第30話 「……ゅ……ユキさんだ、いひひ」 ※凛々夏視点

 ユキさんの家から最寄りの駅を降りると、すっかり空は夜を示す濃紺に染まりつつあった。どうしてそんなに時間がかかったのかといえば、肩にかけたボストンバッグが理由を教えてくれる。ちょっと大荷物過ぎたかもしれない。……しょーじき、浮かれてた、かも。



「……おねがい、地図アプリを開いて」



 スマホを取り出し、昼の履歴を確認する。昼頃に家を出た時にはこんなことになるって思ってなかったわけだけど、駅までの道をアプリで確認していてよかった。その道を逆に行けば、ユキさんの家に着くわけだから。


 さて……と思ったタイミングで運悪く、これから渡ろうと思ってた駅前の横断歩道が赤になってしまった。


 そわそわする。早くユキさんのところに行きたい。行って……少しだけ素直なわたしを、ユキさんに見てもらいたい。出来れば、ハグとか、またしてもらいたい。それはユキさん次第でもあるのかな。


 ユキさんとのハグは、それはもう強烈だった。目に見えてユキさんは興奮……というより、緊張していたから身体があったかくって、わたしはその熱で溶けてしまいそうだった。


 誓ってわたしは、ユキさんの身体目当てなんてことはない。ユキさんの素敵なところは沢山あって、あくまでその中にあの柔らかくてメリハリのはっきりした体つきが含まれてるだけのこと。


 ……いや、ゴマかしきれてないか。わたしの身体を預けたユキさんは、やっぱりどこに触れても柔らかかった。わたしを丸ごと飲んでしまいそうな胸も、沈み込んでしまいそうな太ももも。正直に言おう。電車の中で触れていたお尻だって、それはもう柔らかかった。


 だから電車でユキさんに手を掴まれた時は、この世の終わりだと思った。もうユキさんに触れられないと思うと絶望したし……なにより、もうユキさんにとってのアイドル推しでいられないと思ったから。償いを果たしたら、消えてしまおうと考えていた。


 ……でも、ユキさんはそんなわたしを、許してくれた。


 ユキさんの優しさが嬉しくって、浅はかな自分が恨めしくって。あの時の事を思い出すと、一晩経った今でも泣きそうになる。でも、全部わたしのせいなんだから泣くわけにもいかなくって……ユキさんに迷惑、かけちゃったな。


 そんな気持ちの中で与えられたハグは、優しいユキさんの温もりも、柔らかさも、気持ちも、ユキさんの全てが伝わってくるみたいで、ほんっとーに、幸せだった。



「……よしっ」



 信号が青に変わったら、わたしはすかさず右左を確認する。万が一わたしに何かあったら、何よりユキさんを悲しませてしまう。かもしれないじゃなくって、きっとユキさんは悲しんでくれる。だからこそ、冷静に周囲を見て……問題なしとわかったら、足早に信号を渡る。


 アプリをまた確認して……よし、この道の先に、大好きなユキさんの家があるんだ。


 “大好き”。そう、心で何度も思ってしまうほどに、わたしはユキさんのコトが大好き。どうしてなんだろって何度も考えてしまうくらい。


 何度も考えるのは、わたしがユキさんのコトを好きな理由を探してるとか、ましてや好きって感情がわからないからなんて、わたしの年頃にありそうな悩みからじゃない。


 それを考えると、幸せなんだ。


 出逢いこそは明確だけど、いつからわたしがユキさんに心惹かれる様になったのかはわからない。最初は確かに“素敵な人だな、いいなぁ”くらいに見ていたはずなのに、気づけばわたしはユキさんのことで頭がいっぱい。こんなのはわたしリリっぽくなさすぎて、表に出すことはできそうにない。


 そんなわたしがこうなったのは、ユキさんのせいだと思う。ユキさんが現場に来てくれて、わたしをきらきらの眼差しで見つめて、一生懸命にペンライトを振ってくれて、声をあげて。そうやって一年くらい、全力でわたしに愛を伝えてくれるんだ。アイドルでありなわたしは、その大きな愛情にすっかり溺れちゃったんだ。


 まずなんと言っても優しい。例えば、わたしがライブでミスっても、ユキさんはそこに触れないで他の良いところだけを抜き出して、わたしをいっぱい褒めてくれる。わたしがなのをわかって、ユキさんは褒める事を選んでくれるのかもしれない。好き。


 それからシンプルに可愛い。ユキさんはそんなにって言うけど、アイドルの様なタイプではないだけで、あの優しげな丸い眼を備えた顔立ちは、十分以上に美人だとわたしの眼から見て思う。他の人から見てどうとかは、知らないし、どーでもいい。むしろ、わたし以外ユキさんの良さに気づいて欲しくないまである。


 多分……、ユキさんは自尊心が弱くて、ポテンシャルを活かしきれてないんだと思う。けどわたしは好き。大好き。


 ピンクブラウンのミディアムボブはユキさんの雰囲気にぴったりあっていて、さらにおしゃれするのをわたしの為とか言っちゃうところも好き。それがどれだけ大胆な発言なのかわかってなさそうなのも好き。


 ふわふわとした声も好き。聞けば聞くほどに心安らぐ様な気がする。その声で好きとか愛してるとか言ってくれて、凛々夏と呼ばれたりしたら……最高過ぎた。もちろん好き。


 そういえば昨日、電車で会ってから、わたしと気づくまでの大人びた話し方も良かった。もちろんあの時は反省しきりだったけど、今思い出せばカッコよくて胸が高鳴るみたい。普段はああいう感じなのかな。ギャップだ、好き。


 身体についてはもうれない。けど、まぁ、好き。わたし以外の誰にも触らせたくない。あの柔らかさはわたしだけが知っていればいいと思う。


 それから、わたしと話す時には一生懸命言葉を選んで、それでいて全力で伝えてくれる所が好き。素敵すぎる言葉をくれるときは、本人的に恥ずかしいのかほっぺが染まっちゃうのも好き。


 じーっと目を合わせるとしなしなと弱っていって、最後には顔が赤くなってくのも好き。


 たまに自分の事を指しておねーさんとかいう割に、そう思えないくらい“よわよわ”なところが大好き。


 イジワルしたいわけじゃないけど、ユキさんが眉をハの字にしてるのは心くすぐられて、大好き。


 そしてなにより……わたしに向けてくれる、あの笑顔が大好きなんだ。


 想えば想うほど、ユキさんの好きなところが溢れてくる。


 好き、大好き。そうやって心の中で唱える度に私の足は早くなって、今はもう走ってしまってる。どんどんわたしの身体も心も軽くなって、本当に羽が生えてるみたい。


 素直になるってやっぱり、いいね。


 今のわたしなら、空だって飛んでしまえそう!——



「ここ、ですよね」



 ——そうしてすっかり日が沈んだ頃、私はあっという間にユキさんの住む女性専用マンションにたどり着いてしまった。


 エントランスに入って、インターホンの前に立って、そして……そこで、わたしは止まってしまった。


 もしユキさんが居なかったら。居たとして、迷惑がられてしまったりしたら? ユキさんはそんな事しないって信じてるのに、素直さでいっぱいなわたしの奥底に潜んでる臆病さが、耳元でささやいてくる。


 ……深呼吸をして、数を数えて。


 ユキさんはわたしの事を“全て”だと言ってくれた。その中にどんな言葉が詰まってるのかわからない。けど、その中にもし、“勇気”も含まれているのだとしたら。それは、わたしが勇気を持っていると思ってもいいんじゃないかな。


 なんて、馬鹿げてる。妄想じみた空論だと、わたしも思う。でも今だけはその勇気を、そしてその言葉をくれるユキさんを信じてみよう。


 ああ、それに何より。ユキさんはわたしの事を好きだって言ってくれる。


 そしてわたしも当然、ユキさんの事が大好き。直接伝えた事はまだない。けど、でも周りの子の話を聞く限り、最近はわざわざ付き合おうとか伝え合わないみたい。だから、これはこれで普通なんだと思う。


 つまりこれって、、だよね。


 ならなおのこと、わたしはきっとあるハズの勇気を振り絞ってしまえばいいだけなんだ。


 ……でも、こんな事なら連絡先を聞いておけば良かった。あっ、今からでもジーでDMを送るのは……いいやもう、“サプライズ”だ。


 推しに突撃自宅訪問されて、喜んでくれないオタクなんて居ないって、きっと!


 ユキさんの部屋は三階の角部屋、番号は覚えてる。震える右手でその番号を押して、最後にコールすれば、きっとユキさんからレスポンスが帰ってくるはず。だってわたしたちは、アイドルとオタクなんだから。


 それに何より、わたしたちはきっと。



「“両想い”、なんだから——」



 ——段取りも何もかもを忘れて、ただという事実に舞い上がって、気付けばわたしはユキさんの家の玄関前に立っていた。エレベーターもあったのに、降りてくる時間が待ち遠しくて、階段を一段飛ばしで駆け上がってしまった。おかげでレッスンと同じくらい、今のわたしは汗で濡れている。


 少しだけ手櫛で自慢のツインテを梳かしたら、こくりと一つ息を呑んで、再びインターホンを鳴らす。本当なら、もっとしっかり整えたかったけど、その時間すら——



「……ゅ……ユキさんだ、いひひ」



 ——早くないです?! もうちょっと扉が開くまで、インターバルがあると思ったんですけど?!


 扉を挟んでのやりとりを想像していたわたしに反して、扉はすぐさま開かれてしまった。こうなっちゃったら、あとは当たって砕けてみるしかない。



「……凛々夏」



 うあ、落ち着いたバージョンのユキさんの声だ。好きなやつ。


 素直になるとは決めてみたけど、いざこうしてみると、照れて照れて、まともに顔が見られない。まぁ、クールキャラのわたしとしては、言葉や表情より行動で示すのがイチバンでしょ。


 よし、ここはまず、わたしから。



「はい。えっと、レッスンも終わって……来ちゃいました」



 いいでしょ、このさりげなさ。ちょっと声に喜びが溢れちゃった気もするけど、わたしらしいクールさだと思う。


 この調子でもっと、もっと素直になるんだ。——



「——……それで、ユキさんはわたしが帰って寂しくなっちゃったから、泣いちゃってたと」


「ばい、ぞーでず。ばだじばだべなおねーざんなんでず。……ぐずっ……はらをぎりまず」



 切らないでくださいとぐずるユキさんを嗜める。最初は普通にやりとり出来てたと思ったら、こんな事になっちゃった。


 女の子座りで泣くユキさんから、どうにか聞き出せた理由をまとめると、どうやらわたしを見送ってくれたはいいものの、それが寂しくて泣いちゃってたらしい。


 ……ユキさんらしいちょっと子供っぽくて、それでいて、わたしの事を想ってくれてるんだって伝わる、そんな理由。


 言われてみると、確かに急な話だしと内心で冷や汗が出てしまう。けどそんなことより、泣いてしまう程にユキさんはわたしを想ってくれていたと考えてしまうと、正直顔が綻ぶのを止められない。


 ほんとに、ほんっとーに……!



「もう、ほんとに可愛いですね、ユキさんって」



 ……言った。言ってやった。


 見た、モモ。わたしは素直に、心からユキさんに、可愛いって伝えたよ。


 見た、マイ。こんなこと、マイには出来ないでしょ。わたしの勝ちだよ。


 素直になったわたしって、無敵なんだ。今ならほんと、なんだって出来る気がする。……ちょっと恥ずかしいのは、目を瞑るとして。


 そうしてると、ユキさんからいつものすきすきオーラが溢れてきた。こうなればようやく、いつも通りのわたしたち。


 お土産を渡して“わたしも”と伝えると、ユキさんはすぐ“もちろん”と返してくれる。この反応の良さも好き。


 ほんとなら隣を歩きたかったけど……ムリ。顔がにやけちゃって、クールキャラを保てない。だからつい、適当な理由をつけて立ち止まってしまった。


 ……でも、でも……素直になって、良いんだよね?


 素直になるなら、やりたいコトは決まってる。わたしは今すぐユキさんに抱きついて、ユキさんの暖かさを感じたい。ユキさんにもわたしを感じてほしい。


 だから声をかけて、振り返ったユキさんに——



「ただいまですっ、いひひっ!」



 ——抱きついちゃったり、するんだ。










——————————————


凛々夏に好き好き言わせてたら投稿が遅れてしまいました……本当に申し訳ありません……!


次話からは再び、雪奈視点に戻ります。今後もお付き合いいただけますよう、お願い申し上げます。

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