第46話 「凛々夏はそこにいてくれるだけで幸せだから」



「……おつかれさま、凛々夏」



 隣に座る、ブラウスとジャンスカを着た凛々夏の姿を見て、その声を聞いたら安心できて……なのに、どうしてか寒くって、私の身体が震えてしまう。


 私、怒るのが苦手なんだ。痴漢されてるかもって思った時だって、何回も繰り返した後にようやく抵抗しようって思った。今まであった理不尽な事も、怒るより先に悲しくなってしまったくらい。


 そんな私だけど、エス=エスのみんなとオタクをけなすようなあの人の言葉は受け入れられなくって、怒っちゃって……今、それがなんだか酷く恐ろしい事をしてしまったみたいで、身体が震えてしまうんだ。


 顔だってきっとぐしゃぐしゃで、こんな姿、凛々夏には見られたくない。……でも、二人の時には珍しく、凛々夏は私へ視線を向けずに、頬杖をついて窓の外を見ていてくれた。



「ユキさんのお家に向かっていいですよね」


「……うん、ありがと」



 それきり、少しの沈黙が車内に流れる。


 ……凛々夏があの場にいて、タクシーで待っていてくれたって事は……もしかしたら、見ていたのかな。いや、見てたんだろうな。



「ねぇ、凛々夏」


「なんです?」


「話とか聞かないの?」


「聞きたいですよ」


「じゃあ、えっと……」


「でも、今じゃなくていいです」

 


 えっ、と私が訊ねるより先に、視線を窓の外へ向けたままの凛々夏は何も言わずに、私の手に彼女の手を重ねた。



「震えて、泣いて。そんなユキさんに、話をさせたくないです」



 ……そっか。見られたくないと思ったけど、どうしたって見られちゃうよね。なんだか、やっぱり、情けないや。



「落ち着いたら話、聞かせて欲しいです。……わたしはずっと、ユキさんのそばにいますから」



 私の推し、優しすぎ。そんな風に言われて、こんな風に手を握られちゃって、優しくされちゃったらさ。



「ありがと、凛々夏」


「どういたしまして、ユキさん。……何も、気にしないでください」


「……うん」



 その優しさに甘えてしまう様に目を閉じると、私の頬を涙が濡らしていく。


 はぁ、私って本当に泣き虫だ。寂しくても泣いて、怒っても泣いて。そんな自分がちょっと恥ずかしい。けど……そんな泣き虫な私でも、凛々夏はそばにいてくれるんだよね。


 ……ああ、好きだなぁ。こんなの好きにならずにいられないじゃん。……だから、好きな人の前でしゃんとする為に、今は少しだけ、泣かせてもらおっか。——



「——……あー……落ち着きましたっ」



 ぐずぐずと泣いて、鼻水をすすって、少しして。ようやく少しだけ落ち着けた。タクシーなら家までそんなにかかるわけでもなし、いつまでも泣いてるわけにはいかないよね。


 私の言葉に凛々夏はようやく、視線を窓から私に移してくれたけど、目が合うなり小さくため息を吐いた。



「まだほんのり泣いてるじゃないですか。無理しないでください」


「無理してないよっ! 大人だからね、いつまでも泣きっぱでは居られないのですっ」


「……大人になると、泣いちゃいけないんですか?」


「そう、思うんだけど……?」


「わたしは、そうは思わないです。大人だって泣いていいと思いますし……ユキさんは、そんな泣きたい自分に素直になっていいと思います」



 そういって、凛々夏は私の手を握る力をきゅっと強めた。小さい子に言い聞かせるみたいな彼女の言葉を聞いてると、どっちが年上かわからなくなっちゃうみたい。



「ユキさんも中々、素直になれない人ですよね」



 凛々夏がくれる優しい声色で、それでいて内面を見透かす様な言葉に、私は萎縮するしか出来ない。



「こないだも寂しいなら寂しいって言ってくれてもいいのに、わたしが居なくなってから泣いちゃうんですから」


「そ、それはだって……凛々夏の邪魔、したくなかったし」


「邪魔かどうかはわたしが判断します。そしてわたしは、ユキさんの事ならなんでも受け入れるつもりです。……これも前に、いいましたよね?」


「それでも……」


「……ごめんなさい、責めてるわけじゃないんです。ただたとえば、ユキさんが素直にしたいって思う事を、わたしも一緒に出来たら……それは、嬉しいなって」



 それを言う凛々夏は、拗ねたようにすこし唇を尖らせて、私にその猫目の眼差しを向けてくれる。


 私が素直になれば、凛々夏も嬉しい。それは……なんだか、幸せだね。



「素直にって、どうしたらいいのかな」


「なんでもいいと思いますよ。……わたしと、一緒に居たいなら居たいって言ってくれても良いですし。他にもわたしと、やりたい事とかないんですか?」


「凛々夏と、かぁ……正直あんまり、考えた事なかったかも」


「そうなんですか? 意外です」


「凛々夏はそこにいてくれるだけで幸せだから」


「ぅあ……限界オタクの弊害じゃないですか、まったく」



 凛々夏が呆れまじりにくすりと笑うと、やっぱり私はなんとも言えなくなってしまう。恥ずかしいんだよ。でも、素直に……素直に……したい事。


 泣いてしまったけど、泣きたいわけじゃない。腹が立ったけど、あの人に何かしたいとか思ってるわけじゃない。私が今、一番したい事は……。


 そうやって悩んでると、私のスマホが着信音を車内に響かせた。表示を見ると……むーにゃさんからだ。


 どうしようと思って目をやると、凛々夏から手で促してもらえたので、大人しく電話に出てみる。



“ユキにゃん?! 大丈夫か?!”



 ……思ったより、大きい声でびっくりしちゃった。



「むーにゃさん? えっと、大丈夫とは……?」


“聞いたんよ! あんのクソオヤジに、店出たあと言い寄られてたって! マジでゴメン、見送りちゃんとすれば良かった!!”



 あの場には私とあの人しかいなかった……はずなんだけど、誰かが見ていてくれて、それをむーにゃさんに伝えてくれたみたい。


 彼女が悪いことなんてないと思うのに、面倒見が良すぎるよ、むーにゃさん。



「あ、あー……それは大丈夫っ! 腕を掴まれたりしたけど、私も反撃したし! 心配かけてごめんね?」


“……ユキにゃん……任せな、あのオヤジには必ず、アタシがオトシマエをつけさせるからさ”


「オトシマエ?! そこまでしなくても大丈夫だょ?!」


“いーや、ユキにゃんの件も含めて、そろそろどうにかしたいってみんなで話してたんだ。そういう自浄はしなきゃ、オタクなんかやってらんないでしょ”


「で、でも……それこそ、大丈夫なの?」


“そんな危ない事はしないって! だから、アタシに任せてもらっていい?”



 私よりよほど怒ってそうなむーにゃさんの圧に負けて、“無理はしないでね”と念押しした上で彼女の言葉を受け入れる。すると、電話の向こうで彼女の声が少し遠くなって、誰かに指示を飛ばしてるみたいだった。……多分、げっこーくんなのかな。



“……今日さ、ユキにゃんがオフ会来てくれて嬉しかったんだよ”



 向こうでの話が落ち着いたのか、むーにゃさんがそうぼやくみたいに話を切り出した。



“ぶっちゃけた話さ。男とか苦手でしょ、ユキにゃんって”


「それは……そうだね」


“それなのに多分、アタシとかがいるからって来てくれてさ。本当に嬉しかったし……オタクってやっぱいいもんだよねって、思って欲しかったんだ”


「……それはもう、むーにゃさんと仲良くなれて、私も嬉しいよっ」


“……ユキにゃんみたいな妹がいて、アタシは幸せだよ”


「だから、妹になったつもりはないけどね?!」



 むーにゃさんが明るく振る舞ってくれるなら、私もそれに乗っかろう。どんな事だって、ネガティヴよりポジティブ。怒ってるより笑ってる方が、ずっと良いはず。



“なんか、今日のオフ会はケチついちゃったからさ! また今度、やりなおそ! さっき話してた女子会もしたいしさ!”


「うんっ! その時は誘ってね!」


“あたぼーよ! むしろユキにゃんが主役だっての!”



 そういって最後は笑い合って、朗らかな空気で別れの言葉を交わして、電話を切る。


 むーにゃさんが“オトシマエ”に何をするつもりかわからないけど、彼女に任せておけばきっと上手くいくよね。


 ……それにしてもオフ会のやりなおしって。えへへ、まぁ打ち上げみたいな事は何回やっても……あ。

 


「誰からの電話だったんです?」


「あ、ごめんね凛々夏。オタ友からだったよ」


「仲良しなんですね」



 ……なんだか、ちょっとこう、不機嫌そうな声色に、恐る恐る隣に視線をずらしてみる。


 な、なんでだろ、凛々夏さん、怒ってらっしゃる?



「凛々夏? ど、どうしたのかなぁ?」


「……そのコトについては後ほど。さて、話の続きですが、何かしたいコトは見当たりましたか、ユキさん」


「えっ?! えーっと……」


「もし無いようなら、わたしのやりたい事に付き合ってもらおうと思います」


「な、なにをされるのかな……?」


「ちょっとここでは話しにくいですね。……聞きたいですか?」


「ひっ。えっと、えっとね!」



 凛々夏のやりたい事なら、私だってなんでも受け入れるつもりだけど、場合によっては私はまた死んでしまうかもしれない。


 だから今日は、私のしたい事を伝えてみようかな。凛々夏も喜んでくれたら、嬉しいんだけど。



「あのね、凛々夏」


「なんです、ユキさん」


「私と……」



 それは一見ささやかかもしれない。けど、すごく贅沢なはずの、私が凛々夏としたい事。



「二人で、“打ち上げ”とか、どうかな?」

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