第42話 「じゃあユキさん、左のほっぺを失礼します」

——“次の方どうぞ”というスタッフさんの声が近づいて、ようやく意識が覚醒してきた。


 今日のライブは、これ以上ないくらい夢見心地で……魂をぎりぎりその場に繋いだ状態で、最後まで夢中になってしまった。そんな状態でも物販にいってるんだから、私って本当に調教されてるなぁ。


 しかしここからもまた、重要なんだ。何故ならば、握りしめた“チェキ券”はお飾りじゃなく、溢れてしまいそうな愛をりりちに伝える為にあるのだから!


 いよいよ私の番になったぞう。まずはブースに入って、女性のスタッフさんにまずは一礼。いつもありがとうございます!


 そして、視線を奥にやると——



「……あっ。いひひ、ユキさんだっ」



 ——あ、ああ、あああ。ぁあぁぁああぁあぁぁぁああぁあ。


 天使だ。天使がいる……そうだよね、私、ライブ途中に死んだんだもんね。だからそこに居るのは天使に違いないよね。


 天使だからかな、アイボリーの明るい衣裳がよく似合ってる。学生服にチェックスカートを組み合わせた人には、ノーベル賞を送るべきだよね。私は常々そう思ってます。


 そう、そしてその衣装を着たりりちは。


 ブースに入った私に、何故だか一歩だけ近づいて、何かをためらう様に止まって。


 それでどうしてか、視線をすこし彷徨わせたあと、柔らかな微笑みを私に向けてくれた。


 ……天使、だぁ……。



「……もう、ユキさんってば」


「あ、ごめん! ごめんよぅ、りり……ち」


「あっ……いひひ」



 あ……あ……あっぶなぁあ!!


 今一瞬、って言いそうになったぁ!! 危なかったぁ!!


 ……なんだかりりちが、いじわるーな目で、にまにまと私を見てくるよ。これは流石に、りりちのせいでもあるのに!!


 だって、だって……凛々夏ってば、毎日の様に連絡してくるんだもん!! 朝にはメッセ、昼にもメッセ、夜には寝る寸前までビデオ通話をするんだよ! 


 連絡先を交換したあの日以降、私からは最初の一回送っただけなんだ。流石に私から無遠慮に連絡するのはどうかなって思ったから。でも、後はもう、凛々夏発信で連絡が来るんだよぅ!! 返信に迷ってたら、どんどんメッセやスタンプが積み重なっていくし!!


 そういう生活を一週間も送れば、面と向かって話そうとしたらポロリしそうになるよねぇ?! だから今も、ギリギリで踏みとどまったんだけど! ……くぅ……にまにま笑うりりちも、可愛いよ……。



「ほら、まずはチェキを撮りますよ?」


「あい……ポーズ、どーしよ」


「あれ、考えてきてなかったんです?」


「ちょっと、ぼーっとしてて、えへへ」



 ライブ中からついさっきまで半分魂が抜けてたし、今もやらかしそーになったので焦ってたし。


 正直にそういうと、ふむ、とりりちがひとつ息を吐いて私を見た。不甲斐ないです……。



「めずらしーです。……あっ、じゃあわたし、やりたいポーズあったんですよ」


「それにしようよ!」


「よし。じゃあえっと……口で説明するのも手間なので、ちょっとスマホ借りられますか?」


「うん、どうぞどうぞ」



 オタクとアイドルの距離感としては、かなり近いやりとり。だけど、実はスマホを見てもらったりって事自体は初めてじゃないし、スタッフさんもそれをわかってくれてるからにこやかに待ってくれる。


 開いたスマホをりりちに渡して、ぽちぽちと操作する彼女を見守る。相変わらず、操作がめちゃくちゃ早い。これが現代っ子ってやつ?



「こんな感じのやつなんですけど」


「うん? どれどれー?」



 りりちが私のそばに歩みを寄せて、隣に並んでスマホを見せてくれる。こうして立って並ぶと、小柄なりりちを感じられて……最高なんだよねぇ。


 おっと、スマホを見なきゃ。どんなポーズがお好みなのかな。


 そうして目をやった画面には。



“今夜もお家行くので。後でメッセージ送りますから、ちゃんと返信くださいね?”



 という文字が、メモ帳に記されていた。



「……うん?」



 思わず、画面から視線を逸らして、ぎこちなく視線を隣にずらすと、ちょっぴり頬を赤くした凛々夏と目が合う。でも、その口元は楽しそーに綻んでいて……やっぱりりりちは、いたずらっ子だぁー!!



「あぁ、これだとわかりにくいですかね」


「え、そ、そうかな?」


「こっちの写真なら……どうです?」



 そうして素早く改められた画面には、ちゃんとしたポーズが表示されていた。さっきのは、私の見間違いってわけじゃ……ないよねぇ?


 とにかく! まずは、チェキを撮らなければ。


 そうして少しだけ私が屈んで頭の高さを合わせたところで。



「じゃあユキさん、左のほっぺを失礼します」



 りりちの右手が私の頬に伸びてきて、柔らかく摘んだ。ふあ、おててちっちゃい。指も細くて、やあらかい……。


 ……って、このポーズは?!



「ほら、ユキさん。



 お互いのほっぺを摘み合う、ちょっといたずら心強めなポーズだね?!


 いやそんな、私はいいよ? むしろウェルカムだよ? りりちにならいくらでもつねってほしいよ?!


 ででで、でも、私がそんな、りりちの白くてすべすべなほっぺに触れちゃうなんて、お、おお、畏れ多いよぉ!!


 そうやってあわあわと私が慌てていると、りりちからジト目ビームが飛んでくる。うわ、あ、圧が強い。目力、マジハンパないっす。



「さーさー。時間、押しちゃってますよ」


「い、いいの? こんなポーズ……?」


「……ユキさんが考えてこなかったのが、悪いんです。これははんせーの為に必要です」


「しょんなぁ……うぅ……えいっ」



 細心の注意を払って、左手の指先で凛々夏の右ほっぺをつまむ。はぁっ!! やわらかっ!! すべすべっ!!


 わ、わわ、やばい。まともな顔、作れない。チェキを撮るっていうのに、全然顔面盛れないよぉ!!


 ……けど、無情にもシャッターは切られて。



「……いい感じですね。じゃあ今から一分間、おしゃべりタイムです」



 スタッフさんからチェキを受け取ったりりちは、フリフリと振ってそれを風に当てた後、慣れた手つきでペンを走らせ始める。こういうとこ、プロだなぁ……。



「ふぁ……ふぁい」


「いひ。……今日のわたしは、どうでしたか?」



 あー……しゅき。今の一瞬に、私の好きなりりちが詰まってる。


 そのはにかむような笑顔はもちろん、りりちは私に、“今日も来てくれたんですね”とは聞いてこないんだ。多分、私が現場にいて、凛々夏の事を見ているって信じてくれてるから。だからこそ、こういう質問をしてくれるんだ。


 そんな、他になんとも形容できない……オタクとアイドルの信頼感。それが感じられて好きなんだ。


 そして、こう聞かれたなら、私の答えは決まってる様なもの!



「最高だったよ! やっぱり“Sync!!!!!”の時のアクロバット! 凄かったね……!」


「いっぱい練習しましたから。みんなに、見て欲しくって」


「あんなコンビネーション、大興奮間違いなしだよぉ! 流石はりりちだなって、担当オタクとしては嬉しいです!」


「いひひ。“リリの完全復活”、伝わりましたか?」


「……! ……もちろんだよ! みんなきっと、感じたんじゃないかな!!」


 

 推しが発した全てを感じ取り、受け入れる為にオタクっていうのは存在するんだ。だからきっと、りりちのあの気持ちはみんなに届いたはず。


 それからもう、褒めて褒めて、いくら褒めても足りないくらい。たくさんの言葉をりりちに伝える。


 言葉なんていくら費やしても、りりちが私に与えてくれた感動には足りなくって。それもきっと、りりちへの愛を深いものにしてくれるんだ。


 そうやって時間が許す限り、言葉を伝えて。



「はい、チェキの完成です」


「ありがと! ……うわ、やっぱり私、変顔だよ……」


「可愛いですよ。これからも……わたしリリを応援……」



 そうやって切り出したりりちが、少し迷った様に言葉を区切った。


 どうしたんだろうと思うより先に、はにかんだりりちが言葉を続けてくれる。



「……応援、ユキさんっ」



 ……そう。そうだね。


 私は伝えたんだもん。私のりりちを応援し続けるという誓いを。


 だから“応援”という言葉の後に続くのは、“してくださいね”とか“してほしいです”じゃ、ないんだね。

 


「もちろんだよ! これからもずっと、ずっと応援してるんだから!」

 


 私がりりちの信頼を肯定すれば、りりちはぱっと花が咲く様な笑顔を私に向けてくれる。


 あぁ、本当に私は、リリってアイドルが、大好きなんだなぁ。笑顔一つで、こんなに胸がドキドキしてしまうんだもん。


 ……そして、見守ってくれていたスタッフさんから終了が告げられる。はぁ、ほんと、一分って短すぎだよぉ。



「じゃあまたね、りりち」


「はいっ、またです!」



 ふりふりと手を振り合って、お別れの言葉を交わす。いつも通り、ある意味でのルーティン。こればっかりは、慣れていてもちょっと寂しい。



「ちなみに……


!!」



 しかし、別れを惜しむより先に私たちは、すぐそこで迎える再会の約束を交わすんだ。それが、アイドルとオタクの関係性ってわけ。


 さて、化粧を直して顔面を盛ったら、列に並び直すぞぅ!


 ……ん? なんだろ。今なんか、ゾクってしたような……。気のせいかなぁ?

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