 あの柚が理由もなく外出なんて、絶対におかしい!


「そうねぇ……確か、トパエメカフェだったかしら」


 これは何かあるに違いない!


「情報ありがとうございます! 失礼します!」


 あーもう、早速予定変更だよ!


 こうして、私の忙しい1日が始まった。


「トパエメカフェってこの辺りだよね……うぅ、緊張してきた」


 ま、まぁ? 確認したら帰ればいいし?


 私がここにいてもおかしくは無いよね、うん。


 ガラス張りのオシャレな店構えが功を奏し、私は中の様子を近場から探ることが出来る。


 それに変装は完璧だ。


 ママ、勝手にサングラス持ち出してごめんね。

 今度ママの好きなケーキ買ってくから今日だけは許して!


「さてさて、柚はどこかなー?」


 待ち合わせしているフリをしながら、日陰に入りその時を待つ。


 あっ、そうそう。

 待ち時間で気づいたんだけど、サングラスを上に動かすこの動き、なんか探偵みたいでかっこいいかも!


 そんなことを考えていると、その時はやってきた。


「ここ?」


「うん! ここのパンケーキ、ふわっふわっでめっちゃ美味しいんだよ!」


「へぇ、そうなんだ」


 えっ、女の子……!?

 しかも、あの子って……!?


 一瞬にして、私の頭はいっぱいになった。


 でも、帰れない……このままじゃ絶対に帰れない!


「潜入捜査いくよー!」


 2人の後を追い、私はカフェに入る。


 オシャレなドアノブを捻り中に入ると、そこには異世界のような空間が広がっていた。


 なるほど。

 トパエメって、トパーズとエメラルドのことだったんだ……。


「綺麗……」


 店内はゴールデンイエローの光に包まれ、至る所にトパーズとエメラルドを模したオブジェが置かれている。


「いらっしゃいませ!」


 へぇ、店員さんの腰掛けも宝石柄なんだぁ……っていやいや!

 ここは出来るだけ目立たないようにしないと!


「お客様、何名様ですか?」


 声を出したくないこの場面、頼れるのは人差し指のみ!


「1名様ですね! 空いているお好きな席どうぞ!」


 会釈をすると、店員さんは戻っていく。

 ありがとう、助かった。


「なに、いいってことよ」


 しかも、店員さんは言っていた。


 『お好きな席どうぞ』


 そんなの、柚の後ろ一択じゃん!

 順調順調!


 堂々とした足取りで席についた私。

 しかし、ここで1つ大きな問題に気づく。


 あれ、もしかしてこれ、私以外全員カップル……!?


 やばっ、超気まずいじゃん。


「失礼します、メニューをお持ちしました」


「あっ、アイスコーヒーとパンケーキをお願いします」


「かしこまりました。失礼します」


 メニューを見ることなく、私は注文を終えた。


「お待たせいたしました! トパエメパンケーキおふたつです!」


 少しして、隣のテーブルにパンケーキが運ばれた。


「うわぁ、美味しそうー!」


「何このボリューム……これで1人前って嘘でしょ」


 えっ、なになに。

 そんなに量あるの?


「いただきまーす!」


「いただきます」


 皿と食器の触れ合う音が、想像力をかきたてる。


「美味しいー!」


「美味っ」


 あー、早く食べたい……!


 すっかり本来の目的を忘れた私は、パンケーキの到着を今か今かと待った。


 そしてついに、


「お待たせいたしました! トパエメパンケーキとアイスコーヒーです!」


「うわぁ、ありがとうございます!」


 私にも幸せが訪れた。


「いただきます」


 目の前に現れたのは、3段重ねの贅沢パンケーキ。

 各層には異なるフルーツが挟まれ、甘そうなシロップがたっぷりとかけられている。


「では早速……」


 そっとナイフを当てると、重力で勝手に生地が切れていく。


「柔らかっ!」


 パンケーキを切り分けると、層ごとの切れ目からバターとシロップがじわじわと流れ出る。


 私はナイフで軽く生地を切り分け、その切れ目に沿って流れる黄金色のバターと甘いシロップをたっぷりと付けた。


「こんなのずるじゃん」


 そんな欲望の詰まったパンケーキをゆっくり口に運ぶ。


「うーん、美味しいー!」


 口に入れたその瞬間から、口いっぱいに広がるバターの風味。


 そこに時折顔を出すシロップの甘味。


 間違いない。

 これは究極のパンケーキだ。


「ふぅ、ご馳走様でした」


 甘味に支配された口の中を、私はアイスコーヒーで整える。


「はぁ。この幸せを邪魔しちゃ悪いよね、よしっ」


 私は席を立ち、笑顔で帰路に着いた。


 正直、柚が他の女の子と仲良くしているのは嫌だ。


 でも、あのパンケーキを見つけるために、彼女は多くの時間を費やしたのかもしれない。


 そのことを思うと、嫉妬や焦りの感情は自然と消えていた。


「よーし! 明日は絶対、柚の家で宿題やってやるからなー!」


 今日はなんだか、大人になれた気がする。

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