第33話 「……ユキさんがそのつもりなら、わたしだってそうするまでです」

 私は重ね重ねどんくさ女なんだ。主に胸のせいで、スポーツと呼ばれるもの全般が苦手。


 唯一誉められたのは高校の時の体育祭でやったバレーの時。相手の子のスパイクを胸でレシーブして、そのまま相手コートに入った時は、日頃は絶対そんな事言わないやよいちゃんにすら“奇跡の乳”とよばれた。確かにあの時は、この体型で良かったと思ったよ。


 対する凛々夏の運動神経の良さについてはもう、語る必要がないくらいだよね。私が100人いたって叶うわけがない、立ち姿を一眼見ただけで全員地面に転がる事になる。……運動神経関係ないか、これは。


 そうなれば、私の取れる手は一つ……!


 私が覚悟を決めた瞬間、凛々夏はやっぱり猫の様にしなやかに、しゅばっと飛びかかってきた。


 ならばと手にしたそれを、今私の着てるTシャツの裾から内に入れて!


 そのまま抱え込んで、ソファにうつ伏せでダイブ!


 これぞ雪奈流究極奥義絶対防御の構え弍の型・亀の陣!


 服とお腹で対象物Tシャツを隠し、さらには体とソファで挟む事により、私というもちもち女の質量で凛々夏の手が届かないようにしてしまうのだ! 弱点はある!!

 


「……ぐふぅっ!」


「ちょこざいです、ユキさんっ」


 

 うつ伏せでソファに寝る私の背中に、凛々夏が飛び込んできた衝撃が伝わる。加減はしてくれたみたいだから痛いとかはないんだけど、これこそがこの構えの弱点!


 私からは身動きが取れないのである!



「いひひ、諦めて渡しちゃってください」


「やぁだぁ……! これは、これだけは……!」


「じゃあどうするんですか? このままじゃユキさん……」


「ひぅうっ!」



 脇腹にぴりっとした刺激が伝わる。私の背中にお尻を乗っけた凛々夏が私をくすぐってきたんだ。り、凛々夏、本気で取りにきてるね……!


 

「じがじ、これだけは渡さぬ……! ひゃあっ!」


「このままじゃユキさん、くすぐられすぎて大変なコトになりますよ? 良いんですか?」


「りり、凛々夏が諦めてくれたら、良いと思うよ! ふわぁ!」


「絶対諦めませんっ。わたしの性格はわかってますよね?」


「そういうところもカッコよくて好き! ……ひぃっ!」


「むーっ……頑固ですね……」



 そのとき、凛々夏の私をくすぐる手が止まった。……諦めてくれた、かな?


 凛々夏が一本気な性格なのはわかってるけど、私だって凛々夏の事に関しては頑固なんだい。これは私と彼女の意地の戦いなんだ!


 ……そう思っていたら、私の背中に乗ってる凛々夏が体勢を変えた。感触的に……あわわ、彼女が私の上で寝そべってるみたい。親亀子亀、みたいな感じで。


 わわわ、み、密着度がすごい。この体勢、凛々夏の軽い身体が感じられて……あわわ。


 しかも、下手に動いて凛々夏が落ちちゃったりしたら怖いし、いよいよ動く事ができないや。どうしよう……あれ、なんか、凛々夏の動きも止まってる。私のうなじの辺りに顔を埋めてる? それで……!



「なんか私の匂い嗅いでない?!」


「……ユキさんがそのつもりなら、わたしだってそうするまでです」


「私はそんな、匂いを嗅いで喜んだりはしてないよぉ!」



 改めて否定してみせたのに、何故だか私の背後にいる凛々夏はより勢いよく呼吸を始める。


 すごいされてるぅ!



「や、やめてぇ! シャワーとか浴びれてないからぁ!!」


「……なるほど、どーりで……」


「なにが、“どーりで”、なのぉ?!」


「……いひひ、冗談ですよ。でも、ユキさんも困っちゃいますよね? Tシャツ渡して、楽になった方がいいですよ?」


「ふぐぐぐぐぅ……! あ、やめて、嗅がないでぇ!」



 宝物Tシャツを守るドラゴンを攻略すべく、勇者りりかはまず巣に火を放つ事を選んだらしい。字面だけみるとすごい極悪な戦法だ。


 このままでは、私は恥ずかしさに耐えきれず、お腹をぺろんとしてTシャツを差し出す事になってしまいそう。撫でて欲しいとは思ったけど、宝物を略取されるだけで終わってしまうのでは、寂しいだけだよ!


 けどやっぱりうつ伏せで寝て、上に凛々夏が乗ってしまった私には“守るコマンド”しか選択肢には用意されてない。お、お助けキャラ的な人は……いない? そっかぁ。



「凛々夏こそ、そういうことしたらダメなんじゃないの?!


「いひっ、ユキさんが悪いんです。ユキさんがいいにお……じゃなくて、ユキさんがそれを渡さないのが、悪いんです」


「お、おーぼーだぁ……ちょっと可愛い推しのアイドルだからって、おーぼーだぁ!」


「……ちょっと?」


「訂正しますっ! すごく可愛い! 世界一! もう凛々夏しか目に入らないくらい! 凛々夏しか勝たん!!」


「よし……」


「おぎゃー! だからって嗅がないでよぉ!」



 ぐぐぐ……やらせはせん、やらせはせんぞぉ……でもこのままじゃ……。


 そう思った、その瞬間。


 きゅう、という可愛らしい音と、ぐぅう、という間抜けな音が、ほとんど同時に聞こえたんだ。


 そうして、私たちの間に気まずい沈黙が流れて、ややあってから凛々夏が何も言わずに私から離れてくれた。私も黙ってソファに座り直して、ちょっと乱れた格好を整える。この間にお互いの顔は見てない。見られない、とてもじゃないけど。



「……今日、昼前のパンケーキから何も食べてなかったんだぁ」


「……わたしも、レッスンで頑張りすぎちゃいましたから」


「……お弁当、食べよっか」


「……そうですね、冷めきっちゃいそうですし」



 静々とテーブルに二人で向き直って、私は隠していたTシャツを取り出して……あっ!



「と、とられたぁっ!」


「隙を見せましたね。ぼっしゅーです」


「ふぐぐ……まだ凛々夏からのメッセージ見れてないのにぃ!」


「……それは……まぁ、諦めてください。埋め合わせはしますって」



 なんだかそういう雰囲気でもなかったから、大人しくご飯を食べようと思ったのに、いじわる凛々夏は私の隙をついて、サイン入りTシャツを取り上げてしまった。


 顔を真っ赤にする凛々夏に抗議の視線を送ってみても、多分私も顔が真っ赤だから対して意味はなさそう。別に匂いとか気にしてなかったのに……しょんなぁ……ちょっと、私もおかえししちゃおっかな。


アイドルに対してオタクっていうのは、友愛の気持ちも抱くものだからね。友人に向けてなら少しくらい……許されるよね?

 


「ね、凛々夏」


「なんです、ユキさん」


「私ってそんなに、美味しそうな匂いした?」


「……ばかっ! えっち! ヘンタイっ!——」

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