第8話 「そ、そんな事したら私、し、死んじゃうよぉ……!」

 スーツを脱いでシャワーを浴びて、部屋着にしているライブTシャツとショートパンツを身に纏えば、私は何かから解放された気分になる。


これからはエス=エスの円盤を観て推しへの愛にどっぷり浸かってもいいし、いっそのことベッドに倒れ込んで寝ちゃうのも悪くない、そういう時間。……いつもなら、だけど。


 今の私は既に帰宅し、ブラウンを基調にコーディネートした寝室にある真っ白いシーツのベッドに腰掛け、高鳴りすぎる心臓を必死に抑えつけつつ、これから迎えるであろうその時をひたすらに待っていた。


 自分が招いた状況なのは間違いないから、どうしてこうなったと騒ぎ立てるわけにもいかず、そわそわ、ふわふわ、どきどきとした気持ちを持て余しつつも、自分のお尻をベッドに押し付ける事で私はどうにか平静を気取ってる。


 ああ、初めて出来た彼女を部屋に呼ぶ高校生ってこんな気分なんだろうか。ある意味では私も今似た様な状況ではあるんだけど。だって。



「——……お風呂、いただきました」



 そうしているうちに一声あって、それから寝室のドアがゆっくり開いた。


 私がベッドに腰掛けている以上、その扉を開けたのは他の誰かな訳で、その誰かというのはやっぱり彼女、りりちだった。


 ——私は今日電車の中でチカンに遭った。その相手は私にとって推しのアイドルである、シンクロニシティ=シンフォニーの青色担当、りりち。


 まさかまさかの相手と場所を変えて話し合って、結果として私は彼女を無罪とみなしたんだけど、りりちはやった事に対しての罰を求めて、私に償う事を望む。


 推しに何かしてもらうなんてと渋ったんだけど、りりちは何かしなければと頑なで。悩んだ私はりりちに、“お願い”をする事にした。これからも二人がアイドルとそのオタクでい続ける為に。


 私のお願いを聞いてりりちは少しだけ逡巡してはいたもののすぐに頷いてくれて、そうして私たちは話し合いの場となったカラオケを出て、タクシーを拾って移動して、ここ……へと、居場所を変えたのだった。


 そう、お願いの一つは、“私の家に来てほしい”というもの。


 当然の事、何かをするってわけじゃない。いや、何かはするんだけど、それはやましい事じゃない。……いや、ちょっとやましい事かもしれない。とにかく、りりちを傷つける様な真似じゃない事だけは確かなんだけど……ああ、ややこしいな!


 私は、りりちに“りりちは素敵で最高のアイドルなんだよ”って事を伝えたくて、我が家に招待したのだ! つまりはそれだけだよ、本当に!!


 ……さて、帰ってきて、これからする事を考えた時に、仕事帰りゆえにスーツを着ていた私は汗で蒸れに蒸れている。だから申し訳ないけど、とりりちに断りをいれて、シャワーだけ浴びる事にした。


 存分に汗を流して、これでもかと身体を洗って、りりちの待つリビングに戻った私を見て、今度は彼女もお風呂に入りたいと話し始めた。りりちも昼には学校に行って、放課後には事務所で打ち合わせがあって、その間の移動はこの時期の勢いを増してきた太陽に晒されていた事もあって汗をかいていたらしい。


 そういう事ならとお風呂を沸かして、ゆっくりしていってねと私は部屋で待つ事にして……そうして、“あれ? なんかいやらしいことするみたいな流れになってない?”と気付いてしまって、ばかみたいにドキドキしていたのだ。いやもう、ばかそのものだとは思うけどさ。——


 ……振り返ってみて、今更ながら私自身の考えの甘さに、ほんの数時間前の自分を殴りたくなる。迷いを振り切る様にとか考えてたけど、もうちょっと迷ってもよかったんじゃない?


 いや、自分を殴るのは後だ。今はりりちを迎えてあげなくては。りりちがお風呂上がりでタオルを手に、部屋に戻ってきてくれたんだから……



「お、おかえりぃ」


「ただいまー、でいいんですかね。あ、Tシャツもありがとうございます。これって」


「うん! 去年のサマーライブの時のだよ! 私も一着は部屋着に使ってるんだ。カラーはもちろんサファイアブルー!」


「なるほど……」



 なになに、なんでそんな疑う様な、探る様な声色で言葉を向けてくるの。もしかして、わたしの着古したやつが嫌だったとか? だとしたら安心してほしい、りりちが着ているのは当然の如く複数確保したうちの一着で、まっさらな新品なんだから。



「これ、結構大きめですよね。メンズの……XXLですか?」


「うん? そうだよ、部屋着にするならそれくらいゆったりしたほうが好きなんだよねぇ」


「……コイビト用、とかだったりしませんか?」


「あはは、そんなわけないよぉ」


「ホントに?」


「ほんとーに!」



 本当に、変な事を訊くものだよ。恋人なんて生まれてこの方、出来た事もないのに。……とは、私の中に残る細やかな謎のプライドが邪魔をして言葉に出来ず、あははと曖昧な笑いを零してその場をごまかす。


 そうしているとりりちから、“どこに座ればいいですか”なんて律儀な問いかけがくるので、“お好きな様に”なんて答えたんだけど、彼女は迷う事なく私も座るベットに座ってきたっぽい。


 私の左、少し離れたそこにりりちがいる。その事をほんの僅かに歪んだマットレスが、お尻を通して私に伝えてきた。りりちはすごく軽いし、離れてもいる筈だから“歪んだ”とは言っても殆どない様なものなのに、私の敏感になった尻は僅かな振動をつぶさに感じ取った。


 さて、りりちが戻ってきたというのに“多分”だの“ぽい”だのと、なんでこんなにも曖昧な表現になってしまっているかというと。



「それで、ユキさん。?」



 そう、りりちがお風呂を上がって部屋に来てくれてから、私は彼女の事を一切目視できてないのである。それもまた、なぜかと言えば。



「そ、そんな事したら私、し、死んじゃうよぉ……!」



 お風呂上がりで、自室にいる推し。そんなものを不用意に見てしまっては多分、私は即死する。穴という穴から血を噴き出しての失血死か、心臓が止まってショック死かの違いはあるだろうけど。ワンチャン、五体が四散しての爆死もあるかもしれない。うわー、りりちがかわいいー、どーんって感じで。


 私はりりちを怪奇事件の第一発見者にさせる事を、はたまた怪人アイドルオタクの自爆に巻き込む事を防ぐべく、まだライブTに身を包んだ彼女を見れないでいるんだ。











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第8話までご覧くださりありがとうございます。

前話で雪奈と凛々夏の出会いが終わり、いよいよ本話から雪奈の暴走と凛々夏による蹂躙が始まります。

そんな区切りのタイミングで感謝をお伝えさせてください。

応援してくださった読者さまのおかげで当物語が恋愛週間のランキングにランクインすることができました。本当にありがとうございます……!

これからも二人の可愛いわちゃいちゃをお届けできるよう努めますので、何卒応援のほどをお願い致します。

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