第24話 “りりちのダンスはー!”

 テレビから流れ出る彼女たちの歌声が、グレーのソファに沈む私の耳に届けられる。


 仰向けに身体を横たえる私の、その視界の端に映っているのは去年のクリスマスライブの映像。ホームより大きな箱で行われた単独ライブで、クリスマスらしいベルの音色を取り入れた曲とともに、可愛いサンタ風衣装の初お披露目となった一夜。これももう、何回見たかわからない。


 彼女はその衣装でもやっぱり得意のダンスを披露して、その美しさにオタクたちは息を呑んだりした。


 今流れてるのは、エス=エスのデビュー曲であり代表曲の“キミとワタシのコウキョウキョク”。アップテンポで正統派なアイドルミュージックで、エス=エスにおいてカワイイ担当のモモ先輩、まいまい、そして……りりちがメインボーカルの曲。 


 当時はモモ先輩のロリ甘な歌声に、脳破壊されるオタクが大量発生したっけな。私はもちろん、りりちが担当する歌詞の部分で興奮したけど。りりちに“好き”って言ってもらえるんだよ? 鼻血出るかと思った。……嘘です。初めてMV見た時にりりちの照れ顔でちょっと出ました。



“りりちのダンスはー!”


「ぎんがいちーっ。……ぐすっ」



 タイミングに合わせて、力の入らない左腕を投げ出す様に振り上げる。青色に光らせたペンライトを勢いのままほうり投げてしまわなかったのは、もうそういう風に調教されてるとしか言いようがないくらい、握力は損なわれてるんだけど。


 ——結局、流れ出る涙と張り裂けそうな胸の痛みにどうしようもなくなった私は、ベッドで横になっても寝付くことなんて出来なくって。


 もうこうなったらと、ふらふらな身体を引き摺ってリビングへとたどり着き、そうしてエス=エスの映像を見漁ることにした。


 私はどこまでいってもオタクで、りりちを……凛々夏の事を応援し続けると決めたんだ。だからオタクであり続ける為に、たとえ彼女の姿を、彼女の声をテレビ越しに与えられて、また涙をこぼしてしまってもエス=エスから……凛々夏から逃げない様にしなきゃなって、そう思ったんだ。


 おかげさまで目元はぐずぐず、鼻はティッシュで擦れてちょっと痛い。こんなの本当に、凛々夏には見せられないや。——


 左手にペンライト、右手にはスマホ、そしてお腹の上に、凛々夏が残していってくれたTシャツをのっけて、私はソファに沈み込む。


 Tシャツは……結局、手元から離すことなんて出来なかった。洗ってしまっては凛々夏のサインが崩れちゃうかもしれないし……言い訳だね。単純に私は、凛々夏の面影を残すそれに、まだ縋っていたかったんだ。


 ……それでも立ち直る為に寝る事を私は諦めたわけじゃなくって、いつものルーティンをしてみたらどうかなって、スマホをいじってみたりする。


 開いたのは、エス=エスを含む界隈の非公式掲示板。私の知らない情報があれば、やっぱりこういうところが早かったりするし。


 もしかしたら私と同じ……について、誰かが書き込んでたりしないかな、なんて思って画面をスクロールしてみたけど……まぁ、あるわけないよね。


 特殊すぎるって、私みたいな状況は。諦めにも近い心境で、スマホをぽとっとテーブルの上に置く。



「……シャワー、浴びよ」



 最後にスマホの画面に映った時刻は、もう夕方を過ぎた頃を示していた。動けなくって、カーテンを閉められなかった窓の向こうには、橙と濃紺が入り混じった空が広がってる。


 食欲なんて微塵もわかない現状、せめてシャワーくらい浴びなきゃ、文化的な人間らしい生活を送れてるとは言えなくなっちゃう。そんなのは、オタクとしては恥じる事です。


 だから、ヘニョヘニョの身体よ動けーと念じて、身体を起こした……瞬間。


 インターホンの音が、部屋に響いたんだ。


 ……なんだろ。なにかの勧誘とかが来るには微妙に遅い時間だし、通販とかは頼んでた記憶もない、よね。とりあえず、モニタを見て確認してみればいっか。


 再びのゾンビムーブでインターホンの室内モニタに近づいて、確認のボタンをポチり。そうすれば——



「……へ?」



 ——居ても立ってもいられなくって、私はそわそわと玄関でその時を待つ。


 ……前にオタ友と話したことがあったっけ。


 “どうしてオタクは、アイドルに惹かれてしまうんだろうか”、なんて、微妙に難しい哲学的なことを。話を振ってくれたその人は“オタクはそういう生き物なんだよ”とシンプルかつ暴論で話をまとめていたっけ。


 私もそれには賛成だけど、ちょっとだけ、違う考え方も持っていたりする。


 私が思うにアイドルっていうのはきっと、私たちオタクたちの下へとやってきては、綺麗で素敵で夢のような世界へ、使のような存在なんだ。


 たとえ灰色の世界に生きていたとしても、彼女たちが歌って、踊って、笑顔を見せてくれるだけで、オタクの世界は色付いていく。そういう、かけがえのない存在なんだ。


 そんな存在を目にしたならば、きっと誰しも心惹かれずにはいられない。だからオタクたちもやっぱり、アイドルに惹かれるんだ。


 今日だって、ほら。


 ……また、インターホンの音が聞こえた。


 本当なら誰が来たのかを確認した方が私みたいな女性にとっていいのはわかってる。けどもう、その時間すら私には惜しいよ。


 それになにより、きっと彼女がそこにいるって、私は信じてるから。


 だから迷わず、扉を開いて——



「……ユキさんだ、いひひ」



 ——濃紺の空と、街並みの光を背景に。


 学生服とパーカーじゃない。私もジーで見たことがある、可愛らしいアイボリーのワンピースを身に纏って。


 どうしてか額に汗をかいて、細い髪を赤いほっぺに貼り付け、少しだけはにかんで笑う——



「……凛々夏」



 ——私の大好きな人が、玄関の向こうに立っていた。

 


「はい。えっと、レッスンも終わって……来ちゃいました」



 凛々夏は恥ずかしそうにもじもじと手を後ろに組んで、視線を足下に落としながら、それでいて嬉しそうに微笑んでる。なんだか……この時を楽しみにしていたような、そんな雰囲気で。



「そ、そっかぁ……おつかれさま、凛々夏」


「いひ、おつかれです。いっぱい頑張ってきました。それで……これを、まずは」



 そう言いながら、後ろに隠れていたビニール袋を差し出してくれる。……あれ。よく見ると、背負ってるのはリュックじゃなくて、結構大きめの黒いボストンバックだ。


フリフリのワンピース姿が可愛すぎて、目に入ってなかったや。なにせ凛々夏のワンピース姿は太陽くらいの引力があるからね。一つの銀河を形成してあまりあるパワーだよ。



「えっ、あ、うん」


「スタジオの近くに、美味しいって噂のお店があったんです。それでよかったら……って、ユキさん?!」


「へぁ?」



 驚く凛々夏に驚き返してしまって、なんともまた間抜けになっちゃったんだけど、何をそんなに……あっ。そ、そういえば。

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