第39話 「現場入りするとユキにゃんって、わかりやすくそわそわするよね」
夕方と夜が入り混じったこの時間に、私は“目的地”の最寄り駅に降り立った。
周りを見渡すと、私と同じスーツ姿の人は多くって、なんだか浮かれた雰囲気を感じられる。わかる、“金曜日”なんだもん。ただ、わたしが浮かれてる理由はまた、全く別なんだけども。
改札を抜けたらすぐ、空いてるお手洗いでTシャツに着替えて、化粧を整え直して、必要なものを詰めたトート以外の荷物をコインロッカーに押し込んで……すかさず現場まで気持ちダッシュする。ライブ開始にはまだ猶予があるけど、その前の受付には出来るだけ余裕を持って間に合わせたい。
これから私は、仕事なんかの日常から解き放たれる……“非日常”へと飛び込むんだから。ギリギリになって、焦ったりはしたくないんだ。けど、走ったら多分私は転ぶし、人とぶつかったりも怖いので気持ちダッシュ。
駅前の大通りからいくつか奥の道に入って、そこをまっすぐ進んで、三つ目の角に……あった。ライブハウス“ラビスタ”。数百人という規模のキャパがあって、複数のフロアに分かれてる大きめの“箱”。今日はここでエス=エスの単独ライブがある。来たのは今日が初めてってわけじゃなくって、いつみても看板にあしらわれた空色のネオンがきれいだなって思うんだ。
もう入場は始まってる。私も急いで……と、歩き出そうとする私の目に、手を振りながら近づいてくる彼女が映った。
「やっほー、ユキにゃん」
「むーにゃさん!」
そうしてやってきたのは、私のオタ友であるむーにゃさん、こと、
黒のアシメショートに“赤紫”のメッシュを入れた髪型は、遠目からでもよく目立つ。さらにいえば、手足がすらりと長いモデルのような美人さんなので、そんな彼女が手を振って来てくれたなら、誰とも思わず応えることができた。
私も手をあげて挨拶を交わすと、にこにこ顔のむーにゃさんはそばに来てくれて、私の手をはしっと掴んだ。
近くで見てもやっぱり美人。界隈にはたまに、こういう“業界の方ですか?”って聞きたくなるような人もいるんだよねぇ。……彼女はある意味、業界の人なのは違いないか。
「もう入場、始まってるよね?」
「うん。でも、中って結構暑いっしょ。だから外で待てて良かったわぁ」
「そっかぁ。待っててくれて、ありがと!」
「どいたまー。……ユキにゃんはやっぱ、仕事終わりなん?」
二人で受付列に並んで、自分の番を待っていると、なんだか背後からの視線を全身に感じる。むーにゃさんが私を眺めているっぽい。
確かに、ダメージジーンズやジャケットを着こなすむーにゃさんと比べると、私の格好は日常においてはそこそこ目立つとは思う。トップスはサファイアブルーの推しTで、それ以外は仕事着……つまり、スカートにタイツ、それから履き慣れたパンプスなんだから。……そこそこで、大丈夫だよね?
でも箱に入ってさえしまえば、下半身がどうなっていようと割と気にならないよね。それに気づくまでは、毎回服をどうしようか悩んでたのも、懐かしいや。
「ユキにゃんのタイトスカートと黒タイツって、いつ見てもヤバいね」
なんて、オタク初心者だったころの自分を振り返ってると、後ろからそんな言葉が飛んできた。
「……せ、セクハラだっ。ど直球のセクハラだっ」
「ヤバいって言っただけだし、知らんけど。まぁ、アタシにはシズカ様がいるんだ。だからごめんね?」
「なんで私が振られたみたいになってるの? 私にだってりりちがいるんだけどっ」
並んでる時は近隣の迷惑にならないようお静かに。だけど、待ち時間におしゃべりできるオタ友はすごくありがたい。
ありがたいんだけど……堂々とセクハラかましてくるむーにゃさんをじとっと見ると、彼女はカラッとした表情で笑った。
「あんだよー、アタシに惚れちゃったかぁ? リリへの浮気だぞー?」
「すごい、むーにゃさん。そのセリフをしらふで言える、その精神性がすごいよ」
「でっしょー?」
「褒めてないですし、私はりりち一筋なんだからね……!」
「照れんなって。ユキにゃん、今日のオフ会は参加するんだよねー?」
「照れてもないですし……オフ会は参加するよぅ。今日って——」
——そうやって時間を潰して待ってると、あっという間に受付の時間がきて、ドリンクをもらったりして、いよいよホールに入場して。
私たちはそうやって、照明が抑えられた薄暗い“現場”と辿り着いた。
“ラビスタ”の特徴的な奥行きのあるステージ、七色に光るライトの数々、身体の芯まで音を響かせるおっきなスピーカー、そして、エス=エスを愛する
私はここにくるといっつもわくわくしてしまう。もうすぐ、もうすぐ……!
「現場入りするとユキにゃんって、わかりやすくそわそわするよね」
「……そ、そんなこと、ないよぉ? 至って冷静だけどぉ?」
「自覚アリの反応やん、ウケる。良かったねぇ、ここが女限エリアで。そんな
むむと唸りつつペンライトを青色に光らせて、動作に問題ないかチェックするフリをする。そうやって、からかう様なむーにゃさんの言葉に対しての恥ずかしさをごまかすんだ。
エス=エスの単独ライブでは、客席に女性限定エリアを設けてくれてる。主にシズカ様担当に多い女オタ向けの要素で、私みたいなそそっかしい人でも安心してライブに集中させてもらえるんだ。……って事を、私はむーにゃさんから、過去に教えてもらった。
“はじめて”の時はともかく、二回目の時はそれがわかんなくて色々大変だったんだけど、その時
ドルオタとしての作法みたいな事も教わったりして、師匠と呼ぶべき存在かもしれない。そんな彼女が今でもオタ友をやってくれてる事に、私はやっぱりありがたく思う。……多少、セクハラ癖はあるけど。
「私だって、もうオタク歴一年以上のベテランだしっ! ……ベテランってどこからがベテランなんだろ」
「そういう事聞かなくなったらベテランなんじゃない? 知らんけど」
「なるほど、哲学的だね」
「そうかね?」
「……むーにゃさんはベテラン?」
「いや、アタシも歴自体はユキにゃんとほとんど変わらんよ。アタシにはほら、アレが居るから」
「良いよねぇ、姉弟でオタクって」
「言うほど、羨ましがるもんでも……おっ、そろそろかぁ」
むーにゃさんがそういうと、会場の灯りが消えていく。私の視界を埋め尽くしていた彩りは闇に包まれてしまうんだけど、でも、これで良いんだ。
本当の“非日常”を届けてくれるのは、主役である彼女たちなんだから。
そうして、真っ暗なステージ上、スポットライトだけを背負うように現れたその姿を見て、私はぎゅっと、手にしたペンライトを握りしめるんだ。
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