第21話 「なのでわたしはえっちではありません。ユキさんだけです」



「……ごめんなさい、わたし……」



 一呼吸を置く為に私がコーヒーを飲み込んでいると、凛々夏から弱々しい声が聞こえてくる。目をやってみれば、彼女は顔を見るからに青ざめさせて、テーブルに置いたマグを握りしめていた。



「そんなユキさんに、ひ、酷いコト、しちゃって。そんなつもり、本当に、全然なかったのに」



 あぁ、違う。この話を始めたのは、凛々夏にそんな表情をして欲しいからじゃないんだってば!


 慌ててコーヒーを溢しそうになるけど、そんなことより早く彼女の勘違いを解かなきゃいけない。



「ち、違うんだよ! 凛々夏は確かに私に、その、触ったりしたけど」


「違わない、ですよね。ごめんなさい、わたし……わたし……」


「凛々夏に触ってもらえたのは! ……嬉しかったと言いますか……」



 うぅ、これを伝えなきゃこの話の齟齬そごは解けないと思うんだけど、伝えたら伝えたで別の問題を生みそうな気がする。でも言わなきゃ、ダメだよね。



凛々夏推しが、たとえ身体であっても私のことを良いって思ってくれたって考えたら、それは私にとって嬉しいことで」


「……嬉しいこと、ですか」


「うん。だって凛々夏は、私の大好きな人なんだからね!」



 推しに私信もらって喜ばないオタクとか居る? ……居るわけねーよなぁ!!


 だからこそ、こんな事を言ってみたりしたんだけど……解釈次第ではなんだか私、ヘンタイっぽいよね。“チカンされて喜んだ”なんて情報だけ抽出したら、立派なチジョだし。


 これで納得してくれなかったら、いよいよ奥の手的なモノを引っ張り出さなきゃいけなくなる。だからどうかと凛々夏の顔色を窺ってみると、彼女は顔の青さもそのままで、眉を寄せてまだ悩んでるみたい。……これは、ダメみたい、ですなぁ。



「私は、100人にされたイヤなことより、たった1人の大好きな人のことの方がずっとずっと大切で、心に響くんだなぁって……そんな風に思うよ」


「……でも、酷いコトしちゃったのは、事実ですし」


「だ、だからね、凛々夏にされたことだったら、全然大丈夫なんだってばっ。……それに」



 いよいよ奥の手だ。これなら少なくとも、凛々夏がこれ以上私の身体に触れた事に対する自責の念に駆られる事は無いと思う。私が受ける自爆ダメージは、もはや私自身測る事ができないくらい大きくなりそうだけど。瞬きの次の瞬間に、死んでるかもしんない。


 でも、よし……雪奈、言うんだな! 今! ここで!!



「それに……私だって凛々夏のこと、で見たことがないわけじゃなかったり、するし」



 ……ぁぁあああ! これはもう言い逃れできない、ヘンタイです! もう“ぽい”とかってレベルではなく、ヘンタイそのものです! みなさーん! ここにヘンタイがいますよー!!


 だってそうでしょ。目の前にいる人間からいきなり“あなたのことを性的な目で見てました”なんて言われたらどうって話だよ。言われた方は当然のこと困惑するし、言った方は肝が座ったヘンタイ以外の何者でもないって。


 私が言いたいことの本質はそんなヘンタイじみたことではなくて。凛々夏が私の身体に性的なことをしたなら、私だって凛々夏のことそういう目で見たりしたんだから“おあいこ”。そういう理論が私の奥の手。


 私自身そういう目で見られるのが嫌だったって話してるのに、自分はそういう目で見てるのかって言われちゃったら本当に何も言えない。でも私は思っていたとしてもそれを表にだしたりしないから。今話したのは凛々夏の罪悪感を薄れさせる為だけだから!


 これで引かれちゃったりしたら、私はいよいよ割腹ジャパニーズハラキリの準備を始めなきゃいけなかったんだけど。


 ……私の言葉を聞いた凛々夏は、大きな目をさらに大きく丸くして、それから“ぽんっ”って音が聞こえそうなほど急激に顔を赤くした後、そっぽを向いてしまった。流れた髪の隙間からちらりと覗いた耳の先まで赤いところを見るに、相当効いてくれたものと見受けられる。


 まぁ、私はその数倍顔面があっついけどね!


 そうして顔を赤くした女の子たち、その二人の間に流れるものは? そう、気まずい沈黙だね。


 ……は、早まったか? ハラキリの用意、しとくか? 死装束はどこにしまってたかな、レンタルとかあるかな……。



「……えっち」



 そんな風に内心で慌てる私に対して、立ち直りは凛々夏の方が早かったみたい。なんとも非難めいた言葉が聞こえて視線を戻すと、まだほっぺを染めたままでこちらを向き直った彼女と目があった。


凛々夏はまたソファの上で体育座りをして口許を隠しながら、ちょっと潤んだジト目を向けてきている。かわよ。本当に私の推しは、どんなポーズでも様になる。


 それはさておき。



「……凛々夏は違うの?」



 私だけがすけべ女だと思われるのは、ちょっと恥ずかしいというか、ずるい気がする。



「べつに、わたしがユキさんのコトを良いなって思うのは、カラダについてだけじゃないですし」


「それは、すごぉーく嬉しいけども」


「なのでわたしはえっちではありません。ユキさんだけです」


「私だってそうだよ。凛々夏のことを推してるのは、ビジュアルだけが理由じゃないよっ」


「どうですかね、たかがハグであんな風に恥ずかしがってたんですから。やっぱりユキさんはえっちです」


「むむ……凛々夏だって、私の胸に顔埋めて満足そうにしてたじゃんかぁ」


「な、そ、そんなことしてないですし。ユキさんがえっちなんです」


「凛々夏もえっちだよぉ」



 そうしてふい、とお互いに目を逸らして、またコーヒーを一口すする。……お、コーヒーくん、ちょっと甘くなってくれた?


 それにしても、なんて子供っぽいやりとり。二人ともがほっぺを赤くして、どちらがえっちかなんて言い合うとか……なんだか、さっきまでの気まずさが薄れていってる気がする。


 そうやってどことなく穏やかな空気が流れ始めたのを感じた時、お隣に座るアイドルさんから小さく吹き出した様な声が聞こえた。よかった、作戦は成功したみたい。ハラキリはまた今度にしとこう。



「朝からなんて話をしてるんですかね、わたしたち」


「そうだよ。こんな変な感じにするつもりで、わざわざどうでもいい私の昔話をしたわけじゃないんだよ?」


「どうでもよくはないんですけど、わたしとしては。……じゃあユキさんはどうして、そんな話を聞かせてくれたんですか?」


「……それはね」



 ここからが本当に、私の伝えたい話。……って言った方が正しいかもしれない。


 だから手にしたマグはいったんテーブルへと避難してもらって、隣に座る凛々夏へと身体を向ける。手は膝の上でぎゅっと握って。


 これはまさしく、私の全身全霊の言葉。これを凛々夏に伝えられたなら、私はもう何も望まないよ。



「そんな風に生きてきた私だけど。……だから、かな? とにかく、決めている事があるんだ」



 おばかで、いつもどこか抜けてしまってるわたしだけど、今だけはちゃんとした顔が出来たみたい。私の顔を見た凛々夏が座り直して、私と同じ様に向き直ってくれたから。


 いつ見たって、何度見たって、凛々夏は綺麗で可愛くて、素敵。艶々で滑らかな黒髪、曇りのない白い肌。ぱっちりした猫目に宿る宝石の様で大きな黒目。小さくてスッキリした鼻に、瑞々しくて柔らかそうな唇。


顔だけじゃなくて、小柄な身体のどこをとっても細くってしなやか。もちろん、その心まで綺麗なのは言うまでもなくって……多分、凛々夏こそ、私の理想そのものなんだと思う。


 あぁ本当に、大好きだなぁ。


 そんな彼女に見つめられると恥ずかしくて弾けちゃいそうだし、臆病な私は逃げ出したくなる。けど、今だけは逃げない。他の何から逃げたとしても、この瞬間だけは、絶対に。


 だって素敵な凛々夏が、私にまっすぐ視線を向けてくれているのだから。

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