第31話 「——食事中に死なないでください、ユキさんってば」

 いつも通りの我が家、いつも通りのリビング、いつも通りのソファにローテーブル。特にインテリアにこだわってるつもりもないけど、気持ちを落ち着けることが出来て、わりかし気に入ってる。


 そんな中で唯一いつも通りとは言えなくって、落ち着くことなんかできなくって、どんどん胸を高鳴らせてくれる人が、いま私と並んでソファに座ってる。


 さりげないつもりで、ちらりと隣を見てみると。



「……ん、なんですか、ユキさん」



 私のかけがえのない“推し”。


 ちょっと小柄で、黒髪のツインテがよく似合う、今日はワンピース姿の……凛々夏と、視線を重ねてしまった。


 さりげないつもりだったのに……へへ、なんかこういうの、照れるね。


 いま私たちは、テーブルの向こうのテレビでバラエティ番組を見つつ、凛々夏の持ってきてくれたお弁当を食べてる。


 テレビを見ながらご飯を食べるのは凛々夏の習慣らしく、なんとなく“どうして”と訊ねてみると、“やっぱりテレビ出演は憧れなので、時間がある時にチェックして、トレンドとか、どういうのがウケるのか勉強してるんです”なんて答えが返ってきた。


 よくよく考えてみなくても、凛々夏はアイドルと女子高生という二足の草鞋わらじを履いている女の子であって、その忙しさは同年代の多くの子たちとは比にならないはず。だからこそ、スキマ時間を大事にして、アイドルとして自分を高められるように努めているみたい。


 はー。本当に、そう言う努力家なところ、私は尊敬するし。



「ちゅき……カッコよすぎる……」


「急になんなんです、ユキさん?」



 ぽーっと、凛々夏の好きなところに想いを馳せていると、凛々夏から訝しむ様な眼差しを向けられてしまった。ダメだダメだ、惚けてる場合じゃないぞ、雪奈よ。



「あ、えっと、凛々夏と一緒にご飯食べられて、幸せだなぁって、えへへ」


「……なるほど。わたしも、嬉しいです」


「えへへへぇ。やっぱり誰かと食べるのって、いいよね」


「そうですね。夕飯を誰かとっていうのは、わたしも久々ですし。なんだか……うん、良いです」


「そっか、一人暮らしなんだよね、凛々夏って」


「配信とかで話した事ありますよね、そーです」



 凛々夏はアイドルとして活動する為に、都内に引っ越してきたというのは、リリ担オタクの間では常識。


 でも、そうだよね。年頃の女の子が親元を離れて一人生活っていうのは、少し寂しいよね。……多分。私の場合は親が親だったから、正直、難しい感覚なんだけど。


 その事について凛々夏に尋ねるのは、今はやめておいた方がいいかな。流石にプライベートを根掘り葉掘りっていうのは、弁えるべきだよね。



「何か言いたそうですね、ユキさん」


「えっ、えっと……うなぎっ! 美味しいねっ!」



 凛々夏が買ってきてくれたのは、まさかまさかの、うな重だった。あまじょっぱいタレのかかった、つやつやふわふわのうなぎ。見ただけで美味しいってわかるやつ。


 だから、とりあえずと話題に出してしまったんだけど、凛々夏からは疑いの眼差しを頂戴する事になってしまった。

 


「話題の逸らし方が雑です」


「うなぎが美味しいのは本当だよ! さすが凛々夏、いいセンスだ!」


「それは……土用の丑の日にはまだ早いですけど、気になっちゃって」


「うなぎなんていつ食べても良いからねっ」


「そう言ってもらえるなら良かったです。……ユキさん、好きなものはなんですか?」


「うん? 凛々夏だよ?」



 いまになってどうしたんだろうってくらいの、当たり前の答えだよね。多分、私の何もかも……“嫌いなもの”以外の全ては、凛々夏に帰結するんだから。好きなもの、凛々夏。尊敬する人、凛々夏。もし生まれ変わったら? 凛々夏のオタク。こんな感じ。


 だからノータイムで答えたんだけど、凛々夏から返ってきたのは、ちょっと呆れた様に細められたジト目。……あっ、そっか。好きなってことか?!


 おわー、恥ずかし。流石におばかすぎるか、これは。どうしよ、好きな食べ物……。


 改めて自分の好きな食べ物をって聞かれると結構悩まされるよね。だから私も少し困ってしまって、むむむと悩んでいると、凛々夏がくすりと笑い声を溢した。


 その声が気になって目をやると、少しだけ首を傾いだ凛々夏が、柔らかくて、でも、どうしてか微笑みを向けてきてくれていて。



「それって、わたしを食べたいってコトですか?」



 そういって、唇を舌で、小さく舐めて——



「——食事中に死なないでください、ユキさんってば」


「……ふぇ。なんか、すごい、えっちな凛々夏をみた様な気がする」


「……夢じゃないです?」


「そ、そうかな。そうかも。……あれ、なんか凛々夏、顔赤くない?」


「気のせいです。ユキさんのばか」


「なんで?!」



 なんでかはわからないけど、うなぎを前にしてわたしは一瞬意識を飛ばしてしまっていた。うなぎが美味しすぎたから? ……いや、ちがう。確か凛々夏が。



「ちょい。よけーなコト、考えないでください」


「でもなんか、思い出さなきゃ、勿体無いような……?」


「……そんな事ないですよ。ユキさんが望むなら」



 そう言って凛々夏は、箸と弁当箱をテーブルに置いて、私を黙ってじっと見つめてきた。……なに、何されちゃうの、お食事中に。


 う、うわわ。そんな見つめられちゃったら、ダメだよ。凛々夏の視線に晒されたわたしは、メデューサに睨めつけられた戦士みたいに固まっちゃうよう。……いや、戦士っていうほど私は勇猛果敢じゃないし、メデューサに見つめられたってこう、顔が熱くなるわけじゃないか。


 ご、ご飯を食べてるからかなぁ。食事中って代謝が良くなるから、汗かいちゃったりするもんね。だから私の顔が熱いのは、そんな変な事じゃないよね? へへ、へへへ?


 その顔の熱さも、凛々夏に見つめられてるって状態も恥ずかしくって、縮こまって小人みたいになってしまった私を見て、ようやく凛々夏が言葉を続けてくれる。

 


「……ユキさんのお願いなら……わたし、なんだって聞いちゃうかも、ですから」


「……へ?」


「昨日だけで何もかもを清算できたつもりもないですし、それに……まぁ、そういうコトです」



 ……そそ、そういう事って、どういう事? 今そんな事を言うって事は、私が失くした記憶に関係してるって事? ……なんかこういうとカッコいいかもだけど、凛々夏の可愛さに意識を失うのはいつもの事だし……うん?


 いやでも、なんだって聞いてくれるっていっても、そんな、そんな事は出来ないよ。



「おそれ多い……むりぃ……むしろ私に命令して……」


「ちょっと欲望漏れてますよ。……なにか試しに、言ってみたらどうですか?」


「おためしなんて、そんな! そんな風に凛々夏にお願いなんて出来ないよっ!」


「いいですから。本当に“聞くだけ”って可能性も、あるかもしれませんよ?」


「それは……いじわる凛々夏だねぇ。そんな事されちゃったら、私はもう、えへへ」


「どこに悦んでるんですか」



 確かに聞いてもらうだけなら、あくまでおしゃべりの範疇に収められるかもしれない。“宝くじが当たったら何がしたい?”みたいな、話題の種の一環として。


 そう考えると凛々夏にしてほしい事はある。一先ずお茶で喉を潤してから、改めて凛々夏に視線を向けて。



「じゃあ、凛々夏」


「はい、なんですか、ユキさん」


T?」


「それはイヤです」



 ……それきり凛々夏はまた、箸を手に取ってご飯を食べ始めてしまった。これも確かに“いじわる凛々夏”だけど……だけどさ……!



「なんでぇ?! 聞いてくれるって言ったじゃん!!」


「聞きましたよ。でもイヤです」


「なんでなんで?! 凛々夏が残していってくれた、サイン入りTシャツなんだよぉ?!」


「サインなら別のにしてあげますから。あれは回収します。推しの言うことはー?」


「ぜったーい!」


「よし」


「……だけど、だけどここは……譲れない……!」


「まさか、コーレスを乗り越えてきた……?!」



 そう、凛々夏が残していってくれたあのサイン入りTシャツを巡り、再び訪れた私たちの奇跡のひとときは、のような形で幕を開けていたのだった。


 ほんと、なんでぇ……?——

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