第22話 「パンケーキ、美味しかったです」
「……これから先、凛々夏はきっと、もっと素敵な人になる」
もう大人になってしまった私と違って、凛々夏には眩い未来が待っている。誰にも邪魔されるべきではない無限の世界が、彼女の前には広がってる。
「その時は、背が伸びて大きくなってるかもしれないし、小さくなっちゃうかもしれない。太ったり、もっと痩せちゃうかもしれない」
これは、そんな彼女に捧げて、そしていつか忘れられてしまうかもしれない言葉。でも、私なんて忘れてしまうくらい幸せになってくれたなら、そっちの方がずっと良い。
「もしかしたら鳥とか、猫とかになっちゃったりするかも。……それは言い過ぎか」
凛々夏の生きる世界にはきっとそれくらいの可能性が眠ってるはず。
そんな彼女を見続けて、私の過去を振り返って、決めた事。
「それでね、それで……凛々夏がどんな姿になっても、私は大好きだよ。愛してるよ。そして……今と何も変わらなくったってずっと、ずっと追いかけ続けるから」
凛々夏だけが、私にとって最高のアイドルなんだから。……改まって決意することでもなかったかもしれない。
あぁでも、私の言葉なんて忘れていいとは思うんだけど。
「どうか、これだけは忘れないで。凛々夏は今でも誰かを夢中にしてしまうくらい……最高に素敵な、
これが凛々夏へ捧げる言葉。
そして……大人になってしまう前の私が、誰かに言って欲しかった言葉。
ありのままのあなたの、その身もその心も、全てが素敵なんだよ。
そんな素朴で、当たり前の様にすら感じられるありきたりな言葉を、過去の私はずっと望んでいて、結局与えられることはなかった。
そして私は凛々夏に出逢うまで、溺れてしまいそうなほど息苦しくて、どこにいけば良いのかもわからないほど先の見えない、灰色の世界で生きることになった。
けど、凛々夏は違う。私と違う彼女はそんな世界に生きる必要はない。素敵なまま、望む未来を手にしても良いはずなんだ。自分には足りないものがあるだなんて悩んで、苦しむ必要なんかないはずなんだ。
だから私はこの言葉を伝えて、少しでも凛々夏が明るい未来を手にできる様にって、ほんのちょっとでいいから背中を押してあげたかった。もう過去になってしまったあの日の私と同じ世界から、遠ざけたかったんだ。
……私の言葉の後、凛々夏は温かく微笑んで私を見つめ返してくれた。それから静かになにかを噛み締める様に優しく目を閉じて……次にまた瞳を私に向けてくれた時、なんだか凛々夏はちょっぴり呆れた様な表情を浮かべていた。……な、なんで?!
「な、何かご不満がおありでしたでしょうか……」
「不満なんかあるわけないじゃないですか。でもほんと、どうしてユキさんはそんなに……」
「そんなに、なにかなぁ……?」
「……むー……あざといのかなって」
「あざといぃ?! この話の流れでそんなこと言われるの?!」
「ほんと、年上の大人って思えないくらい……むむ……ズルいです」
「へぁ……じゃあもう、今のは忘れてよぉ。自分でもちょっと重たいかなーとか、思わないでもないしぃ」
「イヤです、絶対に忘れません。……忘れられるわけ、ないですよ」
そう言って凛々夏は、膝の上にあった私の手をとって、大切なものを扱うみたいに優しく両手で包んでくれた。
その仕草に、その手を見つめる優しい表情に、また私のよわよわな心臓がどきりと高鳴ってしまう。私って本当に凛々夏に弱いんだなぁ。何しても簡単にやられちゃう。
そして、やにわに微笑んだ凛々夏の眼差しと、私の視線が交わって——
「“シンクロニシティ=シンフォニーの青色担当、リリ”」
——彼女が謳ったのは、他でもない“リリ”の自己紹介。
「“あなたの為に踊ります。だから絶対、見逃さないでくださいね”」
私は知ってる。これはファーストアニバーサリーの時、彼女が使ったアイドルコール。
誰よりも綺麗に踊る彼女から、“あなたの為に”だなんて言われて、心奪われないオタクはいない。
そして、この言葉が届いたのなら、次に何が来るかも知ってるんだ。
それはリリにしか出来ない、最高のパフォーマンス。
ぴかぴかと光る様に自信たっぷりで。
白い歯を見せつける様に、それでいて少しだけはにかむ様に。
私の心を掴んで離さない、彼女だけの——
「いひひっ」
——“りりちスマイル”。
……そっか。これが私の
その笑顔がすごく嬉しい。嬉しいのに……どうしてか涙が出てしまいそうになるのは、寂しいから。だって、その笑顔が示すのは、私の役目の終わりだから。でも泣かない。泣くところじゃない。
あとは、そっと彼女の背中を押して、送り出してあげるだけ。くっと目を瞑って、込み上げるそれをどこかへ押し込めたなら。
「……ずっと、応援してるから。絶対見逃したりなんかしないからね、凛々夏っ!」
「はい。ずっとずっと……私だけを見ていてくださいね、ユキさん」
「当たり前だよ、私は凛々夏の担当オタクなんだからね!」
「……いまさら推し変とかしたら、大変なことになりますからね、色々と」
「お、脅さないでよぉ」
ソファの上で二人、笑顔と言葉を交わし合う。そうすれば、いつも通りの私たち。
「……よし、朝ごはんにしよっか! パンケーキなどはいかがでしょうか、凛々夏さん?」
「ほうほう、わたしがパンケーキ好きだと知ってるハズですけど、挑戦的ですね。自信の程は?」
「それはもう! 推しの好きなものを作れる様になるのは、オタクの基礎的な嗜みだからね!」
「そんな基礎は知らないです、いひひ。じゃあわたしも——」
——二人並んでパンケーキを作って。
食べた後はお茶を淹れておしゃべりをして。
凛々夏の仕草や言葉に私は慌てたり、やっぱりどきどきしたりして。
そうして、穏やかで楽しい時間はあっという間に過ぎ去って——
「——すみません、ユキさん。後片付けもちゃんと出来なくって」
昨日出会った時の制服姿に戻って、支度を済ませた凛々夏は玄関でローファーを履きながら、そう申し訳なさそうに話してくれる。やっぱり凛々夏は、責任感強めというか義理堅いというか。私にはそういう所がカッコ良く見えてしまう。
しかし、どうして凛々夏のツインテにはこんな魅力があるんだろうか。もしかしたらツインテの神様が、不思議なパワーを凛々夏に授けているのかもしれない。ツインテの神様なんているのか知らないけど、日本には800万の神様がいるらしいし、そんな神様もいるんじゃないかな。
さてさて、申し訳なさそうな凛々夏には、そんな事ないよと応えるのが私である。
「気にしないで! むしろ洗い物とか手伝ってもらっちゃって申し訳ないくらいだよ」
「手伝ったって言っても、ユキさんが洗ったのを拭いたぐらいですし。全部任せてくださいって言ったのに」
「凛々夏の手が洗剤で荒れたりしたら、私は舌を噛んで死ぬよ」
「どんな脅しなんですか、それ。……いひひ」
本調子に戻ってくれた凛々夏は、こうして笑いかけてくれる様になった。微笑む程度なら昨日から見られていたけど、しっかりと笑える様になったのは、彼女の心境の変化の顕れだと思うんだ。
それにしてもこの、“いひひ笑い”……最高だよね。“うふ”とか“あは”じゃなくって、凛々夏にしか出来ない、素敵すぎる笑い方だと思う。大好き。
私が凛々夏に想いを馳せている間に、当の彼女は靴を履き終えたみたいで、リュックを手に立ち上がった。そしてかぶったキャップを弄りながら、何かを言いたそうな面持ちで私へちらちらと視線を送ってくる。
「パンケーキ、美味しかったです」
私もと立ち上がって、最初に聞こえてきたのはそんな言葉。凛々夏がきっと食べた事がある様なお店のものとは比較にもならないだろうけど、彼女はうんうんと頷きながら、美味しそうに私のお手製パンケーキを食べてくれた。
「それから、ユキさんのおかげでぐっすり休めました」
「……えへへ、それなら良かったよっ」
「ハグはちょっと恥ずかしかったけど、でも、良いものですね」
「えー? 私にはあれだけ言っておいて?」
「うるさいです。……祭壇も見せてくれてありがとうございました。見たコトないくらいステキで、嬉しかったです」
「凛々夏自身が素敵なんだもん。そのグッズで作ったなら、祭壇も綺麗に仕上がるよ」
「……始まり方には後悔が残りますけど、でも……ユキさんが“お願い”と言ってくれて、ほんとに良かったです」
その言葉は、二人の一夜を振り返るもの。それはまるで……このひとときを惜しんでいる様な、慈しむ様な、そんな色を滲ませている。
ああ、凛々夏も寂しいのかな。だったら少し……嬉しいな。だって、私が私なりに凛々夏へ尽くす事ができたって事なんだから。
そうだよね、“お別れ”は、寂しいよね。
でも、ずっとはこうしていられない。凛々夏はこれからまたアイドルとしてステージに立たなきゃいけないんだから。だから……この幕引きは私の手で。
「またきてね、凛々夏」
“いってらっしゃい”とか“ばいばい”じゃ、何かが違うと思った。だから、多くはないレパートリーの中で、私が選んだのは精一杯明るい“お別れの言葉”。
玄関で制服姿の凛々夏とまだTシャツ姿の私とで見つめあって。そして私の言葉を聞いた凛々夏が柔らかく顔を綻ばせて——
「はいっ。それじゃまた、です。ユキさんっ!」
——開けた扉の向こうには、何処までも青く、限りなく澄み渡った空が広がってる。
凛々夏は最後に、やっぱり素敵な笑顔を私に向けてくれて。
そうして、眩い陽の光を受けては一層輝く様にして、きっと彼女がいるべき世界へと駆け出していった。
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