第58話 「……ます。マジおこです。ふざけんなーって感じです」
「——ユキさん、昨日のコト、覚えてます?」
目が覚めて、知らずに私のお尻を揉んでいた事に気付いた凛々夏が慌てふためいて、それを宥めたりして……時刻としては、まだまだ朝に含まれる今。
ベッドに寝直した私の隣で、凛々夏も一緒に横になって、真っ直ぐに猫目を向けてくれつつ、そんな事を言い出した。
「……昨日の事、とは?」
「ん。ご飯の後で、寝室に来てからの事です」
「あ、あー……なるほど、ね?」
何気なく、黒髪を弄りながら訊ねてくる凛々夏の隣で、私は冷や汗が至る所から噴き出すのを感じる。朝一番で、いきなりクライマックスがやってきた様な緊張感が、私に襲いかかってきてるんだ。
……こ、これは。私はどうやって応えるのが、正しいのかな……?!
“覚えてる?”という問いかけに対してはもちろん、“覚えてるよ”と応えられる。私は酔ってても記憶は割と残していて、翌朝になってから自分の醜態を思い出して後悔するタチだから。
でも、そう応えてしまった時にどうなるのかが、わかんないんだよ!
だって、“覚えてる”って応えるって事はつまり、凛々夏との、き、キスの事をも覚えてるって事になる。そうなるとほとんど強制的に、ハッキリしてくるものが出てくるわけで。
いや、“気持ちをハッキリさせたい”的な事は思ったりしたけど、こんな急展開を迎えるとは思ってないじゃん?! 私にも心の準備をする為の猶予が与えられてもいいと思います!
……と、とりあえず、細かく刻んで、みようかな?
「き……昨日はごめんね? 私、いつの間にか寝ちゃってたみたいで」
抱き枕のくせに、持ち主が寝付くより先に寝てしまったのは職務怠慢だよね。私はその辺りを反省できるタイプの抱き枕なのです。……抱き枕が職務意識を持ってるかどうかっていう話は、今はしない方向で。
昨日は日中の諸々で疲れていた上で、深く酔っていた事もあって、ベッドにたどり着いた頃にはかなり眠くなってしまってた。
そこに、凛々夏が突然くれたキスで、緊張やら興奮やらで精魂尽き果ててしまって、流れの中で瞼を閉じた結果そのまま寝ついちゃったんだ。
……いや、思い返すと……私、酷い事してない?
良い雰囲気なのに、相手が寝ちゃうとか……もしかして、凛々夏を傷つけちゃったんじゃ……。
「……その事は、まぁ」
さーっと身体から血の気が引いていく感覚を覚えながら、私の言葉に応えてくれた凛々夏を見てみる。……あれ、なんだか……落ち着いてる?
凛々夏には色んな表情を見せてもらってきた。
アイドルとして、女の子としての素敵な表情。そして、その対極に位置する“ネガティブ”な感情表現も。
怒った時の恐ろしい程の冷静さとか。傷ついてる時の、見てる私が辛いほどに悲しそうな表情とか。……あまり、凛々夏には似合うとは思えない、そんな表情たち。
そして、凛々夏を傷つけてしまったんじゃないかって思う私が見たのは、なんとも穏やかな凛々夏の表情。怒っても、悲しんでもなさそうで……何気ない、平静そのものな面持ち。
……うーん? 昨日の話を聞いてきたって事は、そういうネガティブな気持ちを抱いていたから、とかではないのかなぁ。いやだからって、許された! とか、楽観的な事を考えるつもりはないけど。
「あとあとで、追求していきたいと思いますけど」
……ほら! やっぱり許されてはないんだよ!
「凛々夏、お、おお、怒ってる、よね?」
「怒って……」
ベッドの上という安息の地に横たわりながら、私の喉が緊張でごくりと喉を鳴らす。
凛々夏は少しだけ迷った様に視線を彷徨わせた後、口許を小さく尖らせて私へと視線を向け直す。
「……ます。マジおこです。ふざけんなーって感じです」
「……とりあえず、腹を切っておくね?」
「切らないでください。……それ以外は、覚えてますか?」
そう言って、でもやっぱり穏やかに話が流れてしまった。……なにかがおかしい、よね?
キスして、良い雰囲気になって、そしてその相手が寝ちゃった。……そういう事を凛々夏は責めたいわけじゃないのかな。
それ以外……凛々夏が聞きたいことは、なんだろう?
「寝ちゃった事以外だと……酔って私、変な事してなかったかな」
「変な……そ、それは、そうです。その事は深く、反省してくださいっ」
私が寝ちゃった事よりもむしろ、酔っ払った私の醜態について、凛々夏はあからさまな反応を示してくれる。
昨夜の私は、なんか色々と勘違いして自分のバストサイズをカミングアウトした挙句、いきなり服を脱いで、ブラを外し始めて……っていうか、今も私、ブラしてないじゃん?! どーりで胸が楽だと思ったよ!!
っていうか何、私、ブラなしのおっぱいで凛々夏を抱っこしたりしてたわけ?! いつもより密着感があるなーとか思ってたけど、なにそれ、恥ずかしいよ!!
「穴があったら、入りたいよ……ちょっと掘ってこようかな」
「わんこじゃないんですから、そんな気軽にどこで穴掘るつもりなんですか」
「公園とか?」
「そこに埋まるつもりなんですよね」
「そうなるかなぁ?」
「わんこでも自分を埋める為の穴は掘らないですよ。……昨日のコトは、それくらいですか?」
「それくらい……えっと、えっとぉ……」
これは、もしかして私に、
いや、間違いなくそうだよね。じゃなかったら、わさわざこんな話を振ってこないだろうし。
でも、どうして? 私が寝ちゃった事を責めるそぶりはないのに……やっぱり凛々夏がいたずらっ子だから? それともまさか……“昨日の続き”をしようとしてる、とか?
……もし、凛々夏が“続き”を望んだら、私はどう応えたらいいんだろう。まだ解消出来てない疑問が私の頭に残る中で、素直に受け入れたりはちょっと難しいと思う。
けど実際に、続きをする事になったら。……きっと私は、喜んじゃったりするんだろうなぁ。ああ、私って本当に、単純すぎる。
「……なるほど」
私がどう応えれば良いのかを迷ってるうちに、凛々夏は何かに納得した様に、でもほんの少し拗ねた様に言葉を続けてくれる。
「酔っちゃうと記憶なくしちゃう人って、本当に居るんですね」
……あれ? なんだか凛々夏ってば……勘違いしてる感じ?
人間酔い過ぎて前後不覚まで陥ると、記憶がなくなる事はあるかもしれない。でも、昨日の私くらいの酩酊具合じゃ、記憶を無くしたりなんていう事はない……と、私は思うんだけども。
「凛々夏、それはえーっと?」
「わたしのま……母や父は、わたしの前ではあんまりお酒を飲まなかったんです。だから、ユキさんタイプははじめて見ました」
そっか、凛々夏は現役の女子高生だもんね。本人がお酒を飲むどころか、あんまり誰かがお酒を飲んでいる姿を目にする事も少ないんだ。それこそ、お母さんやお父さんが飲んでいなければ、その機会もグッと減るよね。
「……そう、そうなんだよねぇ。私ってば、酔い過ぎると意識も記憶もふわふわになっちゃうんだ。あはは」
……ごめんね、凛々夏。今だけ一つ、嘘を吐かせて。
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