第57話 「おはよー……ございます……むー」

 ——。……寝てた。


 “睡眠は死のいとこ”、なんて何処かで目にした言葉は、誰が言ったんだろう。でも、どーしようもなく身体を包んでくれる闇の中で、意識がどこかへ遠ざかって、そして目覚めの時に帰ってくるのは、ある意味で“生き死に”に似た生命の神秘を感じう。


 そんな風にどーでもいいことを、閉じた瞼の中でぽんやりと考えてみたりして、私の頭はちょっとずつ動き……うごく……あー……もうちょっと、ねてたい……。


 しょぼしょぼと目覚めに抵抗する目をこすりながら、視線を隣にむけてみる。横向きに身体を寝かせている私の目に映るのは、私の胸に包まれる様にして眠る彼女。目一杯甘えてくれてる様で、何だか幸せそうなその寝姿を見ると、朝に弱い私の心臓がどきどきと拍動を強めるんだ。目覚めには、ちょうどいいよね。


 私の左腕を枕にして、私の胸に顔を頬を預ける様にして、そうやって眠っていてもやっぱり凛々夏は可愛い。


 その可愛さの何がすごいって、就寝にあたって化粧とかはしていないのに、もう既に可愛いんだよ。しかも、睡眠っていう生き物が一番油断している時でこの可愛さなの。普通、油断してるとどんな美人さんでも、少しはぶちゃいくになりそうなのに、凛々夏は完璧に美少女なんだ。


 ……凛々夏が目覚める前に一回、気を失っておこうかな。私の推しが可愛すぎるんだもん。ではちょっと、失礼して——



「——……はっ。また、寝てたぁ……おきる……」



 自分に言い聞かせるつもりで呟いてみても、あんまり効果はなさそう。土曜日だし、もうちょっとおやすみしてても怒られないかなぁ。


 ヘッドボードに置いたスマホを手にとって確かめると、時刻は平日であれば出社する様な時間を指してる。昨夜は結構たっぷり目に寝られたみたい。だけど、身体はちょっとの疲れを残してる気がする。昨日ってそんなに疲れる様な事、あったっけ。


 昨日は……仕事に行って、ライブに行って、オフ会で色々あって、それで……凛々夏と会って、二人きりで打ち上げをして……そう、そうなんだ。


 私の脳裏に浮かび上がるのは、酔いに甘えた私がしてしまった、もう取り返しのつかない


 目の前にいる凛々夏と交わした、明確に一線を越えた行為。


 あんな事をするつもりは、やっぱりなかったんだ。そう思う私の胸を締め付けるのはきっと、罪悪感。


 ……でも、それ以上に、隠しきれないくらい嬉しくって。……私って単純で、やっぱりばかだよ。



「んぅ……すぅ……」



 寝息の調子が変わって、起こしちゃったかと思ったんだけど、まだ凛々夏の綺麗な瞳は瞼の向こうに隠れたまま。


 ……ああ、私って、本当におばかだ。考えの上では後悔してるつもりなのに、私の目は、穏やかに寝息を溢す凛々夏の口許に吸い寄せられちゃう。……何考えてるのさ、私。抱き枕のくせに、よけーな事、考えないでよ。


 ……酔って思考のおぼつかない私にはわからなかった。けど、昨夜の“行為”には、まだ明らかになってない“裏”がある。私にも、


 ハッキリさせないと、ダメなのかな。私は物語の主人公や探偵じゃないんだから、曖昧なものは曖昧なままでもいいんじゃないかって、そう思ったりするんだけど。世の中って、そういう曖昧なものの積み重ねで出来てるとも思うし。


 ……いいや、これは“逃げ”だよね。


 わかってるんだ。


 このままじゃ私は、“オタク”でいられなくなってしまう。だからせめて、私の気持ちをハッキリさせて、その上で……しなきゃ、いけないのかもしれないって事を。


 私は、凛々夏の事を——



「……ほっ……?!」



 ——ちょっとだけ真面目に、気怠い思考を回していた私を驚かせたのは、お尻を鷲掴みにされる感触。


 その手の持ち主は言うまでもなく、愛らしい寝顔を見せてくれる彼女。私が凛々夏を抱っこしてるって事は、凛々夏も私を抱きしめている様な状態なわけで。そんな状態なら、凛々夏の手が私に伸びてきても不思議じゃない、よね。


 ……ふ、不思議ではないんだけどね? でもその……り、凛々夏ってば、寝ていても手を伸ばしちゃうくらいには、私の身体が好き、なんだねぇ。


 ふにふに、もにもに。私のお尻が“かためのシフォンケーキ”みたいに形を変えさせられてる。……別にさ、お尻を揉まれたところで、成人向けの漫画みたいな過剰な反応をするわけじゃないんだけども。


 でも、大好きな人が私の身体に触れてくれてるって事実は否応なく私を興奮させるし、そんな興奮を覚えてる事が恥ずかしくって……あー、朝から、顔があっちいです。


 でもなぁ、凛々夏は寝ていて、無意識にそうしてるわけだから、やめてもらう事もできない。何だか昨日もこんな感じで、抵抗できないまま、為されるがままだったなぁ。私、臆病だけど、流されやすいとは思ってなかったんだ。けど……相手が凛々夏なら、しょうがないか。


 だって私、凛々夏の事が好きなんだから。


 ……そう、これが、私の考えなきゃいけない事。


 凛々夏は私にとって、推しのアイドルで、全てと言っていいくらい大事で、大好きな愛を捧げる人。ここに、間違いはない。


 でも……私は今、私自身の抱いた“好き”に、不確かさを感じてしまってるんだ。


 だって、昨日みたいな事が起きた時、是が非でも私は抵抗すると思ってた。それが私の考える“オタクとしての在り方”だったから。


 でも、いくら酔っていて、判断能力がいつも以上に弱っていたからって……昨日の私は、あまりにも無抵抗すぎた。目の前に餌をぶら下げられたわんこみたいに、迷いなく目の前の“幸せ”に飛びついてしまった。


 ……いや、お尻を揉まれてる状況で、真面目に考えるのは、ちょっと様にならないね。なんだろ、この状況。凛々夏、起きてくれたり……。



「んぅ……あ……」



 そんな事を考えていると、運良く凛々夏が目を覚ましてくれた。とは言っても、いつもはぱっちりしてる目には半分くらい瞼が降りていて、寝ぼけてそーなのは明らか。かわよ。



「おはよ、凛々夏」


「おはよー……ございます……むー」



 目覚ましになるかと思っておはようの言葉を伝えてみたんだけど、凛々夏はやっぱり眠たそうに応えて、それから私の胸元に顔を埋めちゃった。



「ユキさん……ふわふわ……です」



 うーん、おねぼう凛々夏もやっぱり可愛い。


 ……そんな可愛い凛々夏だからこそ、私は昨日の行為を受け入れていいのかどうか、迷ってしまうんだ。


 昨日も、私は酔った頭で“だめな理由”を考えていた様な覚えがあるんだけど、核心的な“その事”には結局至れなかった。


 でも、今は違うんだよ。お酒が残ってるとか、そういう言い訳は出来そうもない。だから、思い至ってしまうんだ。


 “その事”って、いうのは。


 ……“キス”って、“好きな人”とするものじゃないの?


 この場合の“好き”っていうのはやっぱり、恋愛感情の事を指しているつもり。そしてそれこそが今、私を悩ませてるんだ。


 私が凛々夏に抱く“好き”は、どんな“好き”なの?


 そして、凛々夏は。


 キスをしてもいいくらい、私の事を“好き”でいてくれてるの?


 ……流石に、自意識過剰だって。私は何の取り柄もない、ただのしがないOLでオタクなんだよ? そんな私の事を、今をときめくアイドルである凛々夏が“好き”でいてくれる? ……妄想もここまでくると、あんまり笑えないかも。


 穏やかな朝だっていうのに胸の中に広がる悩ましさが、ため息と一緒に口からこぼれ落ちていく。寝起きから凛々夏と一緒に居られるのに……これはもう、凛々夏に対する不敬なのではなかろーか。


 ……あれこれと悩んでも今は、とりあえず。



「凛々夏ぁ、そ、そろそろ起きるー?」


「おきます……おきますって」



 愛らしく寝惚ける凛々夏に、目を覚ましてもらおうかな。


 ……そうじゃないと、そろそろお尻を揉まれすぎて、私は顔から火を吹いてしまいそーだから!











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投稿が遅れて大変申し訳ございません。

予約投稿の設定を失念しておりました……。

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