第9話 「愛ゆえに……愛ゆえにオタクは苦しむのだ……」
「またそういう事を。そんな事あるわけないじゃないですか」
「そんな事あるよ! オタクの耐性の無さを舐めないでくれるかな!」
「どこ見ながら反論してるんですか」
「壁だけど?!」
「なんでちょっとキレてるんですか、めちゃくちゃ情けないですよ」
「な、情けなくたって、私はりりちを守る為に、無様な死を晒さない様に頑張ってるんだい!」
「わたしを守る為、とは。とにかく言ってる事はカッコいいですけど、大して評価は変わらないです」
「うっ……うぅっ……」
しどろもどろになりながら懸命に年上の威厳的なさむしんぐを保とうとしたんだけど、私は所詮オタク。アイドルの威光に叶うわけがなくって、りりちに言われ放題だ。ご褒美です。
「わたしは……」
けど、その一瞬、本当に一瞬、りりちが迷った様な間を置いた。……う、やっぱり、見た方がいいのかな。失礼なのは間違いないもんね。
「ユキさんに、見て欲しいんですけど」
結局、必死に目を逸らしてみても耳はどうにもならず、なんだかりりちの寂しそうな声が聞こえてきた。
な、なんで、りりちは風呂上がりの姿を私に見せたいんだろう。実は私の事を殺したかったりするんだろうか。推しのアイドルが実は暗殺者だった件について、みたいな?
……いや、違う。アイドルというのは言ってしまえば見られる事が生業。その仕事にプロ意識を抱いていれば、見たくないなんてのたまう誰かを許容するのは難しいだろう。
そして私は、他でもないアイドルりりちのオタクなのだ。その彼女が見て欲しいというならば、自分の生命など省みず、その姿を目に焼き付けることこそ本望だ。
大丈夫、大丈夫。自室にいるりりち、お風呂上がりのりりち。ツーヒット……いや、スリーヒットコンボまでなら耐えられる筈、なーに、しなやす、しなやす。いくら私がへなちょこアイドルオタクとはいえ、今までりりちの事をずっと追いかけてきたんだからね!
いくぞ、見ちゃうぞ、見て欲しいって言ったのはりりちだからね! せめて爆発だけはしない様に頑張るぞ!
そう意気込んだのは良いものの、やっぱりへなちょこの私は恐るおそーる、カチコチの体ごと視線を動かして——
「あ……やっと見てくれました、ね」
——私が普段使うベッドの上に、片膝を抱える様にして座るりりちを、その姿を、目の当たりにしてしまった。
ツインテールを解いて降ろされた、長くてまっすぐで綺麗な黒髪。それから薄く施していた化粧がなくなったことで、あどけない色気が溢れ出してる。
カラオケでは暗くて、魅力を10分の1も発揮できていなかった白い肌は、お風呂に入り血行が良くなる事で赤みを取り戻し薄く仄かに桃色づいていて、青いシャツと綺麗なコントラストを描いてる。
貸したTシャツは私が着ても大きいもので、それを纏った彼女はその線の細さが一層強調されている。黒髪の合間に見える細い首、大きく開いた襟から覗く形のはっきりした鎖骨、見るからにシャツの生地を余らせている肩、ブカブカの袖から伸びる白い腕と小さな手。それらが彼女がまだいたいけな少女である事を私に訴えかけてきていて。
そしてなにより、片膝を抱えて座る事によって顕になるしなやかな脚。細くて、それでいて芸術的な曲線美を描くそれが、小さなつま先からふくらはぎ、太もも、その先の、際どいぎりぎりまでもが室内灯の灯りに晒されてしまって。
あ、目があった。抱えた膝の上に頬を乗せて、じっと私を見るりりちと。いつ見ても、何度見ても大きな瞳。ぱっちりした猫目に宿る黒曜石の様な瞳が、今だけは私をまっすぐに射抜いている。
かつて深淵を覗いた人は、こういう気持ちだったんだろうか。どの様に見られているかわからないというのに、その深さに対する甘くて昏い好奇心が目を離す事を許さない。
ダメだ、スリーヒットなんて甘いものじゃない。死ななきゃ安いなんて到底叶わぬ幻想だった。
私、死んじゃった、あーあ——
「……キさ……ユキさ……」
——……あれ、今私、何してたんだっけ。ここは……私の部屋、だよね? いつの間に帰ってきてたんだっけ。今日はいつも通り仕事に行って、取引先に来週の分のアポをとって、綾野ちゃんの教育をして、課長のセクハラもどきを受けて……あれー?
「ユキさんってば」
「うっ……り、りりち?! どうしてここに?!」
「どうしてもこうしても、ユキさんが言い出したんじゃないですか。“お願い”だって、“一度でいいから、私の部屋に来てほしい”って」
「え、私がそんな事を……?」
「記憶が飛んでる……? こっちを見ながら、目を丸くして固まるものだから怖かったですよ。ちょっとしたホラーかと思いました」
「あ、ご、ごめん。りりち、ホラー映画とかは苦手だもんね」
「それは、あー……まぁそうですけど。とにかく、ユキさんだいじょぶですか?」
「大丈夫、だいじょーぶ! ……たぶん」
……危うく死ぬところだった。いや、むしろ一瞬死んでたかもしれない。
お風呂上がりのりりちという対小仁熊雪奈決戦兵器の超絶火力に晒された私は、どうやら記憶ごと意識を飛ばす事で即死を免れたらしい。知らなかったけど、私の
それにしても、それにしてもだよ! だってこんな、こんなりりちの姿を見てしまったら、こうなってもしょうがないとは思いませんか!
こんなりりちの姿を……もう一回、ちゃんと見てみようかな。意識を取り戻してからちらちら見てはいるけど、そんな見られ方をされたらりりちだって快くないし。それに失礼だよね、うんうん。
それにほら、流石に二回目ですし? よく考えたら、現場でのものとはいえりりちとは長い付き合いですし? ちゃんと見てみたら、存外落ち着いてお話しすることも出来たりするのでは?
あー、なんか全然平気な気がしてきたなぁ。っぱ私ってば、割と古参なりりちのオタクやってるだけあるなぁ。ま、ここいらで一つオタクらしからぬ、年上なお姉さんの余裕ってやつを見せてあげるとします、か? ほーら。
「……むりぃ……破壊力がすごいよぉ……」
全然無理、何回でも死ねる。強すぎる光を前に、私は簡単に消し炭になってしまう。
「なんか、あんまりそういう反応されると、わたしもちょっと恥ずかしいんですけど」
「むりだよぉ……可愛すぎるもん……すき……」
「うぁ……そういう事はさらっと言えるくせに、なんでただ見るだけのことにそんな緊張してるんですか」
「愛ゆえに……愛ゆえにオタクは苦しむのだ……」
「愛など要らぬとか言わないでくださいね、ややこしいから。……あーあ、かお真っ赤です」
顔が赤いと言われてさらに恥ずかしくなって、私はいよいよ堪えきれず顔を掌で覆う。
古参がなんだ、年上がなんだ、お姉さんがなんだ。りりちの尊さは次元を超越したところにあるんだから、私如きが多少経験を積んだところで太刀打ちできるものでは到底なかったのだ。
で、でも、目を見て話さないと、流石に失礼だよね。親しき仲にも礼儀あり、それが推しとオタクという関係であれば尚のこと、だよね。三度目、三度目の正直だ。
そう思って、顔を覆う指の隙間からもじもじと隣の彼女を窺うと……あれ、なんだかりりち、ちょっとほっぺを赤くして……不満そうな顔してる?
「りりち、ど、どうしたの?」
「……わたし、ライブとかテレビはもちろん、自宅でやる配信でもツインテ解いた事ないんですよ。ユキさんなら、知ってると思いますけど」
「う、うん。りりちが映ってる映像を見逃した事はないから。だから、その、ちょーっと刺激が、強いかなーって……」
「刺激とかは、まぁ頑張ってガマンしてもらって」
「てきとーだね?!」
「そんな事より、です。……言える立場じゃないとわかってるんですけど……普段お見かけできない推しの姿を見たオタクとしては、なにかないんですか?」
「な、なにか、とは」
「感想、とか」
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