第29話 “こ、小仁熊雪奈と申します!” ※凛々夏視点

 ユキさんと初めて出逢ったのは、奇跡的にもファーストライブの時だったっけ。……あれを逢ったって言っていいのかはわからないけど、とにかくわたしたちは、その時初めてお互いの事をそれぞれの世界の内側に招き入れたんだと思う。


 ホームで行った、エス=エスを結成して初めてのライブ。衣装に身を包んだわたしは当然のコト緊張していて、もうすぐそこに迫った出番に少しだけ怯えていた。


人前に立つ事も、ステージに立つ事も、それ自体は初めてじゃなかった。けど、自分リリの名前が含まれたグループとしてオタクの前に立つって事が、あれほどのプレッシャーになるなんて、あの時のわたしはわかっていなかった。


 そうしてマイとモモに手を引かれる様にして、上手から飛び出したステージに立って。オタクたちが光らせてくれたペンライトの、その色とりどりな煌びやかさに私はまた緊張を強くした。


 “この期待に応えなきゃ”。そう、思ったんだ。……もしかしたらモモは、この頃からわたしの性格を見抜いて、よく見ていてくれたのかもしれない。


 そうやって立ったステージの上っていうのは、箱によって50センチもないくらいの高低差しかなくっても、いろんなものがよく見える。


 わたしたちを照らし出す照明の数々。何度も練習した曲を流すスピーカー。ライブが上手くいくかどうか、固唾を飲んで見守ってくれるスタッフのみなさん。きっとわたしたちを心待ちにしてくれていたオタクたち。そして……一人、場違いにも思える装いと表情をした、ユキさんのことも。


 モモとシズねぇという、とびっきりのタレントがいるわたしたちエス=エスは、事務所の期待を背負って活動をスタートしたわけだけど、ファーストライブは満員にはならなかった。予約には空きがあって、わずかだけど当日券をわたしたちもギリギリまで手売りしたりした。


 そうやって当日券を入手して、アイドル界隈っていう非日常な空間に紛れ込んだのがきっと……ユキさんだった。むしろ、今となっては連日満員になっている事を考えると、ユキさんが来られたのはあの日を除いて他になかったんだと思う。


 あの日のユキさんは、今とは全然、まるで別人なんじゃないかってくらい違って見えた。既にライブTを入手したオタクたちが揃って着替えてくれている中で、一人だけいかにも仕事帰りなスーツ姿。コーレスの練習をしても戸惑うばかりで、反応らしい反応も出来てない。そもそもサイリウムすら持ってない。それで表情も……今はきらきらの眼差しを向けてくれる、わたしの大好きなまん丸の目は、ステージのから溢れた光を浴びてなお、照らし返す事をどこかへ忘れたみたいだった。


 だからこそ、気になった。60分という長くはない時間で、すでに目を輝かせてくれるオタクたちが沢山いる中、ユキさんの事をつい目で追ってしまった。……今にして思えば、初めてのライブなのに、とんでもなく私信を偏らせてしまったと思う。反省。


 そうやって緊張したアイドルと変なOLが二人、ライブはどんどん進んでいって……そしてそのうちに、ユキさんの目が変わった。あれだけ暗かった瞳にみるみる光が宿っていって、きらきら輝いて。そして、その顔を、花が咲くみたいに綻ばせてくれて……ユキさんはきっと、あの時オタクになってくれたんだと思う。他でもない……わたしリリの、オタクに。


 ……そう、ステージの上からは、それがよく見える。だからわたしは、ユキさんの変わっていくその表情に目を奪われていて……すっかり、緊張を忘れてしまっていた。


 当然、ライブは大成功という結果を残して終わってくれた。ユキさんを見ているうちに終わっていたのだから、ほんとに、あっという間の出来事だった。


 そして迎えたチェキ会も、ありがたいことに大盛況。ライブとは違う緊張感を感じては居たけど、ライブを終わらせたコトで不思議な自信が持てていたわたしは、落ち着いて周りを見た時に他のメンバーに比べると私の列が途切れがちなことに気づいた。……わかってた事だけど、やっぱりメンバーの中で、わたしの人気は劣るものがある。


 わかってた事だから、せめてわたしのブースに並んでくれたオタクには精一杯楽しんでいってもらおうと頑張って……そしてやっぱり、ユキさんは来てくれた。


 これに関して、ユキさんはと言わざるを得ない。なんて言ったって鍵閉め……その日最後にわたしが迎える、最後のオタクだったから。多分、右も左もわからない初めてのライブで、勝手もわからないまま物販に行って、そして初めてチェキ券を買って……そうしていたら最後になってしまったんだろうね。


 スタッフの案内に従ってやってきたユキさんは、側から見て分かり易いほどに緊張した面持ちでわたしと面と向き合って。



“こ、小仁熊雪奈と申します!”



 なんて、謎の名乗りをあげて。



“あの! ……えっと……ライブ! す、凄かったです! 私、あなたの事が、大好きでしゅ!!”



 なんて、告白みたいな、そんな言葉を私にぶつけてきてくれた。……全力で目を輝かせながら、ほっぺを赤く染めながら、噛みながら。


 それを聞かされたわたしはもう、ぽかんとするしかなかった。


 だってまず、その目をきらきらさせるようになったユキさんは、仕事終わりでちょっと草臥くたびれた風に見えても可愛らしい人。しかも流石にステージからは見えてなかった、スーツの下に収まってる身体のスタイルは、正直同業芸能職を疑う程の起伏があって。そんな風に、発育に伸び悩むわたしから見ると、目を見張る程に素敵な人が現れたんだ。


 そんな人が、全身全霊で、わたしに愛を伝えてきてくれて……そんなの嬉しくないわけがない。喜ばないわけがない。


 だからその時撮ったチェキは、まぁ酷いものだったと思う。照れて、らしい笑顔なんて出来なかったわたしと、がっちがちに緊張したユキさんが、噛み合わないハートとサムズアップを合わせた一枚。


撮ってからそのことに気付く程度にわたしも照れてしまってたんだ。その写真はきっと今も、ユキさんが持っていてくれる。……うあ、今からでも回収できないかな。


 どうしてユキさんが、その時のチェキを持っていていてくれてるってわかるのかって。……あの時撮ったチェキを、まるで本物の宝物を見るかの様に眺めていたユキさんの表情を見れば、わたしはそう信じたくなるから。


 そしてあの、柔らかく笑ってくれたユキさんを見た時、わたしは——



「お待たせいたしました! 梅二人前でお待ちのお客様ぁっ」


「……は、はい」



 ——レッスンが終わって、空が茜色を帯び始めた今。レッスンウェアからいつものワンピースに着替えたわたしは、スタジオの近くにあったこのお店に足を運んでいた。


 ひとりごはんが苦にならないタイプのわたしでも、ちょっと尻込みするくらい趣ある佇まいのお店。


 素直になるって決めたわたしは、その為の理由を用意しようと考えた。


 今日、わたしはこれからユキさんの家に行く。それにあたり、理由を作った方がわたしとしても自然だし、ユキさんとしても受け入れ易いと思うから。



「お持ち帰りのお時間はよろしいですね?」


「はい、1時間……ちょっとくらいなので」



 ぽーっと思い出を振り返っていたところ、促されてお会計に向かうと、わたしの食費何日分に当たるかわからない程度の金額が提示される。でも、これでユキさんとまた……“ひととき”を過ごす事ができると思えば、安すぎるくらい。


 これだけじゃまだ足りないと思って、理由になりそうなものは既にもう一つ用意している。そこに……わたしとユキさんの、昨日を経た関係性が加われば、きっと上手くいくハズ。


 会計を済ませて、一応領収書をもらって、店員さんが丁寧に渡してくれたそれを手に取って。



「すみません。急な予約だったのに、対応してくださって」


「いえいえ! ティアプロさんには良くしていただいていますから。アイドルなんですよね、応援してます!」


「あ、ありがとうございますっ」



 そうやって、お世辞とはわかっていても向けられた応援の言葉にドギマギしながらお店を出る。どんな機会で、誰からであっても、ああいう言葉を向けてくれるのは嬉しい。けど……やっぱり、一番わたしが嬉しくなってしまうのは、ユキさんから向けられる屈託のない言葉だなって、思ってしまう。


 だってそう、あの時大切そうにチェキを手にしてくれたユキさんの、あの表情を見た時。その時わたしは……そう、って気付けたんだ。


 緊張して、ちょっと凹んだりして、それでもステージに立って。そんなわたしをみて、きらきらな視線と、心からの言葉を向けてくれたユキさん。そんなユキさんを見てわたしは、アイドルになれたんだ。



“——どうか、これだけは忘れないで。凛々夏は今でも誰かを夢中にしてしまうくらい……最高に素敵な、アイドルなんだってこと”



 ……忘れない、忘れられるハズがないですよ。


 だって、わたしをアイドルにしてくれたのは……他の誰でもない、わたしの大好きな、ユキさんなんですから。


 大好きな人が贈ってくれた降り注ぐ夕日の様に暖かな言葉。


 大好きな人が側で見守ってくれるアイドルのわたし。


 そしてわたしが抱く、ユキさんへの恋心。


 わたしは絶対に、それを忘れたりなんかしない。


 ……見上げれば茜色の空は遠く、今も誰かが歩く道の先まで広がってる。まだまだ、今日という時間はたっぷりありそう。


 とりあえず駅まで急いで、それから家に帰って荷物を用意したら、また家を出て……急がなきゃ、手にしたこれが冷めきっちゃう。段取りは今から決めておこう。


 わたしは、素直になるって決めた。だから今は、この一歩を踏み出すんだ。

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