第14話 「女の子同士ならいいんですよね?」
私の願い通り、りりちはその表情に柔らかな笑みを浮かべてくれるようになった。もう、今日のはじまりの時に見せた、思い詰めるようなそれはすっかり影を顰めている。
それだけで私は十分だったんだけど……そう、私からりりちへの“お願い”は二つあったんだ。
そのうちの一つが——
「——ユキさんが言ったんですよ。“りりちが気に病むようなら、触った分だけハグして欲しい”って」
「えーっと、い、言ったけど。それはだね、りりち。その場の勢い……的なやつかなぁって」
「勢い?」
「あ、あのね、一応色々考えたつもりなんだけどね? でも、今となってはもう十分だったりするのかなぁなんて、あは、あはは」
「……ユキさんなら知ってくれてると思うんですけど、わたし、一度やるって決めた事は最後までやりたい性格なんです」
「そうだね、りりちのそういうとこ、すごくカッコいいと思ってるよぉ……?」
「じゃ、そういうコトなので」
「何がそういう事なの?!」
せっかく取り戻してくれた微笑みもどこかに、りりちはすっかりまたジト目になって、私をねめつけるように見つめてくる。あ、だめ、そういう冷たい眼はちょっとぞくぞくしちゃうよ。
——コトの顛末として、あえて振り返るならこう。
私としてはもはや気にしなくて良かったんだけど、りりちは電車の中でチカン的な事を私にしてしまった事を悔やんでいたようだった。
その事を帳消しにする為にはどうしたらいいのかなと考えた結果、りりちが私に触れる事をしていたのなら、その分だけ触らせてもらえばいいんじゃないか。ただ触るだけはアイドルに対する振る舞いとしてよろしくないので、ハグという形にするのは名案かも。
それにりりちは私に触って癒されてたみたいな事も言ってくれたし、ハグする事で癒しになれたなら……なーんて事を考えてしまったんだ。私がシャワーを浴びたのも、“汗臭い身体でハグしたらりりちも嫌だよね”なんて事を考えたからだったりする。——
なーにが名案だよ、数時間前の私。ただでさえ色々あって死にそうなのに、この上ハグまでしたら大変なことになるよ。この部屋が真っ赤に染まるかもしれない。りりちを癒す前に蒸発するよ、私が。
私がそうやっておのれの愚かさを嘆いている間に、りりちはまた私の隣に腰掛けて、じーっと私を見つめはじめた。
「……どうしてもいらないって言うなら、別にいーですけど」
「い、要らないなんて事はないよ! 出来ることなら、すっごい嬉しい!」
「じゃあいいじゃないですか、減るものはないわけですし」
「私がちょっと目減りするかもしれない、21グラムくらい……りりちはいいの? やっぱり、ハグなんて」
「たしかに、エス=エスではオタク向けにそういうコトしないですけど。でも、いつもはマイとかモモとかが抱きついたりしてきますし」
「わぁ……突然のてぇてぇ供給……神にかんしゃ……」
マイとモモはりりちの同僚であるエス=エスのメンバーで、それぞれ赤色と黄色担当。グループ内の仲が良いことは言うまでもなくオタクにとって喜ばしい事であり、彼女らのスキンシップにオタク達は歓喜の涙を流すんだ。
けど、うん? なんかりりちから向けられるしっとりした視線が、ちょっと強まったような……?
「……ユキさんは、わたしが他の子に抱きつかれたりしてても、なんとも思わないんですか」
「え、え? だって女の子だし、もっと言えばメンバーの仲良きことはいい事……だし?」
「……むー……わたし、決めました。今からユキさんにハグします。ハグしてもらいます」
「なになに?! なにがきっかけで決心したの?!」
「女の子同士ならいいんですよね?」
「そ、そのようなことを申し上げましたが……」
「推しの言うことはー?」
「ぜったーいっ!」
「よし」
「……はっ?!」
なんという策士なんだ、私の推しは。オタクという生き物の習性を利用して罠に嵌め、言質を取るなんて。
アイドルからコールがあれば、たとえ病床に伏せっていたとしても、銃弾飛び交う戦火の最中であってもレスポンスを返すというオタクの悲しき性が、無情にも操られてしまったのだ。もしかしたらりりちは、時代が時代なら天下無双の軍師になれたのかもしれない。
「うぅ……こうやってりりちによる大陸制覇がなされるんだ……私はりりちのブケパロスになりたい……」
「なんかモモが言いそうですね、それ」
「あー、わかるかも。モモ先輩ってこういう事言うもんねぇ」
「わたしが目の前にいるのに、他の子のコト話すのってどうかと思います」
「りりちから振ってきたのに?!」
「……まぁ、そろそろ悪あがきはいいですよね」
私は極めて真っ当な事しか言ってないはずなのに、それを“悪あがき”の一言にまとめられてしまった。
こうなっては受け入れるしかあるまい。というか、私から言い出した事なんだから受け入れるも何もないのか。
大丈夫、ちょーっと耐えて、りりちがいい感じに満足してくれたらそこで切り上げる。それくらいなら……いけるか? ほんとにいけんのか、雪奈よ。
しかしハグ、ハグかぁ。言い出しておいて何だけど、ちょっとだけ……背徳感というか、なんというか。エス=エスとオタクが触れ合う機会といえばチェキ会か握手会くらいなもので、ハグというのはやっぱりそれらを遥かに超える行為だと思う。改めて、こんな事は誰にも知られるわけにはいかない。
そして、もう一つ問題はあって……私は……人とハグなんか、した事ないんだよ……!
学生の頃はどっちかっていうとボディコンタクト少なめな大人しめグループに所属してたし、やっぱり恋人なんかもいた事はない。幼い頃まで辿っても、親とかが抱きしめてくれたような記憶はない。そんな温もりをくれるような親じゃなかったし。
だから改めてハグと言われると、むしろ未知への恐怖が若干出てくるくらい。どうしよう、これ……。
りりちに聞いてみるべき? ……いや、既に情けないところを晒しまくったとはいえ、やはりここは大人の余裕をもって対処すべきだろう。“全然、ハグくらい余裕ですけど? 10000人くらい抱いてきましたし?”という気位を見せることで、そんなオタクに推されているというりりちの自尊心を持ち上げるのだ。
「じじじ、じゃあ早速ハグを一つ、たたたた、頼もうかな?」
「わたしからでいいんですか?」
「えっ?! あー、ま、まぁね。私はほら、大人なお姉さんだから、受け入れる方が得意なわけだよ」
「……なるほど。大人なお姉さんのユキさんは、こういう事には慣れてると」
「そういう事になるのかなぁー。あは、ははは」
「しょーがないですね、ユキさんに主導権握らせようとしたら朝になりそうですし」
「なんか酷い言われようじゃない……?」
ハグ未経験がバレてるかバレてないか怪しいところではあるけど、上手く誘導する事は出来たみたい。りりちはやっぱり仕方ないなぁというように立ち上がって、ベッドの端に座る私に正対してくれた。
よし、あとはぬるりとハグをこなせば、今日のミッションは終了だ。ここが正念場だよ、小仁熊雪奈……!
「あっ、私も立った方がいいよね。このままじゃし辛いもんね」
「ユキさんはそのままでいいですよ。ハグして倒れられたら大変ですし」
「りりちが私のことをわかってくれてる……」
「喜ぶところですか? まぁ、いいです」
どどど、どうしよ。脚は揃えて、背筋は伸ばした方がいいのかな。手は、手はどうしよう。広げた方がいいよね、多分。あれ、でもこの体勢ってやっぱりハグしにくいような気がする。今からでも立ち上がった方がいいのかも。
……そんな風に内心でパニックを起こす私を尻目に。
「よいしょ」
りりちは迷う様子もなく、私の太ももを跨ぐようにして、向き合う形で座った。りりち、おん、まい太もも。
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