第20話 「これはだね……自分の人生を振り返っていたから、的な」



「大丈夫ですか……?」


「だ……こほっ……大丈夫っ。ちょっと咽せただけだから」


「そんなに咽せるほどびっくりする要素ありました?」


「いやぁ、どうかなー? あは、あはは」



 私だってハグにあんな破壊力が込められてるとは思わなかったんだい。小仁熊雪奈換算で軽く1万人は殺傷しうる威力、それが凛々夏のハグだったんだ。


 密着した身体から伝わる柔らかさ。心ごと溶かしてしまいそうな温かさ。背筋を痺れさせる様な……うわ、だめだめ。思い出したらまた“ぞくぞく”しちゃいそう。朝から悶死してしまうってば。


 思い出しかけてしまった昨日の記憶をどうにか頭から追い出そうと頭を振ると、くすりと微笑む凛々夏と目があった。あぁ、また恥ずかしいところを見られちゃったよぉ。



「でも……ユキさんがそういう風にいてくれたから」



 コーヒーを飲みながら、凛々夏は穏やかな表情でそう呟いて、ほっと一つ息を吐いた。



「何だか安心しちゃって。おかげさまで昨日は、よく眠れました。……ほんとに、ありがとうございます」



 他の誰かが聞いたなら、なんて事なさそうに聞こえる朗らかな凛々夏の言葉。でもそれが持つ意味を知ってる私は、すごく嬉しくて、でも大したことはしてないのにっていう照れもあって、静かに頷いてマグに視線を逃してしまった。


 凛々夏は悩んでいた。アイドルとして欠けているなんて言うかの様な、誰かのふざけた言葉に一人悩んで、それによって生活に支障をきたし始めていた。その末に、眠れなくなっていたと私は昨日聞かされたばかり。


 そんな彼女から溢れたその言葉に、私はこれ以上なく嬉しくなってしまうんだ。


 ああ、オタクでよかった。凛々夏と過ごす時間を得られて本当に、本当によかった。



「こんなにすっきりした朝、ほんと久々です。ユキさんのほうは……」



 そういって凛々夏が、黒髪を揺らしながらこっちを見る様に視線を動かすを察したので、さりげなーく窓の外を見る様に顔を逸らす。正直、意味はあんまりないけど。



「隠さなくていいですよ、もうさっきガッツリ見ちゃったんで」


「うっ……これは、ねぇ?」


。ぜんぜん寝れなかったんですか。……私のせいだったりしますよね」


「違うよっ! 凛々夏のせいだなんて事はないよ!」



 私は、この世全てのネガティブな事柄に対して、凛々夏が原因だなんて紐づけられる事は一切存在しないと思ってる。当たり前のことだよね、推しだもん。


 昨日寝れなかったのは全部私のせいに過ぎず、凛々夏の寝顔が可愛すぎたとか、小さな寝息が愛おし過ぎたとか、至近距離故に感じた体温にドキドキし過ぎたとか、そういうことは私の睡眠不足に対して無関係なのだ。なのだったらなのだ。


 強いて言うなら、私の顔に勝手に浮かんできたクマが悪いんだ。人間って本当、こういう“要らないでしょ?”って思う様な機能が多過ぎるよね。にきびとか。



「じゃあどーしてそんなエグいクマが目の下にあるんですか? 正直に言ってくださいよ」


「これはだね……自分の人生を振り返っていたから、的な」


「なんで急にそんなことし始めてるんですか。ほんとのところは、どうなんです」


「本当だよぉ。……思い出して、いたんだ」



 昨夜は凛々夏が隣にいてくれる事が幸せすぎて、ベッドで死にそうになってしまった。推しを“朝起きたら隣でオタクが死んでいる”という猟奇事件の第一発見者にはさせないぞと、私が選んだのはシンプルな解決法。


 幸せとバランスをとる様に少しだけ、を振り返ってしまった。昨日があんまりに幸せすぎて浮き彫りにさせられた、私の半生について。“今まで色々あったけど、幸せだなぁ”みたいな感じで、落ち着けないかなって。


 いや、それらしい理由をつけてはみたけど、半分くらい走馬灯を見ていただけな気もする。


 そうして、あれやこれやを思い出してしまって、結局朝まで寝付ける事はなかったけど……その中で私は、最後に彼女へと捧げたい言葉を見つけていた。



「……私もね、色々言われたんだぁ」


「言われたって……?」


。あ、もちろん一般人の私と、誰かに見られる事で生きる道にある凛々夏とは、当然比べ物にならないと思うけど」


「……それって」



 少しだけ話すのには勇気が必要で、その気持ちを準備する為に口に含んだコーヒーは、あれだけ砂糖やミルクを入れたのに、まだ少しだけ苦味が強い気がした。


 見ないようにしていたこと。忘れようとしていたこと。私なんて、大した特徴のないありきたりな人間なんだって思い込むようにして、自分の身を必死で守っていたこと。あるいは……凛々夏に出逢えたことで、忘れられていたこと。



「私、ちっちゃい頃は太ってたんだ。親は元々私にあんまり関心がなくって、私自身もまだそういう事に興味を抱く前だった、小学生くらいまで」


「そのくらいの年齢なら、そういうモノですよね」


「そうだよね。でもある日突然、親が私を見て笑うようになったの」


「……そのカンジだと、あんまり良いことではないみたい、ですね」


「うん。……“デブ”とか“痩せろ”とかそういう、あざ笑う様な感じ。太りやすいのは遺伝の要素もあるだろうし、そういう育て方をしたのは自分達なのにね」



 元々あんまり頭の良くない私はその時、“どうしてそんな嫌な事を、楽しそうに言うんだろう”なんて、もやもやとした気持ちを抱えたまま過ごしていた。でも、今ならわかる。私、やっぱり傷ついてたんだなぁ。



「それが嫌で、中学くらいから一生懸命痩せてね。高校に入った頃にはすっかり標準体型になりましたっ」


「努力、したんですね。……すごいです」


「それほどでも。だけど、そうしたら今度は……胸が大きくなり始めちゃって。周りの私を見る目が、なんだかおかしくなっちゃったの」


「おかしいっていうのも、きっと」


「そうだねぇ。……高校一年生くらいに、よく話す男の子がいたんだ」



 これは私が未だに恋人を作ったことがない理由のひとつ。そして少しだけ、。電車で凛々夏じゃない誰かにチカンされてると思った時、ボコボコにしてやるなんて息巻いてたのは、臆病さの裏返しだったんだ。



「特別仲が良いってわけじゃなくって、隣の席だから話してたってくらいの人なんだけど。……でもある日、その人に告白されまして」


「あんまり、嬉しくはなかったみたいですね」


「まぁね。その人がそれより前に、私について……違うかぁ……話してるのを、たまたま聞いちゃってたんだ」



 その時の事は今でも思い出せる。私の人柄なんかじゃなく、ただ人より脂肪がついただけの胸についてを嬉々として話す、如何にも男子らしい馬鹿げた会話を。


 “小仁熊は胸がエロ過ぎる”とか、“あれを揉めたら最高だ”とか。正直、もっと汚らしい感じで。彼らは友だちと過ごすその瞬間に浮かれて、弾みの様にそんな言葉を交わしていた。……当の本人に聞かれてるとは、思いもしなかったんだろうね。


 私だって性欲がまるでない聖人だなんて事はないし、今となってはいかにも年頃らしい、馬鹿で思慮の足りない会話だったと理解はできる。けど、当時まだそれなりに思春期だった私は自分がそんな目で見られてるって事に、堪えられなかったんだ。



「元々受けようと思ってなかったんだけど、“この人はおっぱい目当てで告白してきたのかなー”って思ったら、断る以外の選択肢はなかったよね」



 凛々夏に話したこと以外にも、色々あった。


 当時の友だちであるやよいちゃん曰く、男子の間では“誰が小仁熊の胸を揉めるか”みたいな、本当にどうしようもないチャレンジが流行っていて、私は三年間で何度もそれ目的の告白を受けたりした。


最終的にやよいちゃん率いる“雪奈を守護り隊”なる面々がその名の通り私を男子の不埒な目から守る様になってくれて、高校生活は穏やかに過ごせたと思う。やよいちゃんには本当に、感謝してもしきれない。


 それから、結局嫌なままだった親から離れる為に高校卒業と同時に就職した今の職場では、当時私の教育を担当してくれた先輩にに連れ込まれそうになった事もあった。


日頃から私への接し方が、同期である他の子と露骨に違いすぎて警戒していたから逃げる事は出来たし、先輩は他のがバレて会社から姿を消したから、済んだことではあるんだけど。あの人は多分、今ごろ普通には生活できてないと思う。


 けど、これらは凛々夏に話す必要も、そのつもりもない事。“私はこんな生き方をしてきて可哀想だよね”、なんて慰めてもらう為に、この話をしてるわけじゃないんだから。


 ……あぁでも、コーヒー、苦いなぁ。こういう時くらい、甘くなってくれても良いと思うよ、コーヒー君。

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