第47話 「じゃあ、わたしの手をどうぞ」

 タクシーの中で切り出した私の提案を、凛々夏は少しだけとまどった後で、受け入れてくれた。


 だから、家近くのコンビニでタクシーを降りて、ちょっとのお買い物をして……そして今、私たちは私の家に、のんびりした歩みで帰ってる。


 私の手には飲み物とかが入ったビニール袋があって、そして隣を凛々夏が歩いてくれる。日常風景の中に大好きな人がいるっていうのは、よく考えなくても、すごく素敵な事だなぁ。嬉しいし、どきどきしちゃうよ。



「買い物、それだけでよかったんですか?」



 私が片手に提げる袋を指して、凛々夏がそんな事を言う。確かに買い物の量的には多くはない。でも、欲しいなって思ったものは一通り買ったんだけども。



「うん、これで良いかなって。凛々夏こそ、足りない物とかはない?」


「ユキさんが良いなら、わたしは全然。でも、お菓子とか買うのかと思ってました」


「あー……それでも良かったんだけど、家にあるもので用意したいなって。ポテチとか買っといた方が良かったかな?」


「……なるほど。そういう事なら大丈夫です。でもやっぱり、“打ち上げ”だなんて、したいコトがささやかすぎませんか?」


「えー?」



 どうやら車内で凛々夏がとまどったのは、私が提案した打ち上げというしたい事に、意外というか……“そんなことでいいの?”という風に、感じたからみたい。


 今も凛々夏には不思議そうに訊ねてられたけど、これこそ私がいま一番したかった事なんだ。

 


「ささやかだなんて事ないよ。推しと打ち上げとか、贅沢にも程があるって」


「それは……そうかもですけど。もっと欲張っても良かったのに」


「欲張ったつもりだよぉ。……私、凛々夏がそっちで打ち上げしてるって聞いて、羨ましかったんだ」


「羨ましい、ですか?」


「うんっ。だって、ライブが終わった後の凛々夏が、打ち上げでどんな顔をするんだろうなーとか、オタクにはわかんないでしょ? だからスタッフさんとかが羨ましくって」



 ゆっくり、家までの道を並んで歩きながら、その気持ちを確かめる。……うん、何度考えてみたって、今はこれ以上の望みはないよね。



「大好きな凛々夏のコトなら、なんでも知りたいんだ。だからこれは、やっぱり私のしたい事だよ」



 見上げると、綺麗な月が夜空に浮かんでる。それこそ凛々夏との打ち上げなんて、あのお月様にロケットで旅行に行くみたいな、そんな夢のように思えるよ。


 それはハグをして、添い寝をして、連絡先を交換して、私が抱き枕になったとしても変わらない……いつまでも甘く感じられる、幸せだよね。


 ……そんな事を言ってみると、不意に凛々夏が足を止めた。少し遅れて気付いて、先に進んでしまった私が振り向くと、どうしてかジト目な凛々夏がそこに立っていた。



「ユキさんって、ズルいですよね」


「えぇ? そうかなぁ?」


「そうです。ずるずるのズルです。キタナイ大人です。JKを掴まえてどーかと思います」


「そこまで言う?!」


「……はぁ……まぁ、気持ちはわかりました。じゃあとりあえず、袋持ちますよ」



 隣に戻ってきてくれた凛々夏とまた歩き始めて、彼女はその手を差し出してくれた。


 そうされたなら、私はコンビニで買ったものが入った袋を庇うように抱えるんだ。



「……なんです、そのポーズは」


「凛々夏に袋、渡したくないなーって思って?」


「なんでですか」


「凛々夏の細い腕に、わずかでも負担を与えたくないからですなっ」


「よけーなお世話です、ほら」



 抵抗も虚しく、私の手にあったそれは凛々夏に奪われてしまった。そうするとラクにはなるんだけど、凛々夏に負担がかかるなら、やっぱり喜べないよねぇ。



「ああっ。凛々夏ってば、強引だよぅ」


「ヘンな言い方しないでください、外ですし」


「お家の中なら良いの?」


「ちょーしにノんないでください」


「しゅみません……」



 私は凛々夏に敵うわけもないんだ。諦めて、歩き始めると……買い物袋がなくなって空いた私の手の甲にちょん、ちょんと何かが触れた。


 見てみると、さっきより距離が縮まった凛々夏がそこにいて、彼女の手が私の手に当たっていたんだ。



「あ、ごめん、近かったかな」


「……むー……おや、右手が空いてますね、ユキさん」


「そう……だね? 凛々夏が袋を持ってくれたからね?」


「寂しくないですか、右手。いや、ユキさんは寂しがり屋なので、寂しいですよねきっと」


「そんなことは、ない、けど」


「いいえ、寂しいはずです。そうですよね?」



 そんな風に強めの圧をかけられたら、わたしはやっぱり肯定するしかなさそう、だね?



「そうですな……?」


「じゃあ、わたしの手をどうぞ」


「……ふぇ?」


「わたしから握ってあげても良かったんですけど、そうするとユキさんがまた気を失っちゃいそうですから」



 これってつまり……凛々夏の手を、私から握るってコト?! 


 ……確かに雰囲気としてはそんな感じがしないでもない。二人で一つの家に帰ろうとしていて、少しだけ静かな夜道を、月が照らす中歩いてる。客観視すると何だか、良い感じの雰囲気。


 仲良しなら、手を繋いでもおかしくない様な、そんな空気感がある。そして私は……少なくとも凛々夏との仲を、良いものだよねって信じてる。


 で、でもだよ。いくら雰囲気が良くっても、私から凛々夏に対するすべての身体的接触は、ある種の緊張感を私にもたらすんだ。端的に言って、おそれ多いの!


 しかし、凛々夏は私に、手を握れって催促してくる。迷って凛々夏を伺っていると、どんどんジト目は細くなっていって、拗ねた様に唇は尖がってくんだ。



「……寂しくないなら、良いですけど、べつに」



 そして、私の鼓膜を打ったその言葉こそ、なんだか寂しそうな色を含んでいて。……なら、私がとるべき行動は、一つしかない。だって私は凛々夏のオタクだから。


 歩きながらおそるおそる、右手を伸ばす。目標はもちろん、隣にいる凛々夏の左手。その手の親指側から、私の手を滑り込ませて、お互いの手のひらを重ね合わせてみたりして。



「寂しかったから、手のひらのしわとしわを合わせて、しわわせ……な、なんちゃって」



 やっぱり恥ずかしくって、ばかみたいにおどけてみる。凛々夏と手を繋いでるって事実を意識しちゃうと、私は家に辿り着けないかもしれないから。



「なんですか、そのありきたりなギャグ」


「つ、ツッコまないでいただけると、嬉しいかなぁ」



 どきどきしてしまう私と対照的に、凛々夏はやっぱりクールだね。でも……なんだか小さなそのお顔は、ご満悦ってかんじに綻んでる。


 どうしてそんなに、嬉しそうなのかな。手を繋いだだけなのにね?



「照れ隠しのつもりですか?」



 どうしてそんなに手厳しいのかな?!



「やめてぇ! 掘り下げないでぇ!!」


「夜も遅めで近所迷惑になりそうなので、あまり騒がないでください」


「おーぼー凛々夏、ふたたびだよ……」


「そんなわたしもー?」


「あいしてるーっ!」


「よし」


「……はっ?!」



 着実に手懐けられてる……六つも歳下の女の子に、手綱を握られちゃってるよぉ……。


 でもこれはもしかしたら、私がチョロいってわけじゃないんじゃないかな。凛々夏という名ジョッキーを前にしては、どんな人でも三冠を目指せるんじゃないかな? 私はそう思います。


 ……そうやって私たちは、家までの道をゆっくり帰る。


 手のひらから伝わる彼女のぬくもりを、いつまでも感じていたくって、ただのんびりと言葉を交わしながら、この道を歩いて行くんだ。

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