第12話 「ぉ゛お゛ぉ゛……ふぉ゛……お゛ぉ゛……」

 ——そんなりりちの手から逃げ出す様に、私はポップコーンが弾けたみたいにベッドから立ち上がってしまった。


 本当ならりりちから逃げ出す様な真似は出来ない。けどこのままでは、私がオタクでいられなくなってしまう様な予感が、脊髄反射的に重たいお尻を蹴っ飛ばしてくれたよう。



「……逃げた」


「に、逃げじゃないよ! これは転進、戦略的な作戦行動だから!!」


「でも、“全て”って答えは……やっぱり逃げじゃないですか?」


「本当の事だからね! これを見てよ……!」



 手のやり場を失ったのか大人しくベッドに女の子座りするりりちを見て可愛いと思いつつ、私は立ち上がった勢いのまま部屋にあるクローゼットに歩み寄り、両開きの扉の片方を開く。


 そこにあるものこそ、私がりりちを部屋に呼びたかった理由。私が誰にも見せたことのないそれを、りりちに見て欲しかったんだ。



「じゃーん、どやっ」


「……それって」


「知ってるかな、ってやつ!」



 それはオタクにとって愛の結実の一つ。アイドルに対する深き信仰の証明。かつてアーサー王と騎士達が聖杯を探し求めたが如く、オタク達がアイドルという果てなき沼に身を投じた末に手にするもの。……ごめん、ちょっと壮大に言い過ぎたかも。


 界隈の用語で“祭壇”というのは、オタク達が推しのグッズを集めた後、それを見栄え良く飾りつけたスペースの事。オタクたちはその祭壇を前にする事で己の中の推しへの愛を確かめて、深めて、より一層の高みへと昇華させるのだ。


 私もまた、祭壇を作り上げたオタクの一人。クローゼットの4分の1を占める祭壇には、シンクロニシティ=シンフォニーを知って、リリというアイドルに出逢った約一年前から、こつこつと集めたグッズたちが収めてある。


 りりちは私の祭壇を見て驚いた様子を見せて、それから立ち上がって私のそばに来てくれた。



「すご……全部、わたしのグッズですか」


「そうだよ。エス=エスみんなで映ってるようなポストカードとかは別に保管してあるんだ。……あっ、ちょっと待ってね」



 覚束ない賭けのような私の狙いに乗ってきてくれたりりちに断りを入れて、祭壇の傍らにあるスイッチに触れる。


 設置した場所が場所のせいでどうしても暗くなってしまっている祭壇が、そうしてパッと明るくなった。



「わっ、めちゃくちゃ拘ってますね。クローゼットの中だからって、LEDまで設置してあるなんて」


「こっちの方がだんぜん綺麗かなぁって。本当なら部屋のど真ん中に祭壇を置きたかったくらいなんだけどね」


「それは流石にジャマじゃないですか?」


「邪魔な事なんてないよ! けど、窓からの光とか湿気とかでグッズが劣化したりしたら嫌だから、ここにしたんだぁ」



 祭壇を作るにあたっては、オタクそれぞれのやり方があるとは思う。一番シンプルなのは、ディスプレイ用のラックに推しのグッズを敷き詰めたものなのは違いない。


 けど私はそれじゃ足りないと思った。グッズとはいうなればりりちという天使から与えられたギフトであり、それを祀る為の祭壇には相応の品格を求められると思ったんだ。


 だから、配置する場所にも拘ったし、そうなればとLEDライトを設置してグッズが翳ることのないように配慮するのは当たり前。ラックの色はあえてパステルブルーにする事で統一感を出しつつ、メンバーカラーであるサファイアブルー濃い青が使われる事の多いりりちのグッズが映えるようにした。


 その他、祭壇には捧げ物も当然欠かせない。だから、りりちのグッズ以外にもファンシーショップや雑貨屋を歩き回って、りりちの好きなパンケーキや青い子猫を模した小物で祭壇を飾ってる。これは、これからさらに増えるりりちのグッズが手に入った時、小物達には退いてもらってスペースを調節する役割も担っている。その他にも諸々、考えつく限りの手を尽くした。


 私が抱くりりちへの想い。溢れてしまったそれに導かれる様にして。学生の頃はも苦手で、組み立て式の家具すら説明書を二度、三度読んでも苦労する私だけど、半年程の時間をかけて最近ようやく完成させたんだ。


 見てもらうにあたっては、正直少し、不安だったりしたんだけど。



「ユキさん、これって……Z《ジー》とかにアップしてないですよね?」



 Z《ジー》とは、多分いまニホンで一番活用されているコメント投稿型SNSのことで、エス=エスが情報を発信する公式アカウントがあったり、りりちも個アカを開設してたりする。


 オタクである私ももちろんアカウント用意していて、日頃感じたりりちへの愛をポストしたりしてる。けど、祭壇に関してはりりちの言うとおり。



「うん、誰かに見せるのはこれが初めてで、私だけの秘密。……今は、肝心のりりちに見てもらっちゃったわけだけど」


「自慢とか、したくならないんですか?」


「誰かと推しへの愛の大小を競うつもりはないから。さっきの話でいうなら、好きのカタチは人それぞれだし」


「なるほど……言われると納得って感じですね」


「それに、私が一番りりちの事を愛してるからね」


「後半で急に台無しにする。競うつもりはないとか言ってたのはどうしたんですか」


「オタクなら誰でもそう思ってるんじゃないかな、あはは。……あれ、いや、ちょっとまって?」



 なんか当たり前の様に話を続けてしまったけど、今の会話の中に見過ごせないモノがある、よね?



「り、りりち、私のアカウント、し、知ってるの……?」


「……まぁ、わたしリリをフォローしてくれてるユキって名前の白くまのアイコンの人が、ほとんど毎日のようにわたしについてポストしてたら、エゴサした時に目につきますよね」


「ぉ゛お゛ぉ゛……ふぉ゛……お゛ぉ゛……」


「どんな声をどこから出してるんですか」


「恥ずかしがるべきか、喜ぶべきか悩んだ声だよ゛ぉ゛お゛……」


「どっちでも良くないですか? ん、この缶バッジ、ランダム封入のヤツですよね。わたしのをばっちりコンプしてる」


「お゛……そうだよ。オタ友に頭を下げてトレードしまくって、頑張って揃えたんだぁ」



 さらりと明かされた衝撃の事実にベッドの上で布団に包まりたくなるけど、りりちが祭壇の中身に触れてくれたのを機に切り替える。


 でも、良かった。誰にも見せるつもりは本当になくて、りりちからネガティブな反応が返ってきたらどうしようと内心不安だったんだけど……その心配は、杞憂だったみたい。



「このフォトフレームに入ってるポスカって」


「クリスマスライブの切り抜きのやつだね。暗転したステージの上で、背中に光を背負ってるりりち……かっこよすぎだよぉ」


「そう言ってもらえたなら、まぁ。……良いですね、ペンラの飾り方。こうすると、なんか伝説の武器みたい」


「ファーストアニバのやつ! オタクにとっては聖剣みたいなものだからねぇ」


「あ、このパンケーキのスクイーズ、ちっこくて可愛いです」


「でしょ!」



 そうやって、二人で並んで祭壇の前にしゃがみこんで、これは、あれはとおしゃべりする。それがすごく楽しくって、誰かに見せるって事も良いものだなぁなんて思っちゃう。……けど、私がしたいのはやっぱり、それじゃない。


 だから、隣にいるりりちの横顔をこっそりと見てみて……あぁ、良かった。


 笑ってる。並ぶグッズを見て柔らかくて暖かい微笑みを、りりちはその表情に浮かべてくれていた。


 私がりりちを部屋に招いて、祭壇を見せたのは、決して自慢したかったとかそういうわけじゃない。


 祭壇にあるのは推しへの愛。その言葉に集約されるわけだけど、それはいろんな事柄を内包している。


 例えば、グッズというのはりりちが今までアイドルとして頑張ってきたからこそ発売されるもの。つまり、リリというアイドルの歴史の一側面でもある。


そして、私が抱くりりちへの。りりちというアイドルがあんまりにも素敵なものだから、私は与えられた熱によって祭壇を作るに至ったわけで。


そういうものが、祭壇にはぎゅっと込められていたりする。


 りりちが私に与えてくれた熱は、私の中で花火みたいに弾けて、私に色んな気持ちを抱かせてくれた。憧れ、友情、尊敬、希望、それから……とにかく、ありとあらゆる肯定的ポジティブで極彩色の“全て”を、灰色の世界に生きていた私にくれたんだ。だから、りりちはやっぱり、私にとっての“全て”なんだと思う。


 りりちというアイドルは誰かに対してそれだけのものを与えることができる、素敵で、最高で、究極のアイドルなんだって、私は伝えたかった。


アイドルとしての在り方に悩んだ彼女自身に、私の目を通した彼女の姿を見て欲しかったんだ。


 その為にはきっと、言葉だけじゃ足りないと思ったから、私はオタクとしての領分を超えて、アイドルを自宅に誘うなんて事をしてしまった。……やっぱり、オタクとしては失格だと誰かに言われても、しょうがないかもしれない。


 けど、それがどういう結果をもたらしてくれたのかは……うん、りりちの楽しそうな笑顔が教えてくれてる。その笑顔を見られただけで、私もまた十分に幸せになれるんだ。


 ……そうやって、ぽーっとりりちの横顔を眺めていたら、ふと、私を見た彼女と目があった。



「……どうしたんですか、ユキさん」


「あっ、えっと……りりちの横顔に見惚れてましたっ」


「あぅ。また、そういう事を。……でも」


「うん? どうしたの?」


「……でも、どうしてそんな……泣きそうな顔で笑うのかなって」

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