第18話 「……おやすみ、凛々夏」

 私の事を抱き枕扱いしたりりちは、また私の隣に身体を横たえてくれた。


抱き枕とは……いよいよ人間に対する扱いじゃないけど、私にとっては価値が上がったと言えそう。だってただのくたびれたOLが、今をときめくアイドルの抱き枕だよ? ちょうちょもびっくりの完全変態を遂げたと言っても過言じゃない。むふふ。



「私の抱き心地は、いかがかなっ」


「……ユキさんの抱き心地っていうと、えっちすぎません?」


「……そ、そんな事は、ないんじゃないかなぁ?」


「言ってから気付いたんですか。……抱き心地……もうちょっとこっちに、身体を向けられますか?」


「はいぃ……」



 もう下手な事は言うまいと黙って指示された通りに、仰向けに寝ていた体を 横向きに寝返りを打つ。そうなれば、ハグほどの距離感ではないものの、今度はベッドの上でご対面。接触してる面積自体は多いとは言えないから、まだりりちから与えられる情報量で頭がバグったりもせずに済んでいる。


 何をされてしまうんだろうと私が緊張していると、りりちは私の目を見て、その後私の胸元を見た。……いや、まさかね。抱き心地とか変な話をしちゃったけど、そんなことしないよね。


 そうやって楽観的に現実逃避をキメていた私の腰に、りりちの手がまた伸びてきた。ま、まぁここまではね。どうやらりりちはボディタッチが割と好きみたいだし、本格的に抱き枕になると考えたなら全然、ね?


 腰に回された腕に少し力を入れながら、りりちは何かを確かめる様にベッドの上で体をずらした。それはまるで——



「……えいっ」



 ——こうやって、胸に顔を埋めるのにちょうどいい場所を探しているみたいに。



「なはぁっ?!」



 ……おわ、すっごい間抜けな声が出た。


 体を横たえたまま向かい合った私達。りりちは身体を軽く寄せて、私の胸の中に飛び込んできた。そうするのかなーと思って経過を見守っていたけど、実際そうされると声は出てしまった。


 ぽふぽふ、にじにじ、ずりずりと、シャツ越しの谷間の辺りで、りりちは抱き枕の具合を確かめているみたい。その仕草が、なんだか大型犬に寄り添って寝付こうとする子猫みたいで……あ、鼻血、出そう。確実に今、ハグの時とは違う脳内物質がどぅっばどぅっば出てる。


 あー、やばい。私はオタクなのに、オタクでいなきゃいけないのに、りりちをもっと甘やかしてあげたい欲が出てきてしまってる。ダメなはずなんだけど……りりちも甘えたそうだったし……。



「……りりち、な、なでなでのサービスとかは、いかがかなー?」

 


 なんてアホっぽい言い回し。けどそんなことより……この言葉は私の欲に塗れていて、ひどいものだと自分でも思う。今までの事には全部、言い訳を添えることが出来たけれど、これはもう私がしたいからに他ならない。


 口に出してから後悔するほど、なんて浅ましい望み。いっその事ことりりちに手酷く断られた方が相応しい。……けど。



「……お願いします」



 りりちは私の胸元から顔を離して、少し意外そうな顔で私と目を合わせた後、私の提案を受け入れてくれた。……受け入れられてしまった。


 そうなってしまったら、私にはもう選択肢は残されてない。右手はりりちの枕になっているから、空いている左手を彼女の髪に沿わせて、ゆっくりと撫でてあげる。


 りりちは私の手の感触を楽しむ様に目を瞑った後、また胸に飛び込んできた。



「……もうちょっと強めで」


「こ、こうかな?」


「いい感じ……オプションとか付けられます?」


「オプション、とは」



 なんだか本格的にいかがわしい雰囲気が漂ってきた気がする。けど、大丈夫。私と違って、りりちは変な事は言わない。……多分!



「名前を」


「……名前?」


「“凛々夏りりか”って、呼んでください」


「うん? ……“りりち”じゃダメなの?」


「凛々夏が良いです……お願いします」



 変な事……ではなかったんだけど、そのお願いは少しだけ私に頭を捻らせた。“りりち”ではなく、“凛々夏”って呼んで欲しい。……その心は、果たして……?


 ともかく、サービスとか言い出したのは私なんだし、ここは推しのご要望にお応えしなければ。これも一種の私信だと思えば、はいよろこんでと答えるのがオタクだよね。



「凛々夏」


「……はい」



 どうしてか少しの気恥ずかしさを感じつつ、凛々夏と名前を呼んであげる。すると、彼女は小さく身体を震わせた後で、短い返事だけを返してくれた。……もう少し何か言ってあげた方が良いのかな。


 しかしこう……いつもチェキ会とかで会うときは、ライブの熱を残したままの勢いで話せるから困らない。だけど、二人の呼吸とエアコンの音くらいしか聞こえない静かな空間で、改まって何かを伝えるって、案外難しいかも。


 またおかしな事を言わないように時間をかけて言葉を選んで、それから口を開く。もちろん、髪を撫でる手はそのままで。



「えっと……今日はお願い聞いてくれてありがとう。凛々夏が優しいから、いっぱい甘えちゃった」


「……うん」


「いつもと違う凛々夏を見せてもらっちゃって、その姿もやっぱり素敵だったよ」


「……ん」


「それで私、凛々夏のことが好きなんだなぁって、あらためて思えて……ありがと、凛々夏」



 ……なんだろ、なんか恥ずかしい。


 話してる事は正直、いつも凛々夏と現場で会ってる時と変わってないはず。


今日のライブはどうだった。パフォーマンスが最高だった。可愛い、好きだよ、愛してる!


……私が彼女に伝えてるのは、私の語彙力不足も相俟あいまってこんなところ。


 なのに、“りりち”を“凛々夏”に変えただけで、それがまるで、全然違う事をしているような気持ちになって……へんなの。


 愛を伝えるって事には、違ってないハズなのに。


 ……そんな風に、何故かむずむずする感情に考えを割いていると、ふと、私の身体を抱いて離さなかった彼女の腕の力が、弱くなってることに気付いた。



「……凛々夏?」



 へんじがない。……これはもしやと思って、起こさないように慎重に身体を捩って、彼女の様子を窺ってみると。



「……寝ちゃった」



 ちょっと前から言葉数が少なくなってたし、正直そんな気はしてた。


 あれ程に私を見つめてくれていた瞳は薄い瞼の向こうに隠れて、細やかで穏やかな寝息が聞こえる。ほんの少しだけ緩んでる口許が愛らしい、天使の寝顔。


 やば……これはやばい。今すぐ画家を呼んで絵にしてもらい、額縁に飾って美術館に飾って欲しいくらい。もはや芸術……いや、芸術の枠に当てはめることすら烏滸おこがましいくらいの、超越的可愛さだ。これにはゴッホも筆を折っては裸足で逃げ出し、ミケランジェロはノミを置いて落涙するだろう。


 くぅう……超至近距離で浴びる事になった凛々夏の可愛い光線に私がバラバラになりそう。だけど……ダメだ、ここで私が砕けたら、凛々夏が起きてしまう。堪えろ、堪えろよ……雪奈!!



「んがわいい……けど……あ、灯り、消しちゃうからねー」



 震える手をどうにかヘッドボードに伸ばして、そこに置かれたリモコンで室内灯を消す。本当なら明るいままでずっと眺めていたいけど、それじゃ凛々夏がちゃんと寝られないから。


 真っ暗になった部屋で、彼女の小さな寝息だけが聞こえる。これはこれで悶々としてしまうけど、寝顔の直撃を食らって失神するよりはまだマシだと思う。


 ……本当に今日は色々あった。


 仕事帰り、凛々夏にお尻を揉まれて。色んな目的があって自宅へと招いて。元気になってもらえたらと祭壇を見てもらったかと思えば、続け様にハグをしてもらっちゃったりして。


そうして最後は抱き枕にされて、添い寝で一晩を過ごすなんて。こんな事になるとは、朝起きた時には考えもしていなかった。


 本当に長くて……幸せな一日だった。


 でもそれも、もう終わり。

 今夜はこの幸せを想いながら、私も瞼を閉じる事にしようかな。



「……おやすみ、凛々夏」











 ……まぁ、隣で推しがすやすやしてるのに、オタクが寝付くなんて出来るわけがないよねぇ!

 誰かぁ! 助けてぇえ!!











————————————————


第18話までご覧くださり、本当ありがとうございます!

お礼と今後の方針についてのあとがきを用意した……のですが、思ったより長くなってしまったので、近況ノートにて記載させていただくことにしました。

本日更新いたしますので、お時間ございましたらご一読いただければ幸いです。

今後とも雪奈と凛々夏の物語を楽しんでいただければ、嬉しいです!

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