第17話 「は? どうしてですか?」

 ハグですっかり脳みそをやられちゃったらしい私は、それが当たり前かのように潜り込んでくるりりちへの反応が遅れてしまった。結果として今、仰向けに寝る私の右うでに収まる形で、りりちは私を見上げるように見つめてきている。


 はっきりした猫目、大きな瞳、長いまつ毛、ガチ恋距離。それらが組み合わさった上で繰り出さられる必殺の、りりちの上目遣い。……あ、あー、あー!!



「あばば、ばばばばば……」


「……とりゃ」



 私の脇腹に小さく衝撃が奔る。



「ひぅっ! ……脇腹は許して、脇腹はぁ」


「さっき言ったじゃないですか、くすぐるって」


「まだ失神してなかったよ!」


「“まだ”って、これから失神するつもりだったんですね、やっぱり」


「それはまぁ、ね?」


「“わかるでしょ?”みたいな雰囲気出されても、ダメですから」


「……さっきはダメになっちゃえとか言ったのに」


「それはっ。……うるさいです、ユキさんのくせに」


「ひぁあっ!」



 再びりりちの手が伸びて、私の脇腹をくすぐってくる。左手しか使えない私が身を守ろうとしてみても、りりちの小さな手はガードを容易くくぐり抜けて、私の敏感なところ刺激してきた。


 第一、“りりちの上目遣い”なんてものを浴びて、私が死なないわけがないんだから、もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないかと思う。


けど万が一上目遣いを見られなくなってしまったら、それは間違いなく人類全体の損失なので、りりちにそれを伝える事は出来ないんだけど。



「ご、ごめん……私が、私が悪かったよぉ」


「わかればよろしい。まったく、TPOってモノを考えて欲しいです」


「……ちょっと、ピリ辛な、推しがかわいい」


「考えてってのは、大喜利してって意味じゃないです……そういうコトを言えるくらいには、余裕が出てきたみたいですね」


「余裕っていうか……はぁ……もう、クタクタ過ぎて死にそうなだけだよぉ」


「ハグで死にかけるとか……よわよわですね、ユキさんって」


「面目次第もございませぬ……ふへぇ」



 確かにいまの私はよわよわかもしれない。普段はもう少しマシな社会人をやってるつもりがあったんだけど、今日はりりち成分をオーバードーズし過ぎたんだ。けどその影響があってか、この至近距離にいても、まだぎりぎり意識を保つことが出来ている。この至近距離に……りりちが……いても……。



「かおがいい……あば……」


「……ユキさんって、くすぐられるのが好きなんですね」


「ひっ。ち、違うよぉ。ちょっとお布団が気持ち良過ぎて、眠たくなりそうだっただけだよ」


「まぁ、もういい時間ですからね。……そうだ」



 ベッドボードにあるりりちは時計へと視線を送った後、また私の腕枕へとポジションし直す。その際に向けられた視線と、さりげなく私のお腹に回された腕が、私を逃さないとでも語っているみたい。


 ……え、なにこれ。私の行動目標はすべて達成させられた筈、だよね?



「今日、お泊まりしていきますので」



 ……延長戦エクストララウンド、ってコトぉ?!



「お泊まり?!」


「もうお風呂をいただいてしまったので、今から外に出ると湯冷めしちゃうかもしれませんし」


「そ、それは、そうかもだけど」


「それに今から帰って、改めて寝る支度をとなるとかなり遅くなってしまいそうです」


「夜更かしは良くない、かもねぇ?」


「なにより、こんな遅い時間に夜道を一人っていうのは怖いです」


「それは、うん、わかるよ」


「ユキさんは、推しに、そんなこと、させない……ですよね?」


「……当然だよっ」



 私が“お泊まり”について何かを申す前に、りりちによる怒涛の理責めによって逃げ道を潰され、お泊まりを認める方向に持っていかれてしまった。お、推しが、議論強者過ぎる……。


 でもやっぱり、りりちが語ったところは私も心配するところなのは間違いない。今日は私のお願いでもって家に招いたわけだし、当人に問題が無ければ、泊まっていってもらった方がいいのかも。



「じゃあ、私は向こうのソファで寝るから、りりちはベッドを使ってね?」


「は? どうしてですか?」



 私としては至極当然の提案だったと思うんだけど、りりちはくっと目を細めて、回した腕に力を込める。圧が、圧がつえぇんだ。



「……わたしが家主を差し置いて、ベッドで寝るような人に見えますか」


「そ、その様なことは決して……でもその、りりちにはベッドで休んで欲しいし……そこは譲れないよ、オタクとしてっ」


「……なら、二人で寝ればいいじゃないですか」


「……へっ?!」


「大きさ的に問題ないのは、いま確認してますし」


「で、でも」



 りりちと二人でベッドに。……いや、改めて私には、変な事をするつもりはないとここで神に誓ったっていい。けど、流石に添い寝で一夜を過ごすっていうのは、ハグとはまた別の意味で距離感がおかしい気がして……なんとも私は悩まされてしまう。


 りりちは気にならないんだろうか。でも、エス=エス内で触れ合いは普通みたいな事も言ってたし、やっぱり女の子同士なら別にってスタンスなのかな。


 でも、私とりりちは、オタクとアイドルで……許されていいもの、なの、かなぁ……?



「……やっぱり」



 私がむむむと唸っていると、りりちが先にぽつりと言葉を溢した。目をやると、少し寂しそうに枕へと視線を落とす彼女の姿が映った。



「……甘え過ぎですよね。ただでさえ今日ここに来た理由が理由、なのに」

 


 理由、とは言うまでもない。私はとうに気にしない事としていたけど、りりちはまだ気に病んでいたのかもしれない。


 彼女はきゅっと手を握った後、ゆっくりと私に回していた腕を、そしてその身体を離れさせようとする。



「ごめんなさい、もう今更ですけど、わたし」



 ……オタク失格がなんだ。許されるかどうかがなんだ。


 推しにそんな表情をさせるくらいなら、全世界を敵に回したっていい。


 私は他でもないりりちのオタクなんだから!

 


「ま、まって!」



 離れようとするその手を掴んで、彼女の身体ごと私の胸で受け止めて、そうしてまたベッドに身体を横たえる。恥ずかしい、けど、りりちがそうしたいって言うならそうするでしょ!



「こ、これも私のお願いっ! 今日はりりちに、添い寝してもらいたい!」



 たかが添い寝、たかが添い寝だよ。ハグも乗り越えた私であれば、添い寝なんぞなにするものぞ!


 ……けどやっぱり少し恥ずかしくって、目を瞑ってりりちの反応を待っていたら、私の二の腕がぱしぱしと叩かれた。



「……りりち?」


「むーっ……むーっ!」


「あっ」



 ちら、と片目を開けてみると、そこには私の胸に頭を埋めて悶えるりりちの姿が。……ちょーっと勢い、つけすぎたみたいだねぇ……。


 私が手を離した瞬間にりりちはぱっと離れる。あ、あぁー、顔が真っ赤でちょっと涙目。さらには肩で息をしながら私をちょっと睨んできて……か、可愛いけど、流石に申し訳なさが勝っちゃう。



「死ぬかと思いました」


「あ、あはは、私のおっぱいにはキツく叱っておきますので……」


「あー、もー……」


「だめかなぁ……?」


「……まったく、今ので疲れてしまったので……やっぱり泊まらせてください」


「……うんっ! 大歓迎だよぉ!」



 少しだけもじもじと恥ずかしそうに、改めてお泊まり宣言をりりちはしてくれた。……かわよ……!


 って、りりちの可愛さに浸る前に、熱が冷めないうちに添い寝の体勢を整えるのだ。ポジションを取り直して、肌掛けをお腹の上まで持ってきて、私の腕を枕にしてもらえる様に……よし、準備は完了だ。あとは肌掛けをまくって、そこにりりちが収まってくれたら、おやすみするだけ!



「歯磨きは済ませてあるもんね、よし。……ば、ばっちこーい」


「……準備してもらって申し訳ないんですけど、ユキさんはそのまま動かないでください」


「えっ」


「さっきので確信したんですけど、下手に動かれると死にそうです、わたしが」


「しょんなぁ……」


「ユキさんは……そう、“抱き枕”です。なので、わたしに大人しく抱かれてください」

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