第34話 「急に負けられない戦いを始めるね?!」
——ご飯を食べ、片付けも終わって、ソファでココアを飲みながら“おーぼー”だった凛々夏の姿を思い出す。
たとえ横暴だったとしても凛々夏は凛々夏なので全てが許されるし、埋め合わせはしてくれるって言ってたけど……しょうがないよね。推しが望むなら、受け入れるのがオタクって生き物だし。
それにやっぱり、おーぼーなだけじゃないのが、アイドルたる凛々夏の推せるポイント。
まず今私たちが飲んでるこのココアは、なんと彼女が持ってきてくれたものであり、最近のマイブームなんだそう。配信でも語ってた事だけど、銘柄まではわからなかったから、オタクとしては嬉しすぎるサプライズ。
さらにはこんな事までしてくれるとは、凛々夏のオタクである私も想像できなかった。
「ここ、マイがモモに視線送ってるじゃないですか」
「うん、仲良しだよねぇ。ライブ中でも気にかけてるんだね、年下だからかな?」
「直前でモモがマイのボトルから水飲んでるんで、マイがビックリしてるんですよ」
「そうだったの?!」
並んで座る私たちの視線の先には、やっぱりエス=エスのライブ映像を流すテレビがある。ただ二人でライブを見てるだけじゃないって思う人いるかもだけど、これはそんな次元の話じゃないんだ。
なんといっても凛々夏はアイドルであり、いま目にしてる素敵なライブの当事者なんだ。だからこれは言うなれば、“アイドル本人による副音声つきライブ鑑賞”ってわけ!
こんなの、こんなのさ……!
「あぁ、幸せ……しわわせすぎぅ……」
「呂律回ってないですよ、ユキさん」
「だってこんなの……本当によかったの?」
「雑談配信でその内に話すかもですし、話しちゃいけなさそーな話はしてないので、大丈夫です」
「うぅ、凛々夏がファンサの鬼すぎるよ……リリ担で良かった……」
これこそ、私が望むエス=エスの裏話。こういうポジティブな方向に理解度を深められる機会を、オタクは常に望んでいるんだ。
こういった話は、それこそ配信などで語られる事も多い。けど、目の前に本人が居てっていうのは、なんといっても格別の喜びがある。
だって、ライブを見る凛々夏の楽しそうで、思い出を慈しむ様な表情が見られるんだもん。こんなの、オタクとしては泣いて喜ぶしかないよ。
凛々夏の言葉に耳を傾けつつ、凛々夏の横顔を見つめるなんて最高のデザートを堪能してると、テレビから目を離した彼女と目が合う。
「……わたしじゃなくて、ライブ見てくださいよよ」
「だって、凛々夏の横顔がさ……えへへ、素敵だなーって」
「うぁ……そう、じゃあ、わたしもユキさんを見ます」
その言葉通りに、凛々夏は私の顔を見つめ始めた。そうすると当然、私たちは見つめ合うことになるわけで。……は、恥ずかしい。
そういえば、凛々夏と一緒にいるのに、私は化粧なんかできてない。化粧っていうのは私にとっては心の鎧みたいなもので、それがない私は防御力ゼロなんだ。
そんな状況の私は、ちょっと見られたくないなって思ったり。今更かもだけど。
「あ、あのね? 私の顔なんて見ても、面白くないよ?」
「そんなことないです。でも……そう言うなら、黙って見つめ合って、先に目を逸らした方の負けで」
ふ、と笑った凛々夏がそんな事を言い出した。いかにも余裕そうな微笑みにも、私はまたどきどきしてしまうんだけど。
「いきなり、なにそのゲーム?! わざわざ面白要素を足さなくてもよくない?!」
「わたし、ゲーム好きですから。負けた方は勝った方のお願いを聞くってコトで、いいですよね?」
「急に負けられない戦いを始めるね?!」
「よーい、すたーと」
「始まった……!」
宣言通り、凛々夏は上目遣いで私を見つめてくる。きっと私には負けないと確信してる様な、自信に満ちた眼差しにこもる力は強い。それを見ると、彼女が可愛いだけじゃないカッコよさもあるアイドルなんだと、私は理解させられるんだ。……あっ。
……でも、すぐに降参するわけにはいかない。勝ち負けより、ゲーム好きな凛々夏に楽しんでもらう事こそが重要。私はその為にこそ、全力で彼女の目を見つめ続けるんだ。……あっ、上目遣い、効くっ。
そして凛々夏は見誤ってるよ。私は確かに、凛々夏のツンとしてパッチリした目に見つめられると、簡単に弱ってしまう自覚がある。けど、それでも凛々夏の事ならいくらだって見つめられる自信もある! あっ、あっ、ちぬっ。
凛々夏の上目遣い、やば、しゅき、脳みそとけりゅ、ちぬ、ちんじゃうっ。
「あへ……あへへ……」
「そうやって意識も飛ばしてたら、ゲームにならないんですけど?」
「だって、凛々夏の上目遣い、強すぎるよぉ」
「……逆にこれは強敵ですね、面白いです」
あー、凛々夏の顔を見てると、なんだかぽんやりしてくるー。
綺麗な目、ちょっと染まったほっぺ、きめ細やかで白い肌、小さくて柔そうな唇……ずっと見てられる。見つめられてる恥ずかしさと同じくらい、凛々夏から目を離すべきではないという使命感を感じる。……これ、勝てるかもしれない。凛々夏の方も、なんだかんだと照れてはいるみたいだし。
凛々夏はゲームにおいて手抜きを嫌うタイプなのを知ってる私としては、このまま勝ちを狙うしかないよね。
「……そろそろ、ギブアップしたくなってきたんじゃないですか?」
「あへへ、ぜんぜん、ずっと見てられるよぉ」
「……なるほど。ある意味でオーバーフローしてるワケですね」
「おーばーふろー?」
「気にしなくていいですよ、本気出すだけですから」
テレビから流れるライブの音から察するに、私たちはもう軽く一分以上見つめ合ってる筈。こう着状態はまだ続くのかなと思った時、本気を出すと言葉にした凛々夏が動いた。
あの動きだ。昨日ベッドの上で見せた、猫の様な四つ這いのポーズをとって、私との距離を詰めたんだ。……とはいっても、ソファなんてベッド以上に狭いんだから、もう凛々夏の小さな顔が、私のすぐ目の前にある。
……ちょ、ちょーっと、近すぎる、かな?
目を逸らさない様に気を付けつつ、身体をちょっと離す。
すかさず凛々夏は距離を詰めてくる。
もう殆ど倒れそうなほど、身体を離してみる。
凛々夏は私の身体に覆いかぶさる様に詰めてくる。
完全にソファの上へ寝転がる様な形で離れてみる。
凛々夏は私の身体にまたがって、私の逃げ場を完全に奪った。丁寧に、私の両足をソファにのっける手間をかけて。
「り、凛々夏? なんか、ず、ずるくない?」
「ずるくないですよ。ルールは“黙って見つめ合って”、“目を逸らした方が負け”だけですから」
「いや、いや! 流石にこれは、その!」
「むしろ、喋って気を逸らそうとするユキさんがルール違反です。……ペナルティ、ですね」
「ぺ、ペナルティ?! 凛々夏だって!」
「わたしがゲームマスターなので」
「りふじん凛々夏だ……!」
私のささやかな抗議の言葉は、今まさに藪蛇を突いてしまったみたい。
今の状況を端から見ると、ソファの上で私が凛々夏に押し倒されてる様な状況。……“
「こういうの、ユキさんには“特効”ですよね?」
——手から力を抜いて、身体を密着させて私に寄せてきた。それから、私の胸を枕にしてほっぺを乗せた凛々夏は、またじっと私を見やってくる。
「……ず、ずるだよぉ」
「言ったじゃないですか、ペナルティだって」
「でも、だってぇ」
「……落っこちたら怖いので、抱っこしてほしいです」
「……うん」
腕を凛々夏の腰に回して、支えてあげる。凛々夏がソファから落ちてしまう、なんて事があってはならないから。だけどそうすると、もう私はこの状況を受け入れざるを得なくなるわけで。
それからまた、無言の時間が始まる。けど、預けられた凛々夏の身体から伝わる何もかもに、私はまた心臓が壊れてしまいそうな程、胸を高鳴らせてしまう。
それに……なんだかこの体勢は、凛々夏が全身で甘えてくれてるみたいな、そんな雰囲気があって……彼女への愛おしさが溢れ出てしまうんだ。
……も、もう、目を逸らしちゃおっかな。凛々夏も楽しんでくれただろうし、もう十分だよね?
「……目、逸らさないでください」
私の内心を見抜いたように、凛々夏の澄んでいて、幼さを残した声が私に届く。
「……ど、どうして?」
「……見ていてくれるって言ったじゃないですか」
「でも今は、“ゲーム”、なんだよね?」
「そうですけど、でも、やっぱり」
「……やっぱり?」
そこで凛々夏は、少しだけ唇を尖らせて困った様な表情を浮かべる。この先の言葉を言うべきか迷ってる、そんな風にもとれる表情の後で、凛々夏は口を開いてくれた。
「……ユキさんが見ていてくれないのは、ちょっぴり、寂しいですから」
上目遣いで、鈴を転がすような声で、そんな甘える言葉を言われてしまったら——
「——わたしの、“勝ち”です」
……ハッとして、ぱちぱちと瞬きをした後に、胸の上に居る凛々夏を見ると、よく似合うドヤ顔を携えた彼女の顔が私の目に飛び込んできた。
「……ま、負けた……? いつ?」
「また意識失って、あっちを向いてましたよ、いひひ」
「あ、あんなこと言われちゃったらさぁ」
「わたしにだって、“諸刃の剣”ですから」
「そうなの?」
「そーなんです。……素直になるって、やっぱりちょっと恥ずかしいですね」
そんなこと言いつつも、凛々夏はどこか満足そうに、柔らかな微笑みを浮かべる。私は結局最後まで見つめ続けられなかったんだけど……でも、楽しんでもらえて、そしてこの笑顔を見れたなら、良かったのかな。
……でも、まだ凛々夏が私の上に乗ってるって事実に、二度目の失神を決めてしまいそうなんだけど?
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