第45話 「おつかれさまです、ユキさん」

 オフ会も終わりに近づいた頃、ちらほらと居酒屋を後にする人も見えてきた。集まったオタクたちは年齢も性別も、職種やどこに住んでいるのかもバラバラだから、乾杯こそ揃っていても終わりがそうとは限らないんだ。


 スマホを見てメッセージを確認すると、やっぱり彼女からの連絡が来ている。打ち上げが終わって、私はどこでオフ会をしてたの、なんて問いかけが来てるので、スタンプを添えて返信する。


 さてそろそろ、私もお暇させてもらおっか。目的だったオタ友の二人とはお話しする事も出来たし。


 むーにゃさんとげっこーくん、はじめましてだったかうぴすさんや会を開いてくれた幹事さんにお礼やお別れを告げて、あたたかな雰囲気の居酒屋を離れる。


 外に出ると、もうすっかり夏の気配に染まった夜の空気が私を包んでくれる。その空気はぬるいけど、流れる風はまだひんやりしてて、お酒で少しだけ火照った身体には気持ち良い……そうやって、浸っていたかったのに。



「ユキちゃん、もう帰っちゃうの?」



 ……私の後を追うみたいに、居酒屋の扉を開けて出てきたのはやっぱりあの人、ホークアイさんだった。



「そうなんですよ、明日は朝から用事があって」


「えー? まだ早くない?」


「あはは、心配性なものでー」


「じゃあユキちゃんが抜けるなら、俺も抜けよっと」



 私の帰宅がどうして彼の帰宅に繋がるのか。あんまり考えたくないし、わかりたくもないなぁ。けど、やっぱり無視は良くないと思うから、適当にあしらわなきゃ、適当に。



「ホークアイさんもお帰りなんですね、おつかれさまでしたっ」


「いやいやわかるだろ、大人なんだし。この辺に行きつけの店があるんだよね」


「それはカッコいいですねっ。じゃあ、私はこれでー」



 断り方としては及第点にも及んでないとは思う。それでも、この後の流れは大体わかってしまうから、そんな流れをさっさと断ち切る為に無理やり話を締めようとして……彼が、離れようとした私の腕を掴んだ。


……流石にこれは、ライン超えだよね。



「ちょっと待ってよ。せっかく俺が誘ってんだよ?」


「お断りしますね、離してください」


「トップオタと仲良くなれるチャンス、勿体ないと思うだろ」


「要らないです、離してください」


「俺さぁ、ユキちゃんって結構いいなって思ってるんだよね。楽しませてあげるからさ、着いてきなよ」


「結構です、離してください」


「強情だなぁ、俺のなにがダメなの?」



 なにもかもです。今は、離してって言ってるのに離してくれないところが特にダメです。……そうやって応える義理はないから、黙ったまま手を引いてみるけど……やっぱり男の人の力は強い。


 大声をあげたら……あぁでも、まだ居酒屋にいるみんなに迷惑かなぁ。せっかく楽しい雰囲気だったのに、こんな事で困らせたくない。


 どうしようかと迷ってると、私の腕を掴んだままのホークアイさんが呆れたようにため息をついた。……なんで私が、呆れられなきゃいけないんだろーね。



「あぁ、もしかしてユキちゃん、さっき話してた“付き合ってもないのに好きなヤツ”の事を気にしてるの?」


「……違いますけど」



 気にしてる、というより凛々夏の事は常に想い続けてるんだけど、私が彼の事を嫌だなって思うこととは関係ないよ。


 ここまでやるつもりはなかったんだけど、ハッキリと拒絶の意思を私は示した。なのに、ホークアイさんは苛ついたように言葉を続ける。



「いやいや、どう考えもそうでしょ。俺はさ、カネも持ってるし、コネだってあるんだよ? そんな優良物件の俺になびかないとか、あり得なくない?」


「それは良かったですね、いい加減に」


「これだから女オタはさぁ……好きとかなんとか夢見過ぎだって、大人になりな?」



 ……この人は、なんなんだろうね。大人に、とかって本当になんなの?



「……あなたも、アイドルが好きなオタクじゃないんですか?」


「俺はフツーのヤツとは違うの。他のヤツはアイドルにすがらなきゃいけないけど、カネをたっぷり落とす俺は、むしろアイドルに感謝される立場なワケ。わかんない?」


「ドルオタに普通も何もないと思います」


「あるんだって! 俺がカネを使わなかったら、エス=エスみたいなどこにでもいるグループ、やってけないだろ? そうなったらユキちゃんも困ると思わない?」



 ……あー……無理。


 私のお腹の奥深いところで、何かがぐつぐつと音を立てて煮立ってる気がする。


 わなわなと身体が震えて、抑えようのない感覚が喉から迫り上げてきて——



「……ふざけないで」


「……は?」


「ふざけないでって、言ったんだよ!!」



 ——もう我慢なんか、できそうにない。



「シズカ様もミウ姉も、モモ先輩もまいまいも……りりちも! エス=エスのみんなは、オタクに喜んでもらおうって、一生懸命なんだ!!」


「お、おいおい」


「5人で支え合って、厳しいレッスンをして、心が辛くってもライブではそれを表に見せない! そんなこと、エス=エスを追いかけ続けたオタクならみんなが知ってるんだよ!!」



 特に私は、あの辛そうな凛々夏の顔を覚えてる。


 オタクの期待に応えようとして、それでもどうしようもなくって、挫けそうになった彼女の、泣きそうな顔を覚えてる。



「アイドルが一生懸命なら、オタクは! 私たちは!! そんなアイドルを心の底から応援する事こそが“在り方”ってものでしょ?!」


「おち、おちつけよ」


「それをなに?! “どこにでもいるグループ”?! ふざけんな!! あなたみたいな、節操もなく色んな現場に顔を出して、お金だけ落としては偉ぶるだけの人に、エス=エスの何がわかるの?!」



 確かに、アイドルはオタクあってのお仕事なのかもしれない。けどその前に、アイドルがいなかったらオタクなんて存在できないんだ。


 その事を、この人にわからせなきゃ。


 そっちが腕を掴んでくるなら、私は胸ぐらを掴んでやる。



「ねぇ!! 何がわかるのって、聞いてるんだよ!!」


「そ、それは……」


「答えられるわけないよね! “どこにでもいる”なんて言っちゃうあなたが、エス=エスのレッスン動画なんて見てるはずないもんね?!」


「う……あう……」


「そのくせ何?! “アイドルに感謝される立場”?! アイドルをまともに見もしないで、私みたいな女を追っかけてるくせに、よく言えたね!!」



 相手の服を掴む手に力がこもって、もう握った自分の手が痛い。でも、そんなことはどうでもいい。



「エス=エスは最高のグループなんだ! どこにでもなんかいない!!」



 これは絶対だ。あるいは他のアイドルがそうであるように、エス=エスという最高のアイドルたちも、どこにでもいるわけがないんだ。


 グッと顔を寄せて睨みつける。向こうの方が背が高くったって関係ない。



「そんな事もわかんないあなたなんかオタクじゃない! 二度とその顔を、私に見せないで!!」



 ……パッと手を離してやると、彼はその場にへたり込んだ。さっきまで、私が離してと言っても離さなかった手を離して。


 ああもう……オフ会なんか、来なきゃ良かった。こんな想いを、したくなんかなかったのに。


 “ぽこん”。……スマホの音が鳴った。こんな時に誰さ。あぁでも、無視するのも大人としてダメかな。この人に言われなくたって、私は大人なんだから、それくらいわかってる。


 睨みつけながら、どうしようもない怒りに苛まれながら、それでもスマホを開いて。



“ユキさんの後ろ、二つ目の角を曲がったところ、青色のタクシーです”



 ……その文字が、私を冷静にしてくれた。


 最後に一度、まだ立てない目の前の人を睨みつけて、それからすぐに走り出す。


 指示された通りの道に飛び込めば、青いタクシーが止まってる。転がる様に乗り込んで、シートベルトを急いで締める。そして。



「運転手さん、出してください」



 私の大好きな彼女の声がして、タクシーは緩やかに、それでいてすかさず動き出してくれた。


 見るまでもない事。でも、今はどうしても、その姿を見たくって、視線を横にずらす。そこにいるのは、やっぱり。



「おつかれさまです、ユキさん」

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