第13話 「も、もも、もしかしてりりち、引いてたり?」

 言われて、手で自分の頬に触れてみる。


 泣きそうな顔って、なんで……あぁ、そっか、そうだよね。考えるより先に、心は気づいていたんだなぁ。


 でも大丈夫、今はまだ泣いてない。まったく堪えの効かない表情筋と涙腺ですこと。


 だけど、これ以上はごまかしきれないかもしれないから、顔をもにもにと揉みほぐしながら立ち上がってまたベッドに座る。……あと、そろそろりりちと並んで祭壇を眺めてるって事実に二度目の失神しそうだし。



「……それはまぁ、りりちと一緒に祭壇を見るなんて大感激だからねぇっ。でも今日はもう、ご迷惑をかけたので泣きません!」



 本当に混ぜた少しの隠し事に、胸がちくりと痛んでしまう。でも、こんな事は今、折角笑顔になってくれた彼女に伝えるべき事じゃない。


 わかってるんだ。


 どうしても、気付いてしまうんだ。


 私たちが隣に並んで、同じ瞬間を過ごせた奇跡。そうして得た楽しさ、喜び、そういった幸福な感情の……結末はもう決まってしまっているんだと。


 だってやっぱり私とりりちは、オタクとアイドルなんだから。


 ……最後まで、気づかなきゃ良かったのにね。本当に私は、どうしようもないおばかなんだと思う。



「めーわくなんて事ないですけど……大丈夫ですか?」



 ああ、だめだ。取り繕わなきゃ。


 あんな風に、心配させちゃいけない。


 私なら出来るはず。アイドルであり希望に溢れる少女なりりちと違って、そういう風に生きてきた“大人”なんだから。やらなきゃいけないんだ。



「……なんともないよ! それでさ、あはは、どーかな、私の作ったりりちの祭壇は!」


「それは……感想、求められてますよね?」


「出来れば聞かせてほしいかなぁ。さっきはほら、私がりりちにその、えっと、あはは」


「恥ずかしがるなら言わなきゃ良いのに」


「い、いいじゃんっ。お願いだよぅ」


「そうですね……」



 そう言うと、りりちはまた祭壇へと目を向けて、静かに眺め始める。やっぱりその口元は薄く笑みを浮かべていて、私が選んだ事は些細な事に違いないけど、無駄じゃなかったなぁって思える。


 その横顔を見守りながら体感で1分、2分。……あれ、なんか思ったより、時間かかってるような?



「りりち、ど、どうかな?」


「あ、感想、かんそーですよね。……えっと」



 ちょーっと沈黙に堪えかねて声をかけると、りりちはなんだかもじもじして話辛そう。そ、そんなに難しい事をお願いしたつもりはなかったんだけど、ま、まさか。



「も、もも、もしかしてりりち、引いてたり?」


「……まぁ、自分の顔がこうやって並んでると、そこそこの圧がありますよね」


「嘘だよね?! そそそ、そんなことないよね?!」


「ないです、冗談ですって。……なんか、嬉しいです」



 ……り、りりちに……からかわれちゃったよぉ……! 


 なな、なんていたずらっ子なんだ、りりちは。そんな事されたら私はもう、胸のトキメキが抑える事ができないよ。りりち、りりち可愛いよ、りりち。


 って、落ち着こう。まだりりちのターンだ。私がトリップしかけている間にも、彼女は優しい眼差しで、私の作った祭壇を見てくれてる。



「ユキさんと一緒にこうやって見てると、アイドルやってて良かったなって。わたし、アイドルとして頑張ってたんだなって……そう思えます」


「りりち……」


「だから……嬉しいです。ありがとうございます、ユキさん」



 そして、あの優しい眼と柔らかな笑みが私に向けられる。ああ、良かった。私はりりちにちゃんと想いを届けられたんだ。りりちはそれを受け取ってくれたんだね。



「……そうだよ、りりちはすっごい頑張り屋で、最高のアイドルなんだ!」


「ぅあ……あ、ありがたいですけど、こういう時にまっすぐ言われるのは、ちょっと効きますね」


「照れてる? りりち、照れ顔くれる?」


「余韻を味あわせてください、余韻を。ばか」



 照れる様にそっぽを向くりりち。ほっぺをほんのり赤く染めるりりち。そして“ばか”と照れ隠しをいうりりち。うーん、これは新たな三種の神器として政府が認めるべきなんじゃないかな?


 しかし、なんでりりちが口にするだけで、“ばか”って言葉がこれほど甘美なものになるんだろう。これは世界平和の為にも、学会を設立して真剣に取り組むべき命題なのではなかろうか。世に生きとし生ける人たちの為にも、私は強くこれを訴えていきたいと思う。



「なんか、みょーなコトを考えてないですか?」


「りりちと世界平和の事しか考えてなかったけど……?」


「どういう繋がりなんですか、その不思議そうな顔はやめてください。……そうだ、ユキさん」


「うん? どうしたの、りりち」


「グッズに、サインとかどうかなって……良かったら、ですけど」



 ……“サイン”という言葉に、思考が一瞬止まる。

 私は常々思うんだ。もし現代になるものが現存していたとするならば、それはグッズに対するアイドルの生サインの事に指すんじゃないかと。


 オタクにとってはただでさえどんな宝石よりも心を満たしてくれる推しのグッズ。そこに加えられるものが何の変哲もないマーカーでも、推しの手によって施される事でそれは世界に一つだけ、まさしく無二の価値を誇る宝物になる。それは石油と紙で出来たグッズを黄金に勝る価値あるモノへと昇華させる行為に他ならず、錬金術が目指した極地そのものに違いない。


 ……あ、あらかじめ言っておくと、サイン入りグッズが高く転売出来るとかそういう話じゃないよ。そんなことする奴は地獄行き確定だし、たとえ閻魔様が許しても私が赦さないからね。りりちのグッズでそんな事しようものなら、地の果てまで追いかけてでもペンライトを突き立ててやるから。



「い、いいの? 別にそんな、りりちの手首を消耗させるわけには」


「どれだけかかせるつもりなんですか。ちょっとやそっとで腱鞘炎にはならないですよ、宿題じゃないんですから」


「ででで、でも私は本当に、そんなつもりなくって」


「これは、まぁ、わたしからの感謝のキモチ……的な」



 うぅ、りりちぃ、本当にファンサの鬼だよぉ……。


 降って沸いた僥倖。典型的なニホン人であればここは“そんなことしなくていいよー、大丈夫”、だなんて控えめな事を言うかもしれない。けど私は重ね重ねアイドルのオタクなのだ。


 ここは好意に甘える一択。ここで逆に乗らなければりりちに、“サインとか要らなかったかな……”などという、余計な杞憂を抱かせてしまう事になりかねず、誰も幸せになれない。故に私は、りりちにサインを貰うという甘い誘惑に裸で飛び込んで見せるのだ。


 でも、でも……!



「めっちゃ悩んでますね、ユキさん」


「ごめんね、りりち。いま少し、考えさせてくれるかな」


「お家にお邪魔してからイチバン真剣な声出すじゃないですか。……一応、何を悩んでるか聞いても?」


「それはもちろん、何に書いてもらうか、だよ」


「……はぁ、別にさっきは、ああ言いましたけど、二つ三つくらいなら」


「その気持ちは嬉しいよ、りりち。でもね、そんな当然のように書いてもらっちゃだめなんだ。一つに絞るからこそ、そのありがたみが私の五体へと広がり、りりちへのさらなる愛に繋がるの」


「語ってるところ申し訳ないんですけど、サインの話ですよね?」



 サインの話だけど、それが私にはすごく大事な話なんだ。考えろ、小仁熊雪奈。何が正着、何が最も良い選択なんだ……!



「オーソドックスにCDにする? ああでも、むしろ限定品のぬいに書いてもらうのもありだよね。いや、書きやすさを考えれば」


「出た、めんどくさいヤツだ。そういう風に悩んでると、ユキさんってオタクなんだなーって感じがします」


「悩みもするよぉ……! だって私は、他ならぬりりちのオタクなんだから!」


「……なるほど。まぁ、決まったら教えてください」



 決められない、決められないよぉ。どれに書いたってそれは祭壇のさらなる秘奥、永久保存グッズ入り確定なわけだから、慎重に決めなきゃいけないのに……!


 そんなこんなで悩んでいると、りりちは祭壇の灯りを消してクローゼットを静かに閉めてくれた。満足してくれた、のかな。


 枕元の目覚まし時計を見ると、もうあとちょっとで日付を跨ごうかという時間になっていて、区切りとするには遅すぎるくらいの時間だ。


 そっか、もう、こんな時間かぁ。


 やっぱり寂しいけど……仕方のない事だって、わかってもいるんだ。



「……ね、りりち、そろそろ……」


「そうですね。重ね重ね、ありがとうございました、ユキさん」


「……うんっ、りりちにそう言ってもらえて良かったよ」


「それじゃ、“もう一つのお願い”も応えます」


「……へ?」


「ユキさんじゃないですか、言ってくれたのは。——」



 ……忘れてた。りりちという推しのアイドルを自宅に招いて、日頃見られないオフの姿に舞い上がって、彼女に彼女自身の素晴らしさを伝える事に成功して、それでいて、その先のことを考えて一人で勝手に切なくなっていて。


 肝心な事を、忘れていた。



「——“ハグして欲しい”って」



 ……ここから入れる保険って、どこかにありますか?

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