第4話 「どうして、ユキさんが泣いてるんですか」



「りりちが、ちかい……かおがいい……むり……」


「ちょっと?! なんか大切なものが抜けてってませんか?!」


「かおがちいさいのに、がんめんがつよいよぉ……すきぃ……」


「うぅ、そうやって……あぁもぅ、しゃっきりしてくださいよ」


「わぁ……やっぱりこえもいい……いったい、なにをもちえないというのか……」


「……それ、は……」



 その言葉でふっと、俯いてしまったりりちからどこか悲しげな雰囲気が溢れた。……だめだ、召されかけている場合じゃなさそう。


 りりちに出会えた事で動転してすっかり忘れかけてしまっていたけれど、そもそもここカラオケに来たのは電車の中で彼女にチカン……ってこの場合言うんだろうか。ともかく、他所には言いづらい事をされていたのが原因であって、その事については話を聞かなければならないだろうし。……いや、まて。もしかしてだけど、りりちが悲しそうにしている事の原因が、私との事に関連していたりするんだろうか。


 まさか、とは思う。けどやっぱり話を聞いてみなければ、始まりも終わりも迎える事は出来なさそう。


 ふぅと一つ、深呼吸をして改めて隣のりりちに向き直る。気を確かに持たなければ、りりちが隣に座っているという事実に失神してしまいそう。



「あのさ! あの……良かったらだけど、話を聞かせてくれない、かな。……今日の事も含めて」


「……話さないわけには、いかないですよね」


「どうしてもってわけじゃないよ! わけじゃない、けど」



 私はもう、今日の事についてりりちを責めるつもりはない。だけど、そうする事で何か彼女が抱えている問題の一助になれればと、話をして欲しいと願ってみた。


 りりちはそんな私の言葉に頷いてはくれるけど、少しだけ迷った風な素振りを見せる。そして。



「……その……いえ、ユキさんの事はただなんとなく、触りたいなって」


「……“うそ”だよ、それは」



 流石にわかるよ。いくらりりちがプロのアイドルであろうと努めて、何かを隠そうとしていたのだとしても、私はそんな彼女をエス=エス結成間もなくから見続けてきたんだ。


 そんな私に咎められたのが予想外だったのか、りりちは目を大きく見開いて、私へと視線を向ける。やっぱり、何度見たって輝く様な美しい瞳。だけど、出来る事ならそんな風に……悲しみに揺れていて欲しくないと思うのは、ファンであったなら誰しもが思う事だろう。私だってそう思うから、これからのお話がその解決に役立つ事を願う。


 それから少しの間言葉もなく見つめあって、彼女からの言葉を待つ。促して現れた言葉じゃ、意味はないと思うから。りりちがりりちの意思を以て聴かせてくれた言葉じゃなければ。


 そうして……申し訳なさそうなりりちと何分か見つめあった頃、諦めた様に彼女は口を開いてくれた。



「……ある人に言われたんです」


「……うん」


「“リリはもう少しスタイルが良ければ、もっと票を集められるだろうに”って」


「そんな! ……ごめん、続けてくれるかな」



 そんな事はない、りりちは今でも最高だ! ……あんまりな言葉に一瞬で沸騰した私は腹立たしさに任せて、すぐさまそう叫びたかった。けど、今は彼女が語ってくれる番だと思うから、ぐっと言葉を飲み込んで、静かにただ聞くことだけに専念する。


 けど、私は決してそう思わないし、誰であっても彼女に対してそんな事を言うべきじゃないと思う。溢れてしまった私の言葉で、それが少しでも伝わってくれていたなら良いんだけど。


 りりちは俯いたまま、静かに息を溢した後、またゆっくりと言葉をつづけてくれる。



「自分でもなんとなく、わかってたんです。みんなに比べてビジュアル面で足を引っ張ってるなって。背も小さいし、胸だって大きくない。かといって、モモみたいに振り切れてるわけでもない。そうなれば、好んでくれる層は限られてくる」



 ぎゅっと、膝の上で握られた彼女の手に力がこもった。私には、彼女の悔しさがその仕草に滲んでいる、そういう風に見えた。


 確かにりりちは小柄だ。アイドルにとって、ボリュームある胸やお尻は男性に対して強い訴求力があるし、手足がすらりと長ければ女性ファンには憧れの対象として受け入れられやすい。けど、りりちにはその両方ともがなくって、ある人という誰かはその事を言っているんだろう。


 でも私はそんなところも魅力だと強く訴えたい。


 それ以上に彼女の存在感は他のメンバーに劣っていなくって、背の低さなんて微塵も感じさせないものがある。それは、きっとりりちが頑張ってきた努力の結晶がそう見せてくれてる。


 そう、りりちは努力家なんだ。頑張り屋さんなんだ。元々光るものがあったダンスはエス=エスでもトップクラスのキレがあるし、歌もみるみる上達してきてる。それは全て、他でもないりりちが頑張ってきた証左。

 


「イロイロと試してはみました。食事、生活習慣の改善、ネットに載ってるようなストレッチ……でも、どれも全然効果がなくって」



 そんな頑張り屋な彼女だからこそ、きっと自分の弱みについては誰より早く気づいていたんだと思う。それについて努力したであろうことも、想像するに難くない。

 

 そしてそれを、誰かに指摘されてしまった時……努力家なりりちの中に生まれたネガティブな感情の全てを、私は想像する事は出来ても、理解できるなんて事は口が裂けても言う事は出来ない。できるのはただ、りりちのその気持ちが一日も早く報われる様にと祈る事だけ。


 だからこそ、言葉もなく私は耳を傾けることしかできなくって、なんだか自分の無力さが、悔しい。


 ……私が悔しがってる場合じゃない、今はとにかく、りりちの話を聞かなきゃ。



「そう悩んでいるうちに、夜も眠れなくなって、どんどん調子も悪くなってきて、もう、ダメなのかなって……」



 りりちのその話に、私の中で腑に落ちる事があった。


 確かにりりちは一時期、パフォーマンスを落としていたことがある。これは界隈でも囁かれていた事だから、私の勘違いだって事はない。その時私は、誰にだって、何事にだって波はあるものだから、ただひたすらに頑張れと見守っていた。


 けどあれは、そういう裏の事情があったんだ。……ああ、ああつまり、


 さっき、りりちはたとえ細やかなものだとしても嘘を吐いた。それは思えば、私の知る彼女のキャラクターにおいてはあり得ない事。そんな彼女が嘘を吐いた。勘違いでなければその理由の一つは、


 裏話と聞けば、普段知り得ないアイドルの姿を覗き見る事ができる良い機会だと考える事もできる。けど、その“裏”がポジティブなものでなかったなら? ……それはイメージを損なうもの以外の何ものでもなく、それで喜ぶのはアンチくらいだ。


 そして今、りりちが聞かせてくれた話しは残念ながら、決してポジティブとは言えないもの。だからりりちは、それを聞かされた私ががっかりしない様に、アイドルを推すことに全霊を傾ける私から、楽しみを奪わない様にと嘘を吐いてくれたんだ。


 エス=エスのイメージが保たれてさえいれば、そして私がアイドルに失望してさえいなければ、たとえされても全ては回るんだ。してはいけない事をした自覚があるりりちは、そんな風に考えてしまったんじゃないかな。


 これは全部、私の推測。短いやり取りとりりちのこれまでをつなぎ合わせた妄想にも近い。でも、でもね。


 ……本当に、なんて……健気なんだろう。


 そこで多分私が溢れさせてしまった違和感に気づいたのか、視線を上げた彼女と目があった。でもやっぱり、今だけは俯いたままでいてくれた方が良かったかもしれない。



「どうして、ユキさんが泣いてるんですか」


「……わ、私はほら、さっきからぁ……ぐずっ……ずっと泣きっぱなしだったから……っ……気にしないでよぉ」


「さっきは、泣き止んでたじゃないですか。ああ……本当に、どうして……」



 苦悩に対して一人堪えるりりちの姿を想像して、勝手に泣いてしまったおばかな私。りりちはそんな私を見て、少しだけ困った様な表情を見せた後、ハンカチを取り出して私の目元に当ててくれた。私なんかより遥かに辛い筈の彼女に面倒をかけてしまって、また私は情けなくなってしまうけど、この優しさが染み渡ってりりちへの想いを再確認させられる。


 努力家で頑張り屋で優しくて健気でファン想いで……アイドルであると同時に、素敵な女の子。それこそが私の目の前にいるリリという少女なんだ。


 たかがオタクに何がわかると誰に言われたって、私は何度だって訴え続けてやる。


 りりちは既に最高のアイドルなんだ! 誰がなんていったって、たとえ天地がひっくり返ったって、それこそが絶対の真実なんだ!!


 ……今すぐ叫びたいけど、涙でボロボロ、鼻水でぐずぐずになった今の私ではロクな事は言えなさそう。



「りりちぃ……りりちは……ぐすっ」



 ほら、やっぱり言えそうにない。でもいつか、きっとちゃんと伝えたい。その時がすぐにでも来たらいいんだけど。



「……そのままで大丈夫なので、続き、話しちゃいますね」


「おねがいじばず」


「……ずっとずっと悩んでた時、電車で見かけたんです」


「みがげだ? なにお?」


「スーツ姿のユキさんを」


「……ふぇ?」

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