第43話 「明太だし巻きだって、控えめにいって最高」
乾杯の音頭があって、手にしたグラスに口をつける。目の前には美味しそうな揚げ物やサラダなんかの、“いかにも居酒屋!”って感じの料理たちが、低いテーブルの上に広げられていて、見ているとなんだかお腹が空いてくるみたい。
ライブ後のオタクがとるべき行動といえば、直帰してライブの余韻に浸りつつ、推しへの感謝を捧げる事だと私は思ってたりするんだけど、今日に関してはエス=エスのオタク、いわゆる“エス
現場近くの居酒屋で、それなりに大きい個室に20人ちょっとの老若男女がいるわけなんだけど、この殆どがエス=エス好きなオタクなんだと思うと、なんだか嬉しくなっちゃう。
こういう場にはあんまり参加しないけど、参加してみたらしてみたでやっぱり楽しいし、オタ友の縁をしっかり築いておきたかったのもあって、今日は参加する事を選んだんだ。
まず、オタ友の縁とはなにか、といえば。
“蟹鍋氏ぃ、ありがとうございますぅ! まいまいの缶バッジが出なかった時はこの世の終わりかと……”
“良いのですよ。拙者もミウ姉が出ずに枕を濡らしていたのですから、交換できたのは渡りに船でした。ほっほっほ”
なんてやりとりが、テーブルを挟んだ向こう側で繰り広げられているところを見れば、理解も出来ると思う。
推しへの愛を最大化する為に個人の力はあまりに弱く、オタクとはやっぱり助け合いが必要な生き物なのです。
さて、そんなオタ友との縁を深めるこの場において、私の仲良しさんは多くなかったりする。むーにゃさんと、それから。
「……ククク、どう思う、ユキ氏」
私がピーチウーロンを飲みつつ、だし巻き卵を突いていると、右隣から何だか気取った風に声をかけられた。まぁ、いつも通りだね。
「なんのことかな、げっこーくん」
「決まってる、いよいよ“夏”が始まるのだ。
「モモ先輩も可愛いだろうねぇ、へそだしルックの夏限定衣装」
「やはりわかってるな、ユキ氏。信奉対象こそ違えど、その
「担当が違うからこそ、良いことってあるよねぇ」
話しかけてきたのは、全身を黒でコーディネートしたオタ友であるげっこーくん。モモ先輩に脳破壊された被害者だね。
モモ先輩は独自の世界を展開する事でも有名で、モモ担はことごとく脳みそを破壊されてモモワールドに適応した結果、こういう喋り方をする様になってしまう……らしい。
男の人が苦手な私ではあるけど、げっこーくんはもう、そういう概念から外れたモモ担という存在として認識してしまう。なので、苦手意識はそんなになくて、オタ友として楽しくやれてるんだ。
げっこーくんはカシオレをまた気取った雰囲気であおって、ふ、と息を吐いた。……あんまり言いたくないけど、カシオレではカッコつかないよ?
そんな人だから警戒してないっていうのもあるし、さらに言えば。
「……またユキにゃんにダル絡みしちょるんか、愚弟よぉ」
げっこーくんを蹴飛ばして、ビールジョッキを持ってきたむーにゃさんが私の隣に腰掛けた。
何も知らなければ、“そんな事しちゃって良いの?!”と驚くところだけど、このやりとりもある意味いつも通りなので、笑いつつも見守ってしまう。
そう、げっこーくんの本名は
わたしにとってげっこーくんはむーにゃさんに紹介してもらったオタ友。だけど、元を辿れば彼がむーにゃさんに、活動開始前のエス=エスを布教したらしい。師匠の師匠……的な存在かな。
「クハッ! 蒙昧な姉なる者よ! この場の意義を思えば、言葉を交える事こそ相応しき振る舞いであろう!」
「あんたがそんなだと、アタシが恥ずいんだけど。あとユキにゃんの教育に悪いから、どっかいってて。狭いし」
「まだその“
「……ほー? ねぇ知ってるぅユキにゃーん。こいつねぇ、昔ぃ夜に、おね」
「ちょっと俺は向こうに行ってこようかな! ではまたな、ユキ氏!」
弱みを暴露しようとした姉に形成不利を悟った弟は、仲のいい別のオタ友の元へと旅立っていった。弟っていうのは、姉には勝てないもんなんだねぇ……普通。
そうして場所を奪い取ったむーにゃさんは、落ち着くなりぐびっとビールを飲み干した。お酒強めの女子なんだよね、会場でシズカ様を見てはビクンビクンしてた人とは思えないカッコ良さ。
気の利くどなたかが取り分けてくれていたサラダをつまむと、おかわりの注文をし終えたむーにゃさんが私の手元を見る。
「お、ユキにゃんそれ。何食べてんの?」
「サラダ……なんだけど、ベーコンが入ってる、うまし」
「そっちは?」
「明太だし巻きだって、控えめにいって最高」
「いいね。あーんしてよ、あーんって」
「えー? 自分で食べなよー」
「箸置いてきちゃった、おねがーい?」
「へいへい。……はい、あーん」
一口サイズに分けたそれを運んであげると、パクりとむーにゃさんは食べてくれる。見た目はやっぱりカッコいいんだけど、気心知れた人には甘えたがりな面があるんだよね。だから、王子様的雰囲気のあるシズカ担なのかもしれない。
そしてまたビールをあおった彼女は、くぅと息を漏らして、満足そうに頷いた。……ちょっとおじさんっぽいとかは、思ってないよ?
「やっぱユキにゃんに食べさせてもらうツマミが最高だわぁ。あいつの代わりにうち来て妹やんない?」
「げっこーくんが聞いたら傷つくよ?」
「弟なんてちょっと傷付けておくくらいが良いんだよー。シスコンになられても困るし」
「そういうものかなぁ?」
オフ会ではもちろんエス=エスの話がメインになるんだけど、こういうなんてことないやりとりや、近況報告なんかもよく行われる。一見すると本当にただの友だちって感じ。
けど気をつけなきゃいけないのは、全員が全員、友人ではないということ。
Aさん、Bさん、Cさんというオタ友グループがあって、でもCさんはグループ外のDさんとも仲が良くて、そのDさんはEさんと仲が良くて……という繋がりの上に、このオフ会は開かれてる。その辺りの妙な複雑さが、他の趣味におけるサークルとは違う点なのかもしれない。
今回のオフ会も、幹事をやってくれる優しい人が当然いるんだけど、その人とげっこーくんが仲良しで、その縁で私とむーにゃさんはお呼ばれしてるんだ。
その上でやっぱり、気をつけなきゃいけない。
オタ友のオフ会と一口に言っても、私がそうである様に参加理由はひとそれぞれなんだ。
エス=エスについて語らいたい人、飲み会それそのものを楽しみたい人、友人に付き合ってきてる人、それから。……ただでさえ、私は引き寄せやすいから、自意識過剰と思われても自衛はしなきゃ。正直、その為に参加頻度は少なめにしていたりするんだ。
……なんとなく、テーブル下に置いたスマホを見てみる。まだ画面は暗く、沈黙を保ったままで……なんだか、待ち遠しいよ。
「……ありゃー、どうかなー」
スマホから視線をまた隣にやると、むーにゃさんがジョッキで口元を隠しながら、この場の一方を見遣っていた。
その視線を追うと……一人の女性が、2、3人の男性に囲まれている。男性の方はともかく、女の子の方は初めて見る顔かも。全員の顔を覚えてるわけでもないんだけど。
そこに剣呑な雰囲気はなさそうなんだけど、むーにゃさん的には気になったみたい。
「ああいうのって判断に困るんよなぁ」
「判断?」
「喜んでるのか、困ってるのか。もし“姫希望”だったりしたらさ、私が行ったら嫉妬乙みたいに思われるやん?」
「あー……あの子が男の人に囲まれたい欲があるかもみたいな、そういう話?」
このオフ会に参加してる男女比もパッと見た感じ7:3程で、女性の方が少ないんだから、ああいう状態になってしまうのも無理はないと言えるかもしれない。
それに、いわゆる“オタサーの姫”みたいなモノを求めてる人たちはそれなりにいる。男性にも女性にも。……それが難しいんだよね。
「そうそう。せっかくエス=エスがフェスに出るとか、コラボとかの発表があったんだから、そっちで盛り上がれば良いのに」
「あの人たちもそれで盛り上がってるかも?」
「それを考えると動きにくいんよねー……気にしすぎかー」
そう言いながらビールを飲むむーにゃさんに、慰めるつもりでまたあーんをしてあげる。
「気を遣えるのは良い事だよ。私もそれで助けられたし、むーにゃさんのカッコいいところだと思うよ?」
「ユキにゃん……へへ、照れるやん。妹になっとく?」
「ならないねぇ。……春巻きおいしい」
「シビアにゃんやねー。あ、そういえばひと月ちょっとしたら」
「りりちの誕生日だね!!」
「食いつきエグ。春巻き食っとけよ」
そう、来たる8月7日はりりちの誕生日なんだ!
私はその事で頭がいっぱいで、今から何をしようと迷っているのである!!
オタクから推しへプレゼントを贈る文化があるなんて去年は知らずに悔し血涙を流したけど、今年は違うんだよ!!
「ユキにゃん、今年はなんかやるのん?」
「もちろん! りりちの誕生日を祝う為に、私は産まれてきたからね!!」
「産まれた理由がピンポイントすぎる。そんな誕生日に鳴らすクラッカーみたいな人生で満足か?」
「オタクとは推しへ愛を捧げる一瞬に命を込めて燃え尽きる生き物だから。使い捨てられるクラッカーにはシンパシーを感じるよね!」
「オタクへの風評被害エグいて。ポテト食っとけー?」
「あむあむ!!」
そうやって指で摘んだポテトフライを口に放り込まれてしまっては、私は黙るしかなくなってしまう。お行儀が悪いからね。
「ふふ、ほっぺパンパンなユキにゃん、おもしろ」
「面白がらないでよう、これでもカロリーにはあぶぶぶ」
「餌付けしてるみたいやん。……ごめん、やっぱちょっと挨拶してくるわ?」
「挨拶? じゃあ、わたしもあぶぶぶ」
「いい。仲良くなれそーだったら、後で呼ぶ」
私の口にポテトを詰め込むだけ詰め込んで、むーにゃさんは立ち上がった。向かうのは件の女の子の場所。むーにゃさんならカッコいいし、私が行くより邪険にはされ難いよね。
その背中を見守りつつ、口をさっぱりさせようとまたドリンクを飲んだ時。
私の手元のスマホが、“ぽこん”と音を立てたんだ。
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